見出し画像

第6週 金曜日 芸術家 中村紘子

第6人目の芸術家は2016年に亡くなられた日本のピアニスト中村紘子さんです。

中村紘子さんは1944年7月25日疎開先の山梨でお生まれになり、東京で育たれています。



陸軍少佐野村典夫氏と曜子さん(旧姓中村)の長女として生まれられました。ただし戸籍上はお母さん曜子さんの妹として入籍されています。


お母さんの中村曜子さんは、印刷会社経営を経て、1967年以降、銀座の画廊「月光荘」の経営に参画し、ソ連美術を扱って成功を収めた経営者でした。曜子の主宰する会員制サロン「サロン・ド・クレール」には小山五郎、千宗室、三島由紀夫、浅利慶太、相沢英之、中曽根康弘、石田博英、円城寺次郎、嘉門安雄、谷村裕、永野重雄といった政財界人や文化人が集っていた有名なサロンでした。
なお月光荘は、世界救世教に、レオナルド・ダ・ヴィンチの贋作「『岩窟の聖母』の聖母の顔のための習作」を21億5000万円で売り込もうとした事件(月光荘事件)を機に没落し、1989年に経営破綻した(負債総額188億円)そうです。



3歳半からピアノを習われます。桐朋学園の「子供のための音楽教室」の第1期生で、4歳から井口愛子さんに師事されました。
同期には小澤征爾氏、堤剛氏、江戸京子さんなどがおり、この世代がいわゆる桐朋の黄金時代とされているそうです。

慶應義塾幼稚舎在学中、1953年から1954年頃に両親が離婚して、お母さんに育てられます。

1954年、全日本学生音楽コンクールピアノ部門小学生の部で全国第1位入賞。慶應義塾中等部に進み、1958年、全日本学生音楽コンクールピアノ部門中学生の部で全国第1位入賞。1959年、日本音楽コンクールで第1位特賞を受賞されました。

1960年に岩城宏之指揮の東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会にソリストとしてデビューされ、同年、NHK交響楽団初の世界ツアーのソリストに抜擢されました。

その後、桐朋女子高等学校音楽科を中退して渡米、日本人として初めての全額奨学金を獲得してジュリアード音楽院に進み、ロジーナ・レヴィーンに師事されました。


1965年、ズビグニェフ・ジェヴィエツキに師事したのち、第7回ショパン国際ピアノコンクールで、第4位入賞と最年少者賞を併せて受賞されました。
この時の1位はマルタ・アルゲリッチでした。

これは、1955年の第5回ショパン国際ピアノコンクールで、田中希代子が第10位で日本人として初入賞して以来、10年ぶり二人目の入賞であったそうです。

1974年9月に芥川賞作家庄司薫氏と結婚されます。
演奏旅行で家を空けることの多い中村さんの愛猫を庄司氏が預かるなどするうちに交際、結婚に至ったそうです。


ショパンコンクール入賞以後、世界各国で演奏活動を続ける一方で、ショパン、チャイコフスキー、アルトゥール・ルービンシュタイン、ブゾーニをはじめとする様々な国際コンクールの審査員を務められます。

日本では第3回浜松国際ピアノコンクールから審査委員長を務め(第1回は小林仁氏、第2回は安川加寿子さん)、コンクール創立10年たらずで国際ピアノコンクール連盟に加盟させるなど一級レベルの国際ピアノコンクールにまで持ち上げ、若いピアニストの育成にも力を入れられました。

またノンフィクション作家・エッセイストとしての顔も持ち、1989年には『チャイコフスキー・コンクール』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞されています。

2005年、エクソンモービル音楽賞受章、2008年、紫綬褒章受章されています。

「難民を助ける会」や日本赤十字などを通じてのボランティア活動にも、地雷禁止のチャリティコンサートの出演などを通じて積極的に参加し、日本における「対人地雷廃絶」運動にも取り組んだそうです。



2014年、腸閉塞の腹腔鏡手術を受けた際に、大腸がんが見つかりました。治療を続け、2015年3月に復帰されます。しかしまた2015年8月、大腸がん治療に専念するため、再び演奏活動を休止されます。当初は11月以降の復帰を目指していたが、2016年3月まで活動休止が延長されました。


2016年4月30日ミューザ川崎シンフォニーホールおよび同年5月4日オリンパスホール八王子で開催されたコンサートで復帰され、この最後のライブ録音はCD「中村紘子 フォーエバー」となって発売されました。

2016年7月26日、大腸がんのため永眠されます。
72歳の誕生日を、夫と自宅で祝った翌日だったそうです。夫によれば、中村が死去前日にもモーツァルトからラフマニノフまでの曲の音色に新しい輝きを出す奏法を試したいと興奮して語っていたそうです。
旭日中綬章が追贈され、2016年9月12日にお別れ会がサントリーホールの大ホールで関係者約850名が出席して執り行われ、その中で東京交響楽団等による献奏も行われました。


音楽評論家のハロルド・C・ショーンバーグ氏は、著書『ピアノ音楽の巨匠たち』(「The Great Pianists」Random House 1987)のなかで中村の演奏について「絢爛たる技巧」と「溢れる情感」、そして特に「ロマンティックな音楽への親和力」と評しておられます。


中村さんは、古典派およびロマン派中心の作品をよく演奏されましたでが、矢代秋雄氏のピアノ協奏曲の初演を行った他、三善晃氏や武満徹氏といった日本の現代作曲家の作品も多く採り上げてコンサートで発表されていたそうです。

めぐめぐが思う中村紘子さんのすごいところ

1やはり小さいころから本当にピアノの才能を発揮され、日本人二人目のショパン国際コンクールで入賞されていること。

2ピアノの演奏だけでなく、後進の育成に力を入れたり、「難民を助ける会」や日本赤十字などを通じてのボランティア活動にも、地雷禁止のチャリティコンサートの出演などを通じて積極的に参加し、日本における「対人地雷廃絶」運動にも取り組まれているところ。


3そして本を書かれてそれも賞を取られているというところ。本当に才能があった方なのだと思います。


あの美しい髪の毛も素敵でした。森英恵さんとも交流があったそうです。



この記事が参加している募集

習慣にしていること

もしサポート頂けたらとても嬉しいです。頂いた貴重なお代は本代にいたします。どうぞよろしくお願いいたします!