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第5週火曜日 スポーツ選手 吉田沙保里


5人目は一人の競技に戻り、レスリング選手で現在は指導者の吉田沙保里さんです。

吉田沙保里さんは1982年10月5日三重県津市でお生まれになります。

お父さんがレスリング選手で自宅にレスリング道場を開いていた指導者であったこともあり3歳からレスリングを始められます。

6歳のときにすでに世界カデット選手権で優勝されその翌年も続けて優勝されます。8歳、9歳のときに世界ジュニア選手権でも2年連続優勝と幼少期から大変素晴らしい成績を挙げられています。

2002年のジャパンクイーンズカップでは前年の世界王者山本聖子を破り、アジア大会でも優勝。そのままの世界選手権、全日本選手権でも優勝した。2003年も世界選手権、ワールドカップと立て続けに優勝。

アテネオリンピックの代表選考試合となった全日本選手権と2004年のジャパンクイーンズカップでライバルの山本さんに連勝し、女子レスリング55kg級の代表に選出されます。2004年のアテネオリンピックで金メダルを獲得されます。


2007年5月、アジア選手権優勝。9月の世界選手権でも優勝し、女子として史上初の5連覇を達成されました。

同年12月5日、「テレビ朝日ビッグスポーツ賞」受賞。12月18日、JOCシンボルアスリートに選出される(2008年1月1日 - 2008年12月31日)、12月20日、第57回「日本スポーツ賞」(読売新聞社制定)のグランプリ受賞。12月22日、北京オリンピックのレスリング女子55kg級の日本代表に正式決定した。


2008年8月16日、北京オリンピックの55kg級に出場。予選・準決勝と勝ち上がり、決勝戦では許莉(中国)を試合開始から終始圧倒、第2ピリオドでフォール勝ちし、2大会連続でオリンピックの金メダリストとなりました。

 表彰式後のテレビインタビューで吉田は「4年後のロンドンも勝ちたい」と、早くもオリンピック3連覇を目指すことを明らかにしました。

そして2011年9月の世界選手権で、アレクサンドル・カレリンの最多連覇回数記録と並ぶ大会9連覇を達成した。

2012年6月、JOCはロンドンオリンピック開会式の旗手に吉田を選出した。吉田は「旗手は熱望していた。金メダルをとれないというジンクスを打ち破る」と述べて、8月10日(現地時間8月9日)に行われた55kg競技では予選・準決勝と勝ち上がり、決勝戦ではカナダのトーニャ・バービークと対戦。2-0で金メダルを獲得し、3大会連続五輪金メダルを達成、公約どおりジンクスを打ち破った。なお、ロンドンオリンピックでは閉会式でも旗手を務めておられます。
そして2012年9月の世界選手権において、男女通じて史上最多となる世界選手権10連覇及び世界大会(五輪+世界選手権)13大会連続優勝を達成し、カレリンの記録を更新されました。この頃からカレリンの異名「霊長類最強の男」にちなんで「霊長類最強女子」と国内のマスコミ等で呼称されるようになる。中国のSNSやメディアで「アイアンレディ(铁娘子)」「レスリングの女帝(女皇)」と呼ばれることもある

 また、「13大会連続世界一」を達成した事を受けギネス世界記録に認定されています。さらに、この功績を称え2012年11月7日に日本政府より国民栄誉賞を授与されました(個人受賞としては1977年の栄誉賞創設以来19人目であり、女子スポーツ界からの受賞は高橋尚子、2011 FIFA女子ワールドカップ日本女子代表に次いで3例目だったそうです)。

2013年の世界選手権では、全試合を通して相手に全くポイントを与えない完全勝利で優勝、世界大会14連覇を達成されました。新たに53kg級で挑んだ2014年の世界選手権では、前年に続いて決勝でスウェーデンのソフィア・マットソンを6-0で破り、世界大会15連覇を成し遂げられました。


2015年の世界選手権では決勝で3年連続でマットソンと対戦。ポイントを先取されタックルも封じ込められるが、その後逆転して2-1で勝利を収め、世界大会16連覇、個人戦200連勝を達成されます。

吉田は試合後「負けるかと思った。不安で仕方がなかった」と敗戦の恐怖を口にし、マットソンも「ほとんど差がなかった」と打倒吉田への手応えを口にしていたそうです。同年12月の全日本選手権では55kg級で優勝しリオデジャネイロオリンピック代表を決めたのですが、しかし、その後は栄和人ヘッドコーチに試合出場を促されながらも吉田は頑なに拒否し、練習を積むことに専念。過去最長である8ヵ月の実戦無しの空白期間を経てオリンピックに挑むことになりました。

また、同年12月末にALSOKを退社してフリーになったことにより、オリンピックを控えながらテレビ番組やイベントの出演が重なったそうです。

亡きお父さんと約束したオリンピック4連覇を目指して挑んだリオデジャネイロオリンピックの決勝戦では、準決勝で吉田の最大のライバルになると目されていたマットソンをフォール勝ちで抑えてきたアメリカのヘレン・マルーリスと対戦し。第1ピリオドで吉田が1ポイント先取するも、第2ピリオドで4ポイントを奪われ、逆転負け。世界大会(五輪+世界選手権)の連覇記録は16連覇、個人戦は206連勝でストップし、15年間守り続けた世界女王の座から陥落した。

なお、日本選手団主将は過去5大会メダル獲得を逃しており、吉田は銀メダル獲得で主将は表彰台に立てないというジンクスは破ったものの、金メダルを獲得できないというジンクスは破ることができなかったそうです。


帰国後、吉田は現役引退を否定し、2020年東京オリンピック出場を最大目標に現役続行することを表明されました。そして同年9月26日には日本レスリング協会理事会において、吉田のレスリング日本女子代表コーチ就任が承認されています。
2016年11月1日、母校である至学館大学の副学長に就任(2018年8月辞任)され、さらに同年11月24日、日本代表の合宿にコーチとしてデビューをした。
そして2019年1月8日、現役引退を本人自身のツイッターで発表されました。
2019年4月5日より、日本テレビ系の平日朝情報番組『ZIP!』金曜日メインパーソナリティーに就任されています。肩書は「霊長類最強パーソナリティー」で、自ら発案したそうです。


吉田沙保里さんは以下のように様々な賞を受けておられます。

紫綬褒章(2004年、2008年、2012年)。
2004年度、アテネ五輪での金メダルにより、三重県県民栄誉賞・津市市民栄誉賞
2008年度、北京五輪での金メダル獲得により三重県県民特別栄誉賞(1回目)・津市市民特別栄誉賞
2012年度、ロンドン五輪での金メダル獲得により三重県は三重県県民特別栄誉賞(2回目)を授与
津市は市内に建設する総合スポーツ施設の名称にその名前を冠することを決定。
2016年度、リオデジャネイロオリンピック女子レスリング銀メダル獲得によるオリンピック4大会連続メダルにより、三重県は三重県県民特別栄誉賞(3回目)を授与。
2019年、三重県は、三重県民栄誉特別功労賞を創設し、4月13日の県民の日に授与。
2019年7月、愛知県は「スポーツの枠にとどまらず多くの県民・国民に明るい夢と希望を抱かせてくれた」として、愛知県民栄誉賞を授与[34]。
記念品は本人が希望したノリタケ製のプレートのセット(16の金メダルや連勝を表す206個の星がデザインされている特注品)。
2012年、第60回菊池寛賞受賞。
2019年8月13日、自身のTwitterで愛知県民栄誉賞を大村秀章愛知県知事が送られたと発表。
またゲームに出ていたり

東京2020オリンピック The Official Video Game(英語版)(2020年4月17日) - 本人 役[42] ※無料アップデート追加キャラ


CDもだしておられます


目を覚ませ/Go My Way(2015年10月14日、avex) - 『Well stone bros.feat.吉田沙保里』名義


めぐめぐがすごいと思う吉田沙保里さんのこと

1 当然ですが6歳からずっと天才的な数の勝利と大会での優勝をされていること。そこにきっちり合わせられる健康管理、メンタル管理なども含めて本当に素晴らしいと思います。

2その後もメディアでコメンテーター、ドラマ出演、ゲームCDなど本当に様々なメディアで活躍されていること。決して簡単ではないと思います。

3そして日本スポーツ界のために、レスリングのために重要な任務をなさっていること。2との兼ね合いを考えるととても忙しい日々を過ごされていると思います。本当にすごいです。


吉田沙保里さんが三重のスーパースターだということは知りませんでしたが、また愛知のスーパースターでもあり、そしてもちろん日本女性のスーパースターでもあります。

自分の場所に愛される吉田沙保里さん益々のご活躍を心から祈念しております。



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