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ピアノと調律と私

こんばんは。間もなく年度末を迎えようとしていますが、お元気ですか?
本日とてもショッキングな出来事がありました。遡ること6ヶ月ほど前、会社の福利厚生でディズニーランドのチケット補助券を入手していたのですが、ようやく明日使用しようと思っていたところで、補助券を紛失してしまいました。泣。最近断捨離がブームなので、一番目立つところに保管しておいたにも関わらず、勢いで捨ててしまった可能性が高いです。こういうときは神にもすがる思いで、ちびまるこちゃんでもやっていたハサミに糸をぐるぐる巻くと無くしたものが出てくるというおまじないを実行してみようかと思ってしまいます。やらないけど。

話は打って変わって、最近子どもの頃に使っていたピアノを我が家に取り寄せることにしました。
私が8歳の頃に買ったピアノは、ヤマハの上位モデルで当時80万近くしたそうです。家がお金持ちでもなかったので、父親は全く理解してくれず、「1年で1万円、88歳になるまで返済しなさい。無利子だよ!」と言われたことを昨日のことのように思い出します。結局10年ほど真面目にお小遣いや臨時収入からコツコツ貯めて返済し、ピアノも高校3年まで続けていました。
子供のころは「なんで子供にそんなこというんだろう?うちの親きびしすぎる」と思っていましたが、いざ自分が親になってみて、この金額は相当の覚悟で出費したことが伺えます。
またこれが追い風となったのか、練習の方も真面目に取り組めました。学校で最優秀伴奏賞や、ピアノの学年代表、学園祭のクラシックコンサートに有志で出演し、演奏会トリに選ばれたのは、いい思い出です。返済計画、知らないうちに責任感や当事者意識が生まれてたのかな。
当時は1年に1回は調律師さんが家に来て、ピアノの調律をしてくれていました。母が、「子供には良い音を聞かせてやらないといけない」という思いでそうしていたのですが、あるとき調律が物凄く高いという愚痴を漏らし始めました。その頃は確かに学校生活で優先すべき買い物が他にもたくさんあったので、調律というのは二の次になりがちです。かつ私は音大を目指しているわけでもありませんでした。
そんなことで、つい親に「だったら調律なんてやらなくていい。大体目に見えないことにお金を払うなんておかしいよ」といってしまったのです。音が狂うなんて些細なこと。当時はこの考えが正しいと思っていました。結局最後に調律をしたのは平成11年になっていました。
その後マンションだし誰も騒々しいピアノを弾こうなんて思いもしないうちに25年が経過。あっという間に自分の出産し、子供が音楽教室に通い始めます。おもちゃのピアノで物足りなくなったタイミングで、自分が使っていたピアノを取り寄せることにしました。でも本来の目的は自分のストレスを発散することでもあります。最近夫婦関係や仕事にストレスを抱え、子供にあたることが増えてしまっており、第三者からも「打ち込めるような趣味をみつけてみては」と言われていました。そこで主人にさんざん反対されていたピアノの移動をこの機にやって、自分の趣味にしてしまおうと思ったのです。
ピアノはサイレントも取り付けることにしたので、移動費+サイレント本体費用+調律費用で30万円ほど。なかなかの痛い出費です。
調律師さんに調律をしてもらうにあたり、事前に質問を受けました。「最後にいつ調律をしましたか?」う〜ん、思い出せない。。ピアノの内側に保管してあった調律履歴シートを確認したところ、なんと平成11年。。調律師さんも声をあげて驚いていました。
ピアノも弾いてみると音が狂っている。確かに耳も違和感を感じます。これは早く直してもらわないとな、と思いました。
そして調律当日のこと。調律師さんにピアノの状態を診てもらうと、「思ったより全然いい」とのこと。これだけ古いピアノだと、完全にカビやらホコリやらで状態が悪いのですが、私のピアノは使い込んでいてきれいな状態で保管されているとのこと。確かに母が私の代わりによくピアノを掃除したり磨いてくれていました。購入してからもう30年以上経ちますが、素人目でみても外見・鍵盤がつやつやで美しいです。人間もピアノも手入れって大切なんだなと思いました。
そして実際にピアノを調律してもらうと、とーっても耳にすっと馴染む音に早変わり。なんというか弾いててとても心地よいのです。音の厚みも出たので、倍音が出ているなと思いました。これよこれ。私が弾きたかったピアノ。生き返らせてくれてありがとう調律師さん。
ということで子どもの頃は必要ないと本気で思っていた調律ですが、いざ親の世代になると必要不可欠だなと意見が真逆になりました。目に見えないものにこそ価値がある。やっぱり親の立場と子供の立場だと考えが変わるんだなあとしみじみ。
ちなみにうちの息子はメカ大好きで、調律師さんからいっときも離れず、調律の様子を傍から見守っていました。ハンマーがカーンカーンというのが好きなんだそうです。目線が違うので面白い。
調律のあと、母にピアノを大切に保管してくれたことを改めてお礼。すると、母から意外な言葉が。
「あなたもあのピアノでおばあちゃんが大好きだと言っていた『乙女の祈り』を発表会で弾いてくれたのよ。生きているうちに聴かせてあげられて本当によかったね。」
ああ、そうか。そんなこともあったな。母からしてみると、自分が演奏できなかった乙女の祈りを、娘(母)が自分の母のためにに弾いてくれたことがうれしかったのかな、とそのとき初めて理解できました。親と子って見方が正反対ですよね。今回の調律の話は、子どもの頃の出来事を大人になって数十年ぶりに回収できたという不思議な体験のように思えてなりません。調律のこと、ぜひ自分の息子にも語り継いであげたいな、と思います。