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令嬢改心3-4 迷惑娘の暴走と、好敵手の到来。(2/2)

 私が客室へ向かうと開口一番。
「わたくしが唯一認める好敵手のヴィオレット様があんな小細工で貶められるというのも業腹でしたので、こうして遠路はるばる噂の真相を確かめに来ましたの。何でもヴィオレット様、子供返りなさったのですって?」
 ソファにゆったりと座り、こちらを緑の目を細めて楽しげと見上げる賓客に、私は咄嗟に表情を取り繕えず睨んだ。
「あらあら、エルネスト。貴方いつもの美しい笑みが剥げてしまってるわ。駄目駄目、わたくしは客です。もっと丁寧に扱って貰わなくては。貴方の事ですからそのお上手な口でわたくしをおだてて追い払おうって魂胆でしょうけれど、簡単には追い返されるつもりはなくってよ」
 そう言って豊かな赤髪を払いコロコロと笑う侯爵令嬢。彼女は私が執事として働き出してからこちら、常に難敵であった。
 箱入り娘のヴィオレット様と、当時は見習い騎士の私。世間知らず二人が、慣れない貴族社会を渡り歩いてきたその道程に必ずと言って良いほど立ちはだかった存在がこの、モルガーヌ侯爵令嬢である。
 宮廷貴族の旗頭である宰相。陛下の信頼も篤いその人の五番目の娘である彼女は、ヴィオレット様の好敵手という言葉が相応しい女性だ。
「それにしても……あの王都での騒動ったらおかしくって。名も知らぬ男爵令嬢が第八王子殿下を追い掛け回す所はなかなかの見ものでしたね。何処から嗅ぎつけて来るのか、殿下の行く先々に現れてはまるで愛人かのように猫撫で声で絡んでいたそうで」
 彼女はそれは可笑しそうにクスクスと笑う。それはもう、他人事ならば愉快に見えたものだろう。
「……あら、何ですその疑わしい目つき。もしかしてわたくしを疑っていて? 別にあの令嬢を焚きつけた訳ではなくってよ? わたくしとしてはヴィオレット様とリュカ殿下が破局するなどあり得ないと思っておりましたし、むしろどうでも良かったのですけれども? しかし、何だか外野が騒がしくてねぇ……。男爵令嬢と王族を娶せようなんてあり得ない発言まで飛び出しますし、件の令嬢にある事ない事話されて身の置き場のなさそうなリュカ殿下が、だんだんと萎れていく様子を見ると、らしくもなくわたくし、不憫に思えてきまして。そこでリュカ殿下に、ヴィオレット様の所に行かれたら、と囁いてしまいました」
 立て板に水と話すモルガーヌ様は大変生き生きとしていらっしゃる。全く、楽しそうで何よりです。
「そうですか。それは殿下にとって救いであった事でしょう」
「ええ。わたくし、殿下とも昔から顔馴染みですから当然です」
 私の心ない言葉にも、モルガーヌ様はにっこりと笑い返す。しかし、殿下の逗留が、まさかの好敵手の提案だったとは意外な事だ。
「それにしても、誰の企みだったのでしょうね? 近年は没落貴族が家を保つ為に豪商らに半ば家名を売り渡すような、家格差婚が目立ってはきましたけれど、下位貴族と王族が事実婚とはいえ婚姻するなど国を貶める行為です。わたくしはそんな事は許せませんね」
 そこでお茶を飲んで一息着き、モルガーヌ様はゆるりと首を傾げる。
「そもそも、リュカ殿下は勘がよろしいから、小動物めいた姿形で擦り寄ってきても騙されなかったようですけれど。まあ、恋を語るその数倍は己の家の商売を語るご令嬢など、胡散臭くて堪りませんものねえ」
 一度だけ見かけましたが、まるで商人のようでしたわと眉間に皺を寄せるモルガーヌ様。彼女は風雅を愛する人であるから、美食や音曲を楽しむ筈の夜会に商売を臭わせる話を持ち掛ける男爵令嬢を無粋と思われたのだろう。
「しかしながら、敵もさるもので何処にでも現れるのですよね、件の令嬢。お家は下位貴族である以上に大商人でもありますから、何か特別な伝手があるのかしら……例えば宮廷貴族に」
「おっとお嬢、そこまでだ」
 ご機嫌に話す侯爵令嬢を遮る者があった。
「あら無粋ねぇわたくしの守護騎士は」
 ソファの上で体を捻り上向いた侯爵令嬢は、その緑の目で後ろに立つ騎士を睨む。
 騎士はソファに手を掛けて侯爵令嬢に視線を合わせると、ニヤリと笑った。
「そりゃまあ、お嬢はお気に入りには口が軽いですからねぇ。幾ら昔馴染みって言ってもコイツに余計な事をペラペラ話して貰っちゃあ困る。オレは宰相閣下直々に見張りも頼まれてんだ」
「あらやあだ、お父様ったら本当にわたくしを信用してないのだから」
 ソファに座り直し拗ねたようにツンと唇を尖らす侯爵令嬢に、やれやれと騎士は肩を竦めた。
「お嬢、忘れちゃいけませんよ? 幾ら昔馴染みでよく知った顔だと言っても、ここは武門の家です」
「ええ、分かってます、分かってますとも。ここがお父様の政敵の家である事ぐらいは。けれどわたくしにとってエルネストもヴィオレット様も、大事な昔馴染みなのよ……それにつまらないじゃない、リュカ殿下の初恋相手との御婚姻を前に、適当な愛人を放り込むだけで終わるなんて。破局ならばもっと派手に、惨たらしく終わってくれなくては。歌劇の悲恋ものの如くにね!」
 そう言って赤い唇を歪めたモルガーヌ様の邪悪さときたら、夢に出そうである。
 流石の騎士も、己の主人のとんでもない発言に額を覆った。
「お嬢お嬢、本音が漏れすぎだ。ああエルネスト……うちのお嬢が世話を掛けて済まんね」
「ああいえ、モルガーヌ様ともなれば、大事なお客様ですから」
 騎士の言葉に我を取り戻した私は、そう言って軽く礼を返す。この大柄な騎士は、昔から侯爵令嬢が悪趣味な思いつきで我々主従を混乱に貶める度に、彼女を上手く宥めすかし逃がしてくれた、いわば恩人のような存在であった。とはいえ、彼もまた敵側の存在である事は確かなのであるが。
「まあ、お嬢の気が済んだら夜会も近いし早々に引き返すさ。婚約式の邪魔になるだろうしな」
「あら、わたくし招待状を頂くまでは帰らないわ」
「お嬢」
「ふふ。ということで、独身最後の夜会、わたくしも楽しみにしているわ!」

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