見出し画像

令嬢改心3-5 :ドレスをリメイクする現場は、悲鳴が上がっていました。

 控えめなノックの音に、私が「失礼します」 と侯爵令嬢に断りを入れて扉を開けると、ヴィオレット様付きメイドがいた。
「一体なんですか、騒々しい」
「失礼致しますっエルネスト様っ! ヴィオレット様が……!」
 メイドは私が扉を開けるなり、血相を変え口早に要件を告げる。その声は小さなものであったが、悲鳴めいた切迫した声が部屋の中にも聞こえたのだろう。
「あら、何だか騒がしいようね? わたくしは用事が済みましたし、これで失礼するわ」
 そう言うと、侯爵令嬢はゆったりと立ち上がり、私が今開けたばかりの扉へと向かってきた。私は何気ない顔で、扉を大きく開き侯爵令嬢の退室を促す。
「当家の者が騒がしく致しまして、申し訳ありません」
「本当ね。でもわたくしは寛大ですから無粋な闖入者にも気にしませんよ」
 私が頭を下げると、侯爵令嬢は楽しげに目を細め軽やかな笑い声を上げた。
「それに、ますますヴィオレット様にお会いするのが楽しみになってきたわ……」
 伴いを連れ、扉を潜る際に私へ向けた笑みは、艶やかであったが同時に酷く胸騒ぎのするものであった。
「……出来るだけ早くヴィオレット様との会席の場を設けます」
「ええ、お願いね?」
 さらりとドレスの裾を捌き、出て行く姿は実力派宮中伯のご令嬢といったところだが、存在は全く笑えない。
「全く、肝が冷える……」
 ほっそりとした優雅な背を見送って、私は思わずそう口中で呟いた。
「――ほ、本当に、本当にですか⁉︎」
 メイドの案内で慌てて私がヴィオレット様の部屋へ駆けつけると、現場では悲鳴が上がっていた。ヴィオレット様が、例の思いつきを実行されていたのだ。
 大貴族が古着を着るなんて、と、衣装係の侍女と裁縫得意なメイドがこの世の終わりのようにさめざめ泣いている。
「なんで、なんでそんな事なさるんですかあ! そんな見窄らしいものをヴィオレット様に着せるなんて、わたくしの美意識が許しませぇんっ!」
 絹のハンカチを引き絞り、衣装係の侍女が言えば、
「ええっと、そこまでおかしいかな? リメイク……じゃない仕立て直しって、結構ありきたりな手段だと思うんだけど」
 悲鳴を上げる侍女に、ヴィオレット様はきょとんとした顔で「そうかなぁ」 と首を傾げている。
「ヴィオレット様ぁ、それは庶民の話ですよぅ! 大貴族様がするような事ではありませんっ!」
 いや、本当に一体何事だこれは。話が全く分からないぞ。
 そんな悲鳴飛び交う現場を前に、礼儀作法教師のサビーヌ様は入り口に近い場所に設けた椅子に座って、頭が痛いとばかりに眉間を押さえている。彼女の役目はこの場の監督役、といったところだろうか。
 私はとりあえず状況を確認する為にも、サビーヌ様の近くへと向かう事にした。
「……サビーヌ様、何故止めないのですか」
「エルネスト、遅かったですね。ええ、わたくしは止めましたよ。ですがヴィオレット様の意思は固かったのです」
 阿鼻叫喚を前に、サビーヌ様は重々しく語る。
「そうですか……」
 私は思わず同情の眼差しを向けた。教師役とはいえ、高位貴族の決め事を止められる程の権限をサビーヌ様が持っている訳も無い。彼女もまた巻き込まれたのである。
「それでも、以前のように夜会に尻込みせずに前向きな事は良き事です。この際、失敗も一つの学びかと思い今は静観しております。それにどうせ、心配性の貴方の事です。上手くいかなかった時の穴埋めもあるのでしょう?」
 ちらりと私を見上げたザビーネ様に、私は苦笑を返す。
「はは、そこまで読んでいましたか」
「ええ。そこは心配していません。貴方は昔から心配性ですからね」
 サビーヌ様はヴィオレット様の思い付きが最初から上手くいかないと思っておられるようだ。それは私も同意である。が、ヴィオレット様なら何かを成し得るかも知れないという期待も僅かながら持ってしまう。数々の新事業を提案し、この領をどん底から救ったその手腕を、もう一度見たいと思ってしまうのだ。
 この辺りは、従者として主人に惚れた弱みというものだろうか。こう見えても、男女としてでなく人としてヴィオレット様に心酔している自覚を私は持っているのだ。
「それよりも……第八王子殿下のご愛人との噂の男爵令嬢ですが、見覚えのあるドレスを着ていらっしゃるのは何故でしょうか? エルネストは理由をご存知ですか」
「……サビーヌ様もやはりお気づきに?」
「ええ。あの体に吸い付くような立体的な縫製や、大胆な大柄の刺繍。簡素に見えても手が込んだ仕立てなど、どう見てもあれはヴィオレット様の……」
 私はそこで人差し指を唇の前に立てた。彼女はハッとした顔で押し黙る。
「……サビーヌ様から見ても間違いはありませんか」
「ええ。わたくし、ドレスならば何時何処で何方が着ていらしたか判別可能です。そして……かの赤薔薇はわたくしの為に幾つかの意匠《デザイン》を考えて下さいましたが、男爵令嬢のそれと酷似しています」
「……成る程」
 以前から気になっていたドレスの件だが、これで確信を持てた。彼女が着ているドレスはサビーヌ様に渡される筈だったドレスが元となっているようだ。しかし、問い質すにも第八王子殿下の話によれば相当に扱い難い性質のようだからな……さて、どうしたものか。
 私達がそんな話をしている間にも、現場は混沌とした空気に包まれている。
「無理です、どうやったって目端の効く方々に見破られてしまいますよ」
「何より、私達の姫様が、晴れの舞台で古着を着るなんて思ったら切なくって……!」
 衣装係の侍女殿は「夢の塊のようなドレスが大好き!」 と言って憚らないご令嬢で、ヴィオレット様を誰より美しく着飾らせる事を矜持としている。その為に付き添い役で夜会に向かう時など、目を輝かせて最新の流行を見定めてくるような人物だ。
 それが古着を繋ぎ合わせたドレスを着せるなど、とても矜持が許さないのだろう。
「大丈夫大丈。こう見えてもコウコウセイの時とか、ブンカサイの時に主人公役になった友人の為にドレス縫ったりしてたし!」
「所々意味が分からないですが、ご友人の為に縫った事がなんで自信になるのかわかりませぇん!」
 にこやかにヴィオレット様は謎の言葉を交えて自信ありそうに言うが、衣装係の侍女は頑として譲らない。
「ええっと、つまりはドレスの知識はそれなりにあるよって事よ‼︎ 試作にゴスロリ調から古典的なやつまで、型紙何個も調べたし! その流れで、マンガ……じゃない演劇とかの登場人物の服をコスプレ趣味の友人に何回も作ったし!」
「ヴィオレット様の知識がある事はわたくし達も承知しておりますがぁ、それがお仕立て直しに何か関係するのですかぁ!」
「え、あれ、そういえば……今回はリメイクな訳だし、この場合関係……少ないのかな?」
 侍女とヴィオレット様は、同時に首を傾げた。
「ま、まああれだわ、やって見ないと分からないよ、うん‼︎ さあ、頑張ろう!」
 ヴィオレット様の前向きなのか考え知らずなのか分からない号令と共に始まったドレス作り……それは笑いと悲鳴が混じる、何とも言えない日々となる事を予感させたのだった。
 次の日も、書類と格闘する傍らにヴィオレット様の部屋を覗けば、そこでは悲鳴が上がっている。
「とりあえず昔の夜会ドレスを半分ほど解いてみた訳だけど、どうかな?」
 ヴィオレット様が普段着のドレスの袖を絡げ、忙しく布地を整理する侍女達の間を行き来している。自然と監督役となったサビーヌ様は部屋の隅で椅子に座り何とも言えない顔でそれを眺めていた。
「黄色のドレスを揃えてみましたが……やはり、季節感がグチャグチャでそのまま繋ぐ訳にはいかないです……!」
「青色は素材こそ揃いましたが、色合いの違いがどうも……」
 布地を手に真剣な顔をしている女性達は、下手な声掛けも憚かる程に集中している。
「あ、赤も足りませんですねぇ……」
「緑はちょっと枚数が無く、別の色を繋ぐ訳にも……」
 申し訳なさそうに言う使用人達に、腕を組んで周りをぐるぐると回っていたヴィオレット様が難しい顔をして言う。
「うーんそうかあ。じゃあ、繋げそうな衣装にレースとか刺繍とか足すのはどうかな?」
「大掛かりな刺繍ともなると、今からでは時間が足りません。かと言って少しばかり足しても印象が変わるかと言うと……」
「ああそっか、手縫いかあ。刺繍ミシンがないと無理だよねえ。うん、無理言ってごめん」
 解いた布地の山を前に喧々轟々と、侍女やメイドが混じりやっているのを見るのは何というか……壮観というより壮絶だ。忙しさと間近に迫った夜会との板挟みで、ヴィオレット様と侍女達の間にあった溝のようなものが埋まっていくのは、怪我の巧妙というやつか。
 私は扉を静かに閉じた。

 その日の夕刻である。
 何時ものように裏庭に報告に向かうと、何時もより疲れた顔をしたリュシー殿が待っていた。
「リュシー殿、お疲れ様です。顔色が優れませんが何か……?」
「ああ、エルネスト殿、実は……!」
 リュシー殿が珍しく声を荒げて言うには、現在城に宿泊中である男爵令嬢が騒動を起こしたらしい。突然現れたかと思えば恋人だのと妄言を吐き殿下を怯えさせ、次は何をやらかしたんだ? つくづく、件の令嬢は問題を起こしやすいようだ。
「どれから話せば良いものか……とにかく、色々と問題がございまして」
 混乱した様子のリュシー殿は、胸元で両手をぎゅっと握り締めながらポツリポツリと話し出した。
 ……その話はとても長く、全てを話し終わるまでに夕焼け空が闇に沈んでからもしばらくの時間を要した。
「ええと、リュシー殿の言を纏めますと……衣装係のメイドを騙し、衣装部屋からドレスを盗もうとしたのをリュシー殿が阻止したのが一件、裏庭の洗濯物を漁っている姿をメイドに見咎められ逃げたのが一件、更に、ヴィオレット様の書斎の扉を乱暴にこじ開けようとしている姿を見つけ、不審者として騎士団詰所に連れて行かれたのが最新、となりますか……」
 何だそれは。新手の盗賊か何かか。
 整理し直しても貴族令嬢の仕業とは到底思えぬ卑しい行動に、何だか頭がくらくらとしてきたぞ。
 ちなみに現在は詰所の尋問室で黙秘を貫いているそうで、第八王子殿下が来れば全て話すと言っているそうだ。面会を求めたとしても、男爵令嬢に苦手意識を持っている殿下が素直に会うとは思えないが。
「あの、これはエルネスト様を疑う訳ではないのですが、確かにあの方は男爵家のご令嬢、なのですよね……?」
 おそるおそるといった様子で、リュシー殿が聞く。
「ええ、その筈です……私も自信が無くなってきましたが。本当に、あれは男爵令嬢なのだろうか? 何かの間違いでは……」
 思わず頭を抱える私に、リュシー殿は同情の眼差しを向けてきた。
「わたくしも同じ気持ちです……」
 私達はそのままじっと互いの瞳を見つめ合い、深い溜息を吐いた。
 ――ちなみにその後の結果だが、第八王子殿下に面会拒否された男爵令嬢は黙秘を貫いたまま、領外退去となったそうである。

サポートして頂いた場合、資料代や創作の継続の為に使わせて頂きます。