見出し画像

令嬢改心3-6:新しいドレス? ございます。

「……ヴィオレット様、本番も間近です。当日の着付けを考えれば直しに入らねばならぬ時期ですから、お諦め下さい」
「え、そんな時期なの」
 ここしばらく、すっかり裁縫部屋となっているヴィオレット様の私室。
 ドレスを解いた布だのレースだのが所狭しと並んでいるその部屋で、サビーネ様が終了の報せをヴィオレット様に告げた。
「はい。もう一週間前となっております。婚約式の後は最早公爵家の後継者として恥じない働きを見せねばなりません。これがご友人方とはしゃげる最後の機会かと思われますので、悔いの残らぬ夜会になるよう、わたくしとしてはお止め致します」
「でも……肝心のドレスが」
 悄気《しょげ》た様子で俯くヴィオレット様の手元に残った裁縫道具等を片付けつつ、私はさらりと「ございますが?」 と言った。
「あるの!?」
 一斉に手を止めて事の次第を伺う侍女やメイド達を横目に、ヴィオレット様は勢い込んで言う。
「はい。ヴィオレット様によくお似合いの、薔薇色のドレスが」
 目を丸くしてまじまじと私を見上げたヴィオレット様だが、次第に困惑したように首を捻ると何故だか小声で問う。
「それって、あれよね? わたしが商人さんに断ったやつ。え、何であるの」
「何事ももしもが御座いますゆえ」
「つまり、わたしが失敗した時用に確保してたということ?」
「端的に申し上げれば、そうですね」
 私が真面目な顔で頷くと、ヴィオレット様は数拍ほど置いてがっくりと頭を下げた。
「はあ……信用ないなぁ……まあ、結果的に助かったし文句は言わないけど。あのドレス、可愛いし。ということで、今回は色々と準備が足りなかったし、ここで諦める事にしよう。みんな、私の思い付きに付き合わせてごめんね」
 ヴィオレット様がお諦めになった事を皮切りに、部屋に散らかった素材をメイド達が片付けていく。それを横目に私は笑顔でヴィオレット様へ感謝を述べた。
「寛大なるご配慮、有難うございます」
 深々と頭を下げた私に、ヴィオレット様は唇を尖らせて不満そうに呟く。
「それ、なんか嫌味っぽい」
「そんな事はありませんよ? 勝手な判断を寛大にも許して下さるとは、本当に主人に恵まれていると感激しております」
「更に嘘っぽさが増えたんですけど……」
 と、ヴィオレット様はぶつぶつ言いながら私を不機嫌そうに唇を尖らせ見上げてきた。なんですか、子供ですか。
 ……それにしても。
 ヴィオレット様とこんな軽口を交わせるようになるとは、心が幼くなって以降信じられない程の関係改善ではないだろうか。
 何せ目覚めてからのヴィオレット様ときたら、よく分からないからと執務に後ろ向きであったり、礼儀作法の授業を逃げてメイドの真似事をしたりと、まともな会話も出来ない有様であったのだから。
「あーあ、なんだかわたしエルネストに上手く扱われてる気がする……」
 そんな風に拗ねるヴィオレット様を見れば、私への警戒度が下がったのだな、としみじみと実感する。とはいえ、記憶の抜け落ちた様子のヴィオレット様からすると、以前のような信頼にはまだまだ足らないのだろうが……。
「――うーん」
 私が裁縫道具等をメイドに預けてからヴィオレット様の下に戻ると、部屋の隅の肘掛け椅子に座り手元のドレスを見ているヴィオレット様が唸っていた。
「どうなさいましたか」
「これね、今回試しに色が合いそうだなって繋いでみたドレスの一つなんだけど、解くのも何だし、何よりせっかくみんなで作ったのに使われないの勿体ないなあって思って……」
 と、ヴィオレット様はじっとドレスを見る。それは薄青の布を集めて繋ぎ直したドレスだ。胴の部分とスカート部分を別のドレスから取ってきたものだが、不思議と調和が取れている。
 そこで、今まで黙って見ていたサビーヌ様が眉を顰め、制止の声を上げた。
「ヴィオレット様、勿体ないはおやめ下さいと」
「分かってます、サビーヌ先生。これを着て夜会に出ようなんてもう思ってませんよ。わたしから見てもまだまだだなーって思う所ありますし。ここのレースの処理とかもう少しどうにかならなかったのかなぁって……。やっぱりリメイクって言っても、素人がやるものじゃないですよねぇ」
 そう答え、苦笑するヴィオレット様に、サビーヌ様は何とも言えない複雑そうな視線を向けた。
 サビーヌ様のお気持ちも分かる。ご自身は倒れた際の衝撃でか忘れていらっしゃるようだが、自らがドレスメーカーを起こし、それを副業として成功させるなど美的感覚と商才に優れているヴィオレット様だ。
 そんな方が己の指導したドレスに対し素人仕事と評すのは、なかなか心臓に来るものがある。
 何よりも、ああでもない、こうでもないと侍女らと創意工夫している間に壁のようなものが薄れていき、今では随分と自然に主従として声を掛け合えるようになっている。貴族に向いていない、始終人が居て息が詰まると……そう嘆いていたヴィオレット様が、率先して皆に話し掛けている姿を見れば、この時間は無駄ではなかったのだろうと私は思うのだ。
 しみじみと主従の関係改善について考えていると、ヴィオレット様は突飛な事を言い出していた。
「うーん、またタンスじゃない衣装部屋の肥やしするのも嫌だし。せめて、貴女が部屋着にでも使ってよ」
 そう言って、率先して手伝ってくれた衣装係の侍女にドレスを渡そうとしたのだ。侍女は悲鳴を上げた。
「む、無理ですよう、こんな高価な生地のものを部屋着になんてぇ! わたくし想像するだけで震えが来ますぅ!」
 それは嬉しさとは違う意味での悲鳴であった。そしてその悲鳴に、皆は声を揃えて笑ったのだ。
 ――それはとても和やかで、平和な午後のひと時であった。

 ドレス問題が片付いた翌日の事である。
 気づけば何と、もう夜会の十日前だ。時が過ぎるのはつくづく早い。
「サビーヌに呼ばれて来たんだが……何だヴィオレット、随分めかし込んでいるが夜会のドレス合わせか?」
 コココンと素早いノック音と共に開いた扉から顔を出したのは第八王子殿下だ。
 ここしばらく顔を見てないなと思ったら、例の男爵令嬢に追い掛けられた後遺症で、騎士団寮からなかなか出られなかったらしい。
「あら殿下、いらしたんですか。そうです! 次の夜会も迫っているので、今日ちょっと合わせてみたんです」
 そう言いながら、開いた扉を支えている殿下へ近づくヴィオレット様。何とは無しに明るい声であるのは、殿下が煩くない人だからだろう。
「とりあえず、そんな所にいないで入って来たらどうです?」
「ん? いやサビーヌからの要件を聞いたらすぐ訓練に戻ろうと……」
「そうは参りませんよ、リュカ殿下。今日よりダンスの訓練をさせて頂きます」
 しかめつらしい顔をしてサビーヌ様が言えば、リュカ殿下は「げっ」 と嫌そうな声を上げた。
「僕だってダンスのステップぐらい覚えてるさ! 別に覚え直す事なんてないだろう」
「そうでございますか? その割に、リュカ殿下は夜会の際ご友人と話すばかりでダンスは熱心でいらっしゃらないご様子ですが

「……友人と話す機会なんてなかなか無いんだ。別にいいだろう」
「そうは仰いますが、リュカ殿下は次の夜会では格好の好奇心の的……いえ。いつも殿下はヴィオレット様との最初のダンスのみで済ませますが、今回は独身最後と言って過言ではない夜会ですので、多くの淑女から声が掛かる事でしょう。そこで、わたくしは次期公爵閣下であるヴィオレット様付き礼儀作法教師として、殿下にも相応の社交を求めます」
「何だと?」
 ムッとした顔をする殿下。
「今まではヴィオレット様の類い稀な舞踊技術により、リュカ殿下の粗も隠せましたが、他のご令嬢方が殿下の奔放なダンスに付いていかれるか分かりません。ヴィオレット様の伴侶として、リュカ殿下もまた恥ずかしくない振る舞いを願いたいのです」
「ぐっ……そうだな、ヴィオレットも病明けだし、いつものように踊れるか分からないからな。ダンスの練習もいいだろう。ここは狭いし場所を移すか」
 ご自身に思い当たるところがあるようで、殿下は不満そうな顔をしながらも言葉に従う。……負け惜しみか、自分から言い出したような口ぶりではあったが。
 ――場所を移し、ここは城の遊戯部屋。
 普段は公爵閣下が招かれたご友人とカードゲームやボードゲームなどをする紳士の集いの場となっているが、この数年はこの部屋も閑散としたものだ。
 まずは男性使用人らに手伝って貰い、埃除けの布を被せたテーブルや椅子を端に寄せる。とは言っても普段から空気の入れ替えや遊具の手入れぐらいはしているので、そう手間は掛からない。
 四半刻程掛けて用意した部屋に、本番の衣装を着られた殿下とヴィオレット様をお招きし、これでようやくダンス練習の準備は完成だ。
 伴奏の鍵盤楽器《クラヴザン》でダンス曲を弾くのは、芸事の得意なリュシー殿の役目である。細い指先が美術品のような鍵盤楽器のキーを押し下げる。旋律が流れ出せば、後は片手を高く掲げ、もう片手を互いの腰に当てる最初の型から、優雅に舞踊を始める主人達。そうともなれば、私は見物人と化すばかりである。
「リュカ殿下、女性は剣のように振り回すものではありませんよ。そう、優雅に丁寧に扱って。ヴィオレット様、殿下の振りに引きずられないで、きちんと自分で拍子を取って下さい、はい、一、二、そこで回って一、二、殿下早い、ヴィオレット様は半歩遅れています二、三……はい、今の調子でもう一回踊って頂きます」
 厳しい指導に目を回すヴィオレット様だが、殿下が嫌そうな顔をするのをを見て、堪え切れない様子で笑っている。
「おいヴィオレット、僕だけのせいにするな。お前も叱られてるんだぞ」
「分かっていますよ。わたし基本的に人の注目集めるの苦手ですし、そうなると足が縺れそうになるんですよね。今も侍女さん達の視線に舞い上がって間違えないか冷や冷やです」
 どちらかと言えば裏方が好きでしたからねぇ、とヴィオレット様が言えば、殿下は不審そうな顔をする。
「はあ? お前が? 嘘だろ。夜会となれば自分が一番注目浴びてないとむしろ腹立ててたろうが」
「ええっと……そうでしたっけ? あはは、だとしても今は本当ですってば」
「お二人とも、仲が宜しいのは結構ですが足が止まっています。はい、最初から」
 その様子にやれやれと二人を見つめるサビーネ様だ。だが私は仲睦まじいお二人の様子に少々心配である。――今更、恋愛なんて、本当に勘弁だ。それでなくとも問題は山積みであると言うのに。

サポートして頂いた場合、資料代や創作の継続の為に使わせて頂きます。