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令嬢改心3-7:突然のお誘いは困ります。

 ドレスの件がようやく片付いたことで、いよいよヴィオレット様は逗留中のモルガーヌ侯爵令嬢と会わざる得なくなった。
 此度の長逗留についてはあちらの突然の訪問が発端であるが……。
 当のモルガーヌ様は、逗留中もここぞとばかり北方の地方貴族の夜会などに顔を出し、宮廷貴族の味方獲得に費やしていたようで、その抜かりのなさに舌を巻く。
 大層のご活躍で何よりであるが、それはそれとして、長く待たせてしまった事も確か。
 ヴィオレット様などより余程の苛めっ子気質な彼女の事だ、何を言われる事やらと冷や冷やしている。
 地方貴族についてはこちらも対策は立てている。ヴィオレット様のご友人でもあるサビーヌ様の夜会再デビューを予定より少々早めに行い、牽制に当たって頂いたのだ。
 と、思考がかなり逸れてしまった。それよりも今は心幼くなられたヴィオレット様への注意が先である。
「良いですか、ヴィオレット様。モルガーヌ様はお可愛らしい外見に騙されがちですが、大変に油断ならない方です。言葉一つ取っても、かのご令嬢の手に掛かればたちまちの内に失脚の種となります」
「可愛らしい外見のお嬢様で、油断ならない……うーん、上手く想像がつかないんだけど……」
 ヴィオレット様は自室のティーテーブルに着き、首を傾げている。
「ヴィオレット様、失礼ですがどれぐらいモルガーヌ様の事を覚えていらっしゃいますか」
「ええっと、宰相の五番目の娘さんで、背はわたしと同じくらいね。高くもなく低くもなく。赤い髪に緑の目の可愛らしいお嬢さん……かなぁ。後は、昔はあのぱっちりとした大きな目に憧れてたような? わたし、目つき悪いし。それからええと、同じ年だからか、なんか王都の国王様主催の夜会の度に会ってたような? それぐらいかなぁ。貴族令嬢は一杯いるし、個人の事はあんまり覚えてないかも」
 猫足の椅子の上で視線を宙に投げ、必死に思い起こすような様子でヴィオレット様は私の問いに答える。
「わたしのぼんやりした印象だと笑顔の素敵な可愛い子、なんだけど……エルネストにとっては怖い人、なのね?」
「はい」
「うーんそうか……なら、なるべくへんな事言わないように注意しとくよ」
 と、仰ったヴィオレット様であるが……。
「お久しぶりね、ヴィオレット様。普段夜会でよくお会いするから、一ヶ月以上お会いしないと何だか新鮮な気が致します」
「そ、そうですねえお久しぶりですモルガーヌ様。きょ、今日も笑顔が素敵ですね、あはは」
 ほんのり口角を上げ目を細めて、貴族のお手本のような笑みを浮かべたモルガーヌ様に対し、ヴィオレット様はそう言って歯を見せて笑う。ああ、礼儀作法の授業であれほど言われたのに、表情の変化が大き過ぎる。
「まあ、ありがとうございます。そう言うヴィオレット様も、まるで庶民のようなあけすけな笑顔が素敵でしてよ」
 早速のモルガーヌ様の嫌味だ……これは、最初から勝負が見えていそうだと私は内心に頭を抱える。
「それよりもヴィオレット様、お身体の具合は如何かしら。先月の夜会で突然倒れられたと聞いて大変心配でしたの。最近はどのように過ごされていて?」
「ええっと……」
 チラチラとこちらを見るの、やめて下さい。執事の私が動けば余計にモルガーヌ様におかしく思われてしまいます。
 私が努めて無表情を貫いていると、ヴィオレット様は諦めたように肩を落として前を向き、自分で話し出した。
「そうですね、倒れてからは少々その……体調を優先して、前程活発に夜会などに出られなくなっていまして。それに婚約の準備もありますし、余計にですね。ご心配をお掛けしたならすみません」
「まあ、そうでしたの。確かに婚約式も近づいておりますしね、納得しました。しかし……ヴィオレット様の居ない社交界は寂しいものでしたわ。ですが勿論! ヴィオレット様が居ない分わたくしが若手女性貴族の代表として活躍しておりまして、皆様にご満足頂けたものかと思っております。それはそれとして、社交界の華とも呼ばれるヴィオレット様が居ないと張り合いが無いというもの。わたくし、早くの復帰を願っています」
 そう言って、にっこり笑うモルガーヌ様。これはこれは、随分と高尚な嫌味である。ヴィオレット様が居なくても私が居るから社交界は問題ないとでも言いたいご様子だ。
「ありがとうございます。そう言って頂けると心強いです。わたしも早く復帰出来るように励みますね」
 そしてヴィオレット様は嫌味を理解せずそのまま流した。ああいや、ここは逆ににこにことした笑みが嫌味に見えもするか。
「うふふ、余裕ですねヴィオレット様。わたくしこのまま、ヴィオレット様の信奉者を全て受け入れてもよろしいのよ」
「ふふふ、わたしの信奉者? そんな人いたでしょうか。いずれにせよ、モルガーヌ様がわたしの抜けた分を埋めてくださっていたなら感謝しないと」
 おっと、ここに来てヴィオレット様が高度な嫌味を。ああいや、あの純真無垢な笑みからすると本気で言っているようだな。モルガーヌ様もこの嫌味のような本気の感謝のような答えに、どう受け止めるべきか悩んでおられる。
「……そうですの。ヴィオレット様から応援頂けるなら、本気でわたくし若手貴族の代表に立とうかと思います。ご支援、頂けます?」
 これはいけない。相手の罠に掛かり思わず頷きそうになるヴィオレット様を遮るよう、私は一歩前に出てモルガーヌ様へ言った。
「お話の途中申し訳ございませんが、お茶がすっかり冷めてしまったようですね。当家のお茶は特に香りが素晴らしいので、是非とも暖かいものを飲んで頂きたいのですが。モルガーヌ様、お代わりは如何でしょうか」
 私の意図に気づいたモルガーヌ様は緑の目を輝かせて睨んだ。
「ちょっと、エルネスト。貴方下がりなさいな。わたくし今ヴィオレット様と大事なお話の途中なの」
「おや、どうしてそのようにお急ぎになられるのです? 本日は万難を排して会席をご用意致しましたので、お時間はたっぷりとございますよ。優雅なモルガーヌ様らしくも無い性急ぶりに、私大変驚いております。そう焦らずに」
 私がわざとのようににっこりと笑顔を浮かべると、モルガーヌ様は頰を赤らめて悔しそうに視線を逸らす。
「わたくし、焦ってなどいません!」
 そんな私達のやり取りに、ヴィオレット様は「二人ってなかよしなのね……」 と、間の抜けた事を言っていた。

 熱いお茶を入れ、一旦仕切り直しとなったところで、モルガーヌ様の守護騎士が私に話し掛けてきた。
「なあ、あのヴィオレット様本物か? よく似た他人とかじゃないよな」
「本物も何も、ヴィオレット様に偽物などおりませんが」
 彼が首を捻って言うのも仕方がないだろう。かつてのヴィオレット様とモルガーヌ様ときたら、顔を合わせるなりそれはそれは楽しそうに高度な嫌味の応酬を行い、美辞麗句を並び立てながらもお互いを蹴落とそうとしていたのだから。
「俺の記憶だとヴィオレット様はお嬢と引けを取らないぐらいの切れ者だ。あんなのほほーんとした、そこら辺に一山幾らで売ってそうなご令嬢じゃなかった筈なんだがなあ」
 そう言って硬そうな短髪頭を掻く彼に、ええ全くと内心頷きつつも、私は笑顔で反対の事を返す。
「主人も病み上がりでありますし、何よりそう簡単に奪われるような地位を誇っておりませんので」
「けっ、よく言うよ。お嬢を甘く見るなよ? あんな可愛い顔しておいて本当にえげつな……」
「ちょっとそこの騎士、聞こえていてよ。主人の事を腐す暇があるなら騎士らしく警護の真似事でもしなさい。同じ騎士身分のエルネストが居るからといって、だらけていい訳じゃないのよ!」
 モルガーヌ様のお叱りに、守護騎士はゆっくりと彼女へ近づくとソファの背凭れに手を掛け、己の主人の顔を覗き込むようにしてニヤリと笑った。
「おいおい、真似じゃねぇって。オレはいつでも本気ですよ?」
「ならその余計な口を塞ぎなさい!」
「へーへー」
「返事は一度! それとはいと言いなさい、だらしのない」
「はいはい」
「もうっ本当に私の騎士は憎たらしいったら」
 軽妙な主従のやりとりに、ヴィオレット様がクスクスと笑う。
「騎士さんと一緒だと、モルガーヌ様も普通の女の子みたいね」
「そうですね。あそこの主従も長いですから」
 ほんの少し、肩の力の抜けた様子のヴィオレット様に私はほっとする。警戒の余りに相当脅しつけたので、常になく緊張していた様子だったからだ。
「ああもう、本当に可愛げのない。わたくしもエルネストのように主人を立てる使用人が欲しいわ」
「え、それはダメです」
 モルガーヌ様の嘆きに、思わずといった様子でヴィオレット様が反論する。
「駄目、ですか。ふふ……」
 至極おかしそうにモルガーヌ様が笑う。きょとんと目を丸くしたヴィオレット様が「何か?」 と問い掛けた。
「いえ、お気に入りの玩具を取り上げられる子供の物言いのようで可笑しくって。ふふ、ふふふ……」
 そのままクスクスとしばらく笑ったモルガーヌ様は、笑いを収めると真剣な顔をして言った。
「ああ、やはりどうしても此度は見過ごせない。単刀直入に申します、ヴィオレット様。わたくしに次の夜会の招待状を寄越しなさい」
「はい?」
 いきなりの言葉に首を傾げたヴィオレット様に、モルガーヌ様はしたりと笑う。
「そう、喜んで招待状を下さる、と仰るのね。ではエルネスト、そのように。わたくし、今日もこの後夜会に参加する予定が詰まってますの。ヴィオレット様、本日はお時間を頂いて本当にありがとうございました。当日楽しみにしております」
「……はい?」
 ああ、言質を取られてしまったと、私は内心に頭を抱える。むざむざと政敵を己の夜会に招かぬよう、あそこは即座に断るべきだったのに、その機会をヴィオレット様は逸してしまった。
 常であれば、『ただでさえわたくしの都合で長い間引き止めてしまったのに、中央の華をこれ以上我が領に引き留めるなど出来ませんわ。モルガーヌ様は無骨なこの地より華やかな世界で羽ばたいているのがお似合いです』 などと言い追い返していたところなのだが。
 言質を取られただけでなくその上で再会を願われたら、もう後がない。これではモルガーヌ様を招待しなければこちらの落ち度になる。
 モルガーヌ様の作戦勝ちだと私は諦めて、控えとして用意しておいた招待状をモルガーヌ様の斜め後ろに控える騎士にそっと渡した。……モルガーヌ様が来るとなれば彼女のお取り巻きであるご令嬢達も呼ばねばなるまい。北の武門と、中央の宮廷貴族の正面対決だ。これは当日大荒れだろうなと、密かに胃の辺りを押さえる私であった。

 嵐のような面会後、モルガーヌ様を玄関口までお送りする間に、彼女はポツリと漏らした。
「……がっかりだわ。まるで幼稚になられてしまったヴィオレット様。婚約者に感化されたのか、あれでは全く張り合いがないわ。あそこまで精彩がなくなってしまってはもう社交界の復帰も危ぶまれるでしょう。そうなれば、今後は若手女性貴族をわたくしが率いる事になる――その時、ヴィオレット様と共に夜会を制した貴方が必要になるわ。ねえエルネスト、貴方わたくしに着く気はない?」
 それは驚いた事に、勧誘だった。私は意表を突かれつつも、笑顔で否定する。
「ご冗談を。私は生粋の武門の生まれ。華やかな宮廷になど一番向かぬ男ですよ」
 一体、彼女は何を言いたいのだろうか。公爵令嬢の意図が見えない私は、ただ慇懃な笑みを浮かべているのが精一杯だ。
 それにしても、と楽しげに侯爵令嬢は笑い。
「冗談は貴方の方でしょう? リュカ殿下が此方へ逃げ込んだ次の日には、お二人の熱愛ぶりが何処ぞから聴こえてくるのですもの、本当に貴方の手は随分と長いこと」
「何の事でしょう?」
「ほほ、誤魔化しても駄目よ。舞い込んできたものが、与太話にしては余りに信憑性の高すぎる内容でしたからね。苦手な社交逃げるように、己の飛行騎獣を駆り一夜にして駆け抜け、愛しの婚約者の北の居城へ向かうなど……破天荒なリュカ殿下の如何にもやりそうな事。しかもお召し物やらお言葉まで詳細に知らされて」
 それは覚えのある話だった。少々盛ってはいるが、殿下の行動を王都の友人に世間話程度に書いた事はあったが、まあそれぐらいだ。
 その友人が王都の騎士団でそれなりに出世した人物であったり、彼が噂話好きだったりするのはただの偶然である。
「そうして、いとも簡単に王都の噂が立ち消えていく時、あの男爵令嬢どんな顔をしたか分かる? ふふ、見せたかったわ、あのあどけない顔が怒りに満ちていくところ!」
 そこで後先構わず殿下を追って敵地へ潜り込む男爵令嬢を眺めようと思い、モルガーヌ様は興味本位でこの地に来たのだとか。つまり、モルガーヌ様は男爵令嬢とは、全くの別口でやって来た事になるのか? てっきり件の令嬢の足となる飛龍便はモルガーヌ様が仕立てたものかと思っていたのだが……他に、高額な飛龍便を仕立てられるような黒幕がいる、と?
 私は引き攣りそうになる顔を懸命に堪え、慇懃な笑みを浮かべたまま彼女に聞いた。
「全くもって、貴女様の悪趣味は変わらないようですね。まさか件の令嬢の無様を眺めに来たとは」
「ええ、ええ。わたくし、この世で変わらないものは無いと思っているの。特に、心は揺らぎやすいもの。リュカ殿下はヴィオレット様を昔から憎からず思っているようだけれど、それでも二心が芽生えるかも知れないわ? ヴィオレット様とて、リュカ殿下には多少の情を抱いているようですけれど愛想を尽かすかも知れない。そうしたら、とても愉しいものが見られると思わない?」
「私はそうは思いませんね」
 にべもなく言い放つと、彼女はつまらなそうに絹の扇を広げる。
「つまらない人ねぇ、変化を楽しめないとは。まあ、貴方はヴィオレット様の味方ですしね。そう言うとは思いましたけれど……とにかく、わたくし退屈が苦手なの」
「ええ、存じておりますとも」
 何せ、執事となってからこちら、ずっとヴィオレット様の壁として立ちはだかる女性だ。よくよくその性格を知っている。互いを憎からず思っていた婚約者同士に己の取り巻きの美女を割り込ませ破談へ持ち込ませたり、逆に清純で知られた淑女の裏の顔を暴いたりもした。
 とにかく刺激のない毎日が嫌で、常に新鮮な話題を欲している人なのだ……まあ、多分にその話題を自らの配下によって作り出しているところがあるので、平和の破壊者とも言えるのだが。
「ふふ、気になる貴方に知っていただけて嬉しいわ。でもね、わたくしこう思うのよ。貴族の婚姻はとっても退屈だと。決まった事を決まった形でただ粛々と進めるだけだなんて、何てありきたりでつまらないものでしょう! だからこそわたくしは変化を求めるの。残念ながらあの小細工が得意な子は、平凡を装うにも計算高すぎてリュカ殿下の野生の勘に負けたようですけれど、まだまだリュカ殿下を誘惑する存在はあるかも知れませんものね?」
 目を輝かせ語る侯爵令嬢は美しいが、その内容は最悪だ。
 しかも彼女の予想は半分当たっているのだ。実際に男爵令嬢から逃げてきたこの地で、メイド扮するヴィオレット様に出会い、殿下は恋をしたのだから。
「モルガーヌ様、貴方のご趣味は本当に最悪です……で、そこで他人事のように見ている騎士殿」
「あん? 何だ」
「止めてくださいよ……」
「別にお嬢の悪趣味なんて今に始まった事じゃないだろうが。何事も諦めが肝心よ?」
「はあ……」
 私が溜息を吐くと、侯爵令嬢は高らかと笑った。
 そしてそれを、守護騎士はのんびりと見守るばかりだった……。

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