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令嬢改心3-8:執事ですが、魅力的な勧誘に困っています。

 正直に言えば、その勧誘は魅力的であった。この六年の間の研鑽を発揮する場として、王宮という魔窟は相応しいと思えるからだ。それに、名家の令嬢に高く評価される事は使用人とし誇らしい。
 しかし、私の脳裏に過ぎるものがあった。
 ――それは過去の光景。厩舎の中に逃げ込んだ、小さな主人の背中が震えている。
「お申し出は大変に有難いのですが、私にとって主人は一人ですので、お断り致します」
 きっと人は私の判断を愚かだと思うだろう。今のヴィオレット様は翼の捥がれた鳥だ。かつては高みを飛んでいたその鳥に焦がれたとしても、使用人風情が鳥と共に空から墜ちていくなど、最早正気ではない。
「……呆れたわ。貴方はもっと賢いと思っていたけれど、あの子供同然の主人と共に空から落ちる気? ……後悔しても知らないくてよ」
 鼻で笑うようにして言い切る彼女の目には、どこか同情的なものが浮かんでいた。
 それはある意味、昔馴染みの彼女からの助け船であったのだろう。主人が子供返りし、明日をも知れぬ我が身を思っての。
「ご助言も、ご配慮も有り難く思いますが、それでも……主人はあの方なのです」
「ああそう、勝手になさったら。けれどこんなの持たないわ。あの方はどなた様と今でも言いたいくらいよ。まるでわたくしを疑わないかのような受け答えと、素直すぎる振る舞い。まるでリュカ殿下に感化されてしまったようなヴィオレット様は、昔見た箱入り娘そのものだわ。泣き虫で引っ込み思案のただの少女が、どうして人を指導出来ます? わたくしが認めた好敵手はあんなみっともない方では無かった……」
 それは戦友を思う者の誠実な訴えだ。己と匹敵する者を高く評価するからこそ、その変わりようを彼女は嘆く。
「いっそ夜会で大失敗してしまえばいいわ。そうしたら、ヴィオレット様も貴方も覚悟が決まるでしょう。ああわたくし、その為に何が出来るでしょうね?」
 表情を隠すように扇を広げたモルガーヌ様は不吉な事を言い、守護騎士を連れて去っていく。
 私はその言葉に、返す言葉を失った。

 ――それは夢だ。そう自覚出来る理由は、私の前に幼いヴィオレット様の背中が見えるからである。
『ごめんね、ごめんねエルネスト。わたくしね、何も知らないし何も出来ないの。だっていつもそこに座ってればいいって、ただ笑っていればいいって言われてここまで来たわ。社交界に出る事もなく、それなりの年回りになれば知り合いの貴族の下に行くのだ、って。そう言われて育ってきたわ。まともな貴族の振る舞いすら出来ないこんな出来損ないが主人なんて、可哀想なエルネスト。無理やりこんな子供に仕える事なんてないのよ、だから、あっちへ行って』
 まだ小さかった私の騎獣、トゥルヌソルにしがみついて、涙声でヴィオレット様は呟いた。
『エルネストはすごいわ。一度間違えた事は二度と間違えない。比べてわたくしはどう? わたくしは幾ら気を付けても何度でも間違えるわ。間違えて、つまずいて、同じ事の繰り返し。ねえ、なんで笑わないの? 怒らないの? お役目、だからかしら』
 その時何と答えただろう? 未だ使命感も無ければ忠誠心もない頃であるから、きっと適当に答えたに違いない。
 騎士見習いから執事に転身したての私は、ヴィオレット様の横にどっかと座り込み、涙でくしゃくしゃの顔を覗き込むようにして何となしに言った。
『はあ、真面目だなあ。姫さんがそう《• •》なのは、別に姫さんのせいではないでしょう。教えるべき事も教えず、ちやほやと見た目だけ優しくして放っておけばそりゃ何も出来ないのは当然の話です。そこには何の学びもない。俺はまあ、昔から爺さんや親父の仕事を見る機会がありましたからね。放っとかれたのは同じでも、正直ヴィオレット様よりよっぽど恵まれてんです。条件が違うんだし、それに俺より真面目だし、一から学ぶ分、姫さんの方が伸び代もあるんじゃないですかね?』
 熱もなく、情もない、ただの無責任な放言にしかし、ヴィオレット様は泣き腫らした目を丸くした。
『違うの? 一生懸命ならいいの? 間違えてもいいの? ……そうなの。なら、わたくしもう少しだけ頑張るわ。見捨てない貴方がいるから、きっと頑張れるわ』
 それでもそんな使用人に、ヴィオレット様は涙を拭いながら笑って言ったのだ。貴方がいるから、と。捨てられないだろう、そんなの。そんな健気な人を、どうして捨てられると言うのだ――。
 ……懐かしい夢を見た気がする。
 寝汗に肌に張り付いた夜着が鬱陶しく、着替えようかとベッドから身を起こしたところで、忙しないノックの音が響いた。もしやと思って扉を開けると、そこには簡素なチュニック姿の殿下の姿があった。
「殿下、階下に降りてきてはいけませんよ」
「うるさいなあ、僕は珍しく弱ったお前が、少しばかり動けるようになったからと仕事に抜け出さないか見張りに来たんだ。大人しくベッドに戻れ」
 そんな事を言って、ぐいと背中を押すものだから、私はベッドに逆戻りするしかない。
 殿下は渋々とベッドに戻った私を見るなり、小机から椅子を引きずってきて跨ると、背凭れを抱え込むようにして何気ない様子で言った。
「で? お前が自己管理出来ないなんてまあ出会って十年で初めての事だが、何を悩んでいるんだ? 宰相のとこのモルガーヌ嬢に誘われたか。それで、宰相ん家に鞍替えしようか情に留まろうか悩んでる、とか?」
「……何でそれを?」
「てんで素直でちっとも怖くないヴィオレットと、それを親鳥みたいに大事に匿ってるお前見るとさ。僕でも簡単に拐えそうだからなあ。なあ、お前さ、ヴィオレットじゃなく僕の家来にならない?」
「なりません。しかし、拐うと言われましても……私は別に恋愛ものの歌劇の姫ではありませんが」
 私がきっぱり断ると「残念」 とさして残念そうでもなく笑い、殿下は明るい青の目を蝋燭《ろうそく》の光に揺らめかせながら話を続ける。
「お姫様じゃなくても、お前自身、ヴィオレットと侯爵令嬢の間で揺らいでいる気がするがな。大体こんな忙しい時に寝込むなんてお前ならあり得ないだろ。昔っから弱ってるところ見られるのが嫌いで、風邪引いても何でもないような顔して余暇を利用して体調を立て直すような負けず嫌いの奴が寝込むとか、かなりおかしいからな」
「……はあ。殿下には敵いませんね。そうです、正直迷っています」
 なぜこうも心が揺らぐのか。それは信じられないからだ……ヴィオレット様でなく、自分自身が。ヴィオレット様の下を離れても、モルガーヌ様の下で上手くやれてしまう自分がはっきり想像出来てしまう小器用な自分であるから、迷ってしまう。宮廷貴族と六年もやり合ってくれば、どう立ち回ればいいかぐらい分かり切っている。
 では何故、ここに留まるのかと言われれば、ヴィオレット様への情、公爵家への忠義、そういったしがらみだけで。
「まあ、別に公爵家に義理立てする必要はないだろ。良条件の勧誘があればそっちに移るのが使用人ってもんだ。その自由があるからこそ貴族に仕えているんだろ。そして出来る使用人に尊敬を受けるように、貴族も色々見栄を張る訳で」
「……貴族の見栄を分かっているというのに、ヴィオレット様にあの言葉ですか」
 私の溜息交じりの言葉に、殿下は表情を強張らせて硬直すると、気まずそうに視線を逸らして言う。
「わ、悪かったと今では思ってるよ、僕も。わがままで高慢で派手好きな困った奴ではあったけど、ヴィオレットは指導者としてはまともだったみたいだしな。こっちに来てお前が毎日整理してる書類の量見たら、ヴィオレットの仕事の量は次期公爵としても笑い事じゃない。流石は北の武門の纏め役ってやつで……周辺貴族からの苦情に、茶会や夜会の誘いに、それから何だ? ああ、地元の有力者からの陳情もあるか。あれの半分は僕の方に来るんだろ? 正直今から気が重くてなあ……」
「そう気弱では困ります。しっかり自覚してください」
「と言ってもなあ。正直僕では王都へのお使いとかさ、領軍への激励とか、今の兄上達の手伝いの延長上の事ぐらいしか出来そうもないし。書類仕事なんて記名《サイン》ぐらいしか役に立たんぞ。それでもせいぜい足を引っ張らないよう頑張るけどさ……まあともかくだ、お前はお前の機会を逃すなよ? 僕やヴィオレットに遠慮するな。お前はお前の、悔いのない人生を生きろ」
「はあ……全くもって頼りないですが、そうですね。よくよく考えてみる事にします」
 指折り数えて嘆いては、溜息を吐き頭を掻く殿下だが、余程彼の方が肝が座っている。
 比べて私はどうだ、今も揺らいでいる。思い切れない自分の優柔不断に、そろそろ嫌悪を覚えそうだった。
「じゃ、長居してるとお前も落ち着かないだろうし僕は帰る事にする。ちゃんと寝てろよ? せめて明日まではな!」
 見舞いに来たのか邪魔しに来たのか分からない殿下が帰った後、私はそっとベッドから降りると小机の鍵付き引き出しを開け、ヴィオレット様直筆のメッセージカードを探る。
 今欲しいのは揺るぎないあの瞳と、ヴィオレット様の声。でもそれは無理だから、せめてもとカードに縋る。弱い、自分を自覚する。
 ああ、けれど残酷だ。
 見つけたのは「もし、良条件の貴族に誘われたら」 と題したカード。何かの予感か、本の間から手紙も抜いてきてあるから、その場で読む。

「親愛なるエルネストへ。
 この手紙を手にした貴方は、その才を買われ良い条件で新しい職場に誘われている事でしょう。
 まずはおめでとう。貴方の仕事が認められたのです、誇りなさい。
 そして冷静に考えなさい。我が公爵家とお相手の家、その家格や影響力。そういったものを見極め、今後貴方に良い影響を与えそうな家を選ぶのです。
 わたくしは心配です。貴方は冷たいようで、優しいから。昔からそうです。貴方はわたくしを思う余りに厳しくして、その実心の中で悩むような人柄です。そこがまた、良い所でもあるのですが。
 いいですか。わたくしは勝手に無理をして壊れたのです。向かない事を無理とも言わずに独りでに立ち、結果的に壊れた。
 情に流されたところで二人で沈むだけです。壊れた私など置いて貴方は飛び立ちなさい。天高く舞い上がり、そして太陽の花の名を持つトゥルヌソルと共に、世界を広く見るのです。
 それが弱い主人に懸命に仕えてくれた貴方へ贈る、わたくしの餞《はなむけ》です」

 美しい筆記の文面を追うも、動揺は収まらない。いや、むしろ一層酷くなっていて、私は訳もなく混乱した。
「分かっています、そんな事。でも弱い今の貴女を、捨てて行くなど――」
 そこに、控えめなノックの音が響いた。
 殿下がまた見張りにでも戻ってきたのかと思い、私は心配性の幼馴染を有難迷惑だと思いながら扉を開ける。
「ヴィオレット様……」
 しかし、違った。そこには三角巾で特徴的な灰みがかったピンクの髪を覆い、長丈のチュニックの上にエプロンを掛けた、メイド姿のヴィオレット様が居たのだ。
「こんな地下に尊き方が来てはいけません」
「お見舞いぐらいいいでしょ。だってエルネストが寝込むって年に一度もないって聞いたから、ちょっと心配になって来たの。もうそろそろお昼も回ったし、ご飯は食べてる? 食べてないならパン粥持ってきたから。あ、そろそろリネンも変えた方がいいかな。上から取ってこないと」
「あ、あの……」
「主人と使用人だから、とかは今はなしね。病人は遠慮しないで世話されなさい!」
 ヴィオレット様はそう言い切ると、小机に手に提げてきたバスケットを置き、てきぱきと私の世話をする。その様子は、とても初めて病人を看病する人間とは思えなかった。
 ……いや、その片鱗はあったのか。ヴィオレット様は孤児院の視察の時にはなるべく簡素な昼のドレスで赴き、孤児院を営む祖神教会の女性神官にエプロンを借りると、平気で孤児らに交じり、同じ目線で話しをし、同じ粗食を簡素な机を囲み食べていた。幼き孤児が粗相をした時も慌てず叱らず、汚れた口元や手を絹の手布ハンカチにて拭ったのちに改めて子らに手本を見せ、それを真似させて、上手くいけば褒美として果物などを下賜なさるような方だった。
 鉱山への慰問もそうだ。ただ貴族として偉ぶるのではなく、庶民らに交じり彼らの声を聞き、それを正しく吸い上げて指導なさろうとする。だからこそ慰問が遅れるとなれば不満が吹き上がるのだ。ヴィオレット様に聞いて貰えば職場が改善される、そんな希望を持った労働者らが怒りの声を上げるから、上役は彼らの不満を抑える為にもヴィオレット様を必死になって呼ぶ事になる。
 そう、ヴィオレット様は殿下の言う我が儘で、高慢で、派手好きな令嬢であると同時に心ある指導者であったのだ。だからこそ私は……。
「ほら、ぼーっとしてちゃダメだよ? 上からリネン持ってきたから、替えたらベッドに戻って、って、あ。夜着も汗吸ってるんじゃない? 替えはあるかな。人のチェスト漁るのも何だから自分で取ってね」
 日頃の頼りなさは何処へやら。ヴィオレット様は生き生きと私の……病人の世話をする。本当に仕事好きの人がする張り切った様子で、てきぱき動くその姿は、かつての頼り甲斐ある指導者の姿のようだった。そこに、私は光のようなものを見た。
 ああ、もしかして。指導者らしくない狭窄視野に染まっていても、ヴィオレット様の美徳は変わらないのではないか、と……それならば。
「着替えるなら、一度外に出るから言ってね。汗はそこの清潔な布で拭って。そうだ、ちゃんと水摂ってる? って、手紙なんて具合悪い時に読んでちゃ駄目。余計に気持ち悪くなるよ」
 私が考え事に集中していると、さっと手紙を取られる。あっと思う間もなく、ヴィオレット様はそれを折りたたんで封筒に戻してしまった。自らの専用便箋である事すらも気にせず、である。
 小机の上に手紙を置くと、ヴィオレット様は命令口調で言った。
「はい。じゃあ着替えたらご飯ね。ちょっと水差しに水汲んでくるから、その間に着替えること!」
「は、はい」
 勢いに圧され、私は頷く。まるで世話焼きの母のような主人の姿に、私はかつてのヴィオレット様を見ていた。
 パン粥はまだほの暖かく、その日初めての食事は空腹の胃に染みた。
 しかし、メイドのリセを名乗るヴィオレット様の人脈を正直舐めていた。リネンや水、食事の手配。本来貴族が関わらない裏方の情報を入手し、確実に手に入れてくる手腕は大したものだ。
 私が内心に感心していると、ヴィオレット様はベッドの横に置いた椅子に座ってしょんぼりとうなだれた。
「うまくモルガーヌ様の追求を躱せなくてごめんなさい。結局夜会に彼女を呼ぶ事になっちゃって……」
「私も想定が甘かったのです、あそこまで単刀直入に切り込んでくるとは思っていませんでしたので」
 お互いに謝っていると、なんだか笑えてきた。
「ふふふ、そうだね、お互い謝ったしそこはよしとしよう。それにしても、見た目は可愛いのに怖い人だね。確かにあんなに頭の回転が早くて話しが上手いなら、みんなの注目の的だよね」
 腕を組んでしみじみと言うヴィオレット様に「ええ」 と答える。実際、総合力でヴィオレット様が上でも、モルガーヌ様は話術の面で長けていた。何せヴィオレット様と違いあの方には容赦と言うものがない。
「私、負けたくないな……」
 ヴィオレット様は食後の口直しと果実を剥きながらポツリと呟いた。
「え?」
「だって、負けたらエルネストがモルガーヌ様のところに行くんでしょう? せっかく仲良くなれそうなのに、迷惑掛けただけで終わるとか嫌だなって。もしもさよならするなら、その時はエルネストに恩返ししてからにしたいな」
 果実を睨みつけるようにして真剣な顔でヴィオレット様は言う。しかし、恩返し……と言われても。私は上掛けに潜ったまま首を傾げる。幼くなられたヴィオレット様には嫌われていたと思ったのだが、違ったのか。
「それにわたし、気になるんだ。あの、庭にお芋を植えようとした時。周りが見えてないって貴方や庭師さんに言われて、それからずっと考えている。わたしは何が見えてないんだろう、って……」
 ヴィオレット様は剥いた果実を私に渡すとエプロンに引っ掛けていた手拭きで果汁に濡れた指先を拭い、両手をぎゅっと握る。私は目を見張った。これまで周りしか見えていなかったヴィオレット様が、もっと広い視野で考えている。
「ヴィオレット様……」
 私は上半身を起こした。体調など後回しだ、今、この時を逃してはいけない。
 主人は自ら成長しようとしている。
「わたし、友達やメイドさんや、周りの人達を幸せにしたいって気持ちは今も間違ってないと思う。でも、もっといい形で、もっと沢山の人を幸せに出来るっていうなら、その方がいいのは分かるんだ」
 ――だから、教えて。それはヴィオレット様が幼くなられてから初めて見せる向上心であった。
「ねえエルネスト、私に足りない事を教えてよ。もう逃げないから」
「それならば、まずは一週間後の夜会に励まれて下さい。夜会は贅沢の為にあるのではなく、社交の為、ひいては公爵家ここにありと力を示す行為となります。だからこそ財を投じて貴族は夜会を行うのです」
 以前、殿下にも言った夜会の理由。ヴィオレット様が成長しようとしている今だからこそ、きっと受け入れて下さる筈だ。
「うん。そう言われると何となくわかるよ。つまり、ここにヴィオレットっていう貴族がいます、よろしくねってコウコクを打つみたいな事なんだよね。まずは知って貰わないといけなくて、それもこの貴族はすごいぞって思って貰わなきゃいけなくて。うん……コウコクモデルさんみたいなものなら、それは憧れて貰わなきゃいけないよね」
 うんうん、と頷きながらヴィオレット様は聞き慣れない言葉を交えて、自分なりに理解しようと努力している。
「夜会は、だからそう……ダイキギョウの周年パーティとか、新作発表会みたいなものかな。日頃ご愛顧して頂いている縁故を招いて、大々的に感謝のパーティーを催す。うん、それなら何ヶ月も前から色んな人を招いて大掛かりに催すのも分かる。うん……そっか、わたしお金持ちのお遊びだと思ってたからいけなかったんだ」
 よしっ、と言ってヴィオレット様は椅子から立ち上がった。
「要は、公爵家をただのお金持ちの家で、わたしはお金持ちの家の性格悪いお嬢様みたいに、どこか反感交じりに考えてたのがいけなかったんだ。庶民のわたしが出来る訳ないって言ってても、わたしはヴィオレットなんだし。キギョウとか、ジチタイの運営だと思えばいいんだよ。なら、看板になる次期シャチョウのわたしが貧乏っぽい格好なんかしてちゃいけないんだ……わたし、キャンペーンガールのつもりで頑張るよっ!」
 コウコク? だのモデル? だの、話の半分しか聞き取れなかったが、ヴィオレット様の中で問題となっていた部分は解消されたようだ。
「はい、よろしくお願い致します」
 私は異国語の響きに疑問を抱きつつも、前向きになったヴィオレット様を励ますようただ頷いた。
 その上で、少しだけ情勢を耳に入れておく。
「今、公爵家は岐路に立たされています。終戦から六年、武門は宮廷派閥にその存在を疑問視され年々肩身が狭くなっており、その上で近々、長年争いあっていた西の国と、初めての講和のようなものを結ばれようとしています」
「ええっと……戦争が終わってその国と仲良くできるなら良いことじゃないの?」
「ええ、良い事……なのですが、かの国は歴史を紐解きますと、例え終戦を謳っても、人の記憶の薄れる頃、国の頭が代替わりをした頃を機に、大体地方の野盗を真似て襲ってくるものでして」
「えっ、それただの嘘つきじゃない?」
 ヴィオレット様は目を丸くした。私は頷く。
「まあ、今回に限っては我が国の第五王子との婚礼込みですから、多少は……堪えてくれると良いのですが。何れにせよ、西の国とは小型の飛行動物で飛んで行ける距離という事もあり、昔からそういう、小競り合いを交えてのお付き合いをしている訳です」
「はあ……仲の悪い国が近いっていうのも大変なんだね」
「そうですね。で、そういった紛争の解決の為にも武力という備えは常に用意しておくべきものです。我が公爵家は、長年武門の長として北の貴族を率いてきました。その我らが、影響力を無くすということは?」
 ヴィオレット様はハッとした顔をした。
「……もし、隣の国に攻められても、守れない?」
 私は無言で頷く。ああ、やはりヴィオレット様は聡い方だ。幼い心になっても、こうして順を追って話しさえすれば理解していただける。
 私はこの時、やはりこの人を捨ててはいけない……そう強く思ったのだ。
「ヴィオレット様、貴女が無駄だと思ったものがどういうものかをご自身で考えて、高位貴族として夜会を成功されたならば、貴女が知りたい事を何なりとお教えしましょう。ですから……」

 ――夜会の日は近い。
 遠い遠い空の上、山の中腹に張り付くようにして立った城の地下。
 蝋燭の火が揺れる狭い部屋の中で、主従は誓った。

「分かった。それなら、夜会を成功させる。頼りになる先生や、少し困った人だけど協力的な婚約者も居るんだもん。一人じゃないからきっと出来るよ。わたし、十日後後の夜会を絶対にやり遂げてみせる!」
「ええ、それでこそ我が主人です」

 ――私の胸にはもう迷いはなかった。
 何故なら主人が迷いなく真っ直ぐに前を向いている。それが信じられるからであった。

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