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「成長」という言葉が嫌いな件

「また、成長したじゃん、良いじゃん!」
上司にこう言われた。
まあ、褒めてるつもりだろうし、自分なりに色々経験し、成果を出して、気づきを得たから、それなりにその仕事について分かったつもりだ。
だが、私は「成長」という言葉に、ものすごく抵抗がある。
そもそも成長ってなんだ?

つうか、何様?っと思っちゃうのは、私がひん曲がっているだけなのかもしれない。

成長という言葉が嫌いな理由は、職場で使われているこの言葉は、ただのスキル習得ではないのか?
Excelがうまく使えた、業務効率を上げた、営業先をうまく手のひらで転がせた。これは、全部スキルを習得した、ということではないのか?

もっと言えば、私にとって成長とは、身体的に大きくなったりすることで、発育的な意味が成長だと思っている。
身長が伸びた、それは間違いなく成長だ。

しかし、考え方がアップデートされたとか、学んだとか、できるようになったとかは、成長じゃない気がする。ただ、インストールされただけ、という感覚だ。自然に成長したという感じではない。
そう、成長とは人為的に引き起こせるものではない気がする。
果たして、範馬刃牙のお兄さんが、激痛に耐えてドーピングをして身長を伸ばすことを成長というのだろうか?むしろ、拡張だろ、と思う。

つまり総じて言いたいのは、成長は自然的に発生するものだ。意図的に経験し、人為的に発生したものは、成長とは言い難いと思う。強いて言えば、適応か?

だから、新しくプログラミング言語を習得したところで、成長とは言えない気がする。それは単なる、習得であり、適応だ。

だから、個人的には成長という言葉をあまり使いたくない。

けど、メンバーができなかったことを努力して習得したことは、なんと言えば良いのか?
「頑張って、適応しましたね。」
なんて、言ったら怪訝な顔をされるだろう。

「新しいスキルを習得しましたね。よく、めげずに頑張って努力しましたね。感心します!」
こんな感じだろうか?あくまで、努力したというプロセスを評価する。

残念ながら、新しいスキルは陳腐化が遅かれ早かれ起こる。
それよりも、また次のスキルを習得し、環境に適応するためには、粘り強く努力し、習得する力が求められる。ケイパビリティの開発が求められる。プロセスを評価した方が、メンバーは成長する。

あ、成長する、って言っちゃた。

、、、



なんか、どうでも良くなってきた。
要は、メンバーが今よりアップグレードされれば、本人にとっても、私たちマネージャーにとってもwin-winになる。結果が出れば良し!


結論!!

「成長」という言葉は、個人的には違和感ある。
しかし、メンバーがその言葉を受けて、前向きな気分になれば、良いんじゃね?


変なこだわりは捨てたほうが良いな。

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