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私が見た南国の星 第4集「流れ星」⑥

レオのこと


 ホテルに到着して車から降りた時、疲れも忘れるほど嬉しいことがあった。新年に私のところへやって来た子犬のレオが、玄関で私の帰りを待っていてくれたのだ。
「ただ今!レオ、元気だった?」という私の声を聞き、シッポを振って喜んでくれた。この子犬は北京犬で、毛並みは真っ白で、触っていると心が癒される。鼻はペチャンコだが、目が大きくて可愛い子犬なのだ。この時のレオは生後5ヶ月で、本当に可愛い時期だった。この犬がこのホテルに来た時は、生後1ヶ月だったので、生まれてすぐに母親から引き離され可哀想に思った。広州から飛行機で三亜市へやってきて、私と出会った時は、まだ母親が恋しくて寂しそうな様子だった。
 いつも私が一番怖いようで、叱られそうな時は自分で「ごめんなさい」と表現するかのように、仰向けになって動かない。そして私に許されるまでは、仰向けの状態で目をクルクルさせて待っている。悪い事をすれば叱られると知っているので、レオを呼んだ時に私の声が大きい時は、ゆっくり一足ずつ私の方へ歩いてくるのだった。レオには、このように小さい時から躾を厳しくした。悪い事をした時は、いつも私に叩かれていた。
 レオは雄なので、人間の男の子と同じように元気が良くて、「やんちゃな犬」だが、私には大切な子供なのだ。いつも一緒に事務所や部屋を行ったり来たりして、宿泊客にも可愛がられていた。本来ならば、ここはホテルなのでペットを飼うことは許されないが、田舎のリゾートホテルなので、政府の関係者からも黙認されていたのだ。社長からも私の生活に楽しみになるなら仕方がないと、暗黙の了解を戴いていた。

松岡氏が来る


 この日は日本から戻ったばかりだったが、本社での会議内容や、間もなく来られる副社長の松岡氏のことを阿浪に話した。阿浪も留守中の業務や、社員たちの様子を報告してくれた。夜中まで話をしていた私たちは、久しぶりの会話に花を咲かせたが、翌日は、いつもどおりの仕事が待っているので、朝まで話をしているわけにもいかず、
「阿浪、もう寝ましょう」
と、時計を見たら3時半だった。慌ててベッドに入ったのだが、やはり寝付かれず、結局、朝まで眠れなかった。
 暫く見ていなかった夜空の星も、以前と変わらずキラキラ輝いて、私の到着を喜んでくれているようだった。
疲れも忘れてさせくれそうな朝の眩しい光と新鮮な空気で七仙嶺も綺麗に見えた。
「やはり、私には海南島しか戻る場所はないのかもしれない」
そんな事を朝から考えていた。
 松岡氏は海南島に一人で来られるが、正直なところ苦手な上司なので、何だか気分がスッキリしなかった。しかし、今まで彼とは交流が少なかったので、今回は良いチャンスだと考え直すことにした。4月26日から5月3日の予定と聞いていたので、大型連休も重なっているので、忙しくなりそうだ。
 松岡氏から連絡が入り、上海経由で海南島へ来られると報告があった。三亜の空港には、夜の11到着予定だから、ホテルに着くのは夜中の1時頃になりそうだ。出迎えは必要がないと言われたが、いくら中国語ができる方でも、所詮は外国人なので、何か起きたら心配なので、とりあえず迎えに行くことにした。
 そして、何だか気の重い4月26日の朝がやってきた。朝から送迎車の点検や、客の応対で忙しく時間が過ぎていった。そして、夜11時の到着に合わせて、私たちは8時にホテルを出発した。国際線のロビーは観光客の出迎えの旅行社の社員たちで賑わっていた。ちょうど知り合いのツアーコンダクターに出会い、話に花が咲き、待ち時間もそんなに苦にはならなかった。
間もなくして、上海からの到着便の案内が放送された。機内から出口のゲートまでは、だいたい20分ほどの時間がかかるので、
「まだ、もう少し時間がかかりますから座って待っていましょう」
と、阿浪と馮さんに声をかけた。でも、阿浪は落ち着かないらしく、到着の人を一人ずつ眺めていた。松岡氏は手荷物も少なく、意外と早く出て来られた。
「あぁ、松岡さんですよ。早く!」
という、阿浪の呼ぶ声に驚いた私と馮さんは、急いで走り出した。松岡氏の顔が見えて、私たちもホッとして出口付近まで行って、
「お疲れ様でした」
と私たちが声をかけると
「ご苦労様、私は慣れていますから迎えはいらなかったですよ」
と言われ、どうして、もっと素直に「ありがとう」と言えないのかと思ったが、「上司ですから仕方がない」と聞き流した。内心は、
「これから始まる松岡氏と現地で発生するトラブルに、我慢が出来るのだろうか」
と、ふとそんな事を考えてしまい、少し不安な気持ちになった。       
ホテルへの帰り道は彼も上機嫌だったのだが、保亭県の町の明かりが見えてきた頃には、政府の話に不満の様子を露わにした。途中で話題を変えながら、車は保亭県の町からホテルへと向かった。町からホテルまでは時間もかからないので、阿浪はホテルの社員へ到着の電話を入れた。
時々、会話の中で北京語が出る松岡氏だったが、発音が聞き取れない馮さんは、困った様子だった。
 ホテルへ着いた時は、予想通り午前1時を回っていた。時間も遅いため、私たちはロビーで松岡氏と別れて部屋へ戻った。シャワーを終えた私は、馮さんと共に事務所へ向かうと、ロビー付近で松岡氏が見えたので、何か問題でもあるのではと思い、急いで行き、
「松岡さん、まだお休みをされませんか」
と、声をかけた。こんな時間にどうされたのかと疑問に思ったのだが、彼は、
「別に何もないですけど、保安係りと話をしていただけですよ」
と言った。長旅で疲れていないのだろうかと心配になったが、彼に付き合っていたら、明日の業務も大変になるので、
「松岡さん、申し訳ございませんが、私達はお先に休ませていただきますので失礼します」と、あっさり声をかけて、その場を去った。部屋に戻って時間を見たら夜中の3時近くだったので、驚いて馮さんに早く休むように言った。そう言ったものの、私は松岡氏が気になり寝つかれなかったが、「本当にお元気な方だわ」と思いながら、私はいつの間にか眠ってしまったようだった。
 朝は7時に起きて、急いで身支度をして、フロントへと向かった。
「松岡さんは、まだお休みでしょうね。私はレストランを見に行きますから、何か用があれば電話を下さい」
と社員に言葉をかけてレストランへ向かった。その通路からは松岡氏の部屋のドアが見える。ドアは閉ったままだったので、まだ休まれていると思い声を掛けなかった。レストランの厨房やホールを点検し、事務所へ戻ろうとした時、松岡氏がレストランへ入ってこられた。
「おはようございます。今日は寝不足でお疲れではございませんか」
と、朝の挨拶をした私だった。
「いや、元気ですよ。私は朝まで寝なくても大丈夫ですから」
彼は本当に元気そうだった。
「食事が済んだら館内の点検をさせていただきます」
と言って、食事前に業務の話を矢継ぎ早にされ、答えるのに苦労した。松岡氏の早口言葉が聞き取りにくく、何度も聞き直さなければならないほどだった。
「すみませんが、お食事がお済になってからでは如何でしょうか」
という私の言葉も終らないうちに、次の質問が飛んできた。
「政府関係者との会談予定は?」
と聞かれ、
「今日の段階では予定は入っていませんが」
と、政府関係者との会談を予定していなかったので、正直に答えた。すると松岡氏から、
「副社長が来ているから、用事があれば来て下さいって連絡をして下さい」
と予想もしていない言葉が出て、驚いて返す言葉も見つからなかった。彼の滞在中はどんなことが起きるのかと心配になったが、なるようにしかならないし、逆に問題が起きれば、副社長が来られているのだから、対処が楽だと思った。
 この日は、館内の点検に時間がかかり、午後からも引き続き客室内や浄化槽の点検で一日が終わってしまいました。
 夜の食事が終わると、松岡氏は運転手と共に保亭県へ行かれたようだったが、私には外出の報告がなかったので、社員に聞いて驚いた次第だった。運転手が一緒だったから、心配はないと思っていた。今回は滞在期間が長いため、町の様子も見たいと思われたのだろう。松岡氏は、離婚をされてから今日まで独身だと聞いていた。この町には松岡氏の恋人がいらっしゃるようなので、デートくらいはされても問題などない。結局、私には言い辛かったのだと思い、戻られてからも知らぬ顔をしていた私だった。しかし、運転手の呉師は、口が軽いため黙っていられなかったようで、
「ママ、松岡さんは恋人を連れてきましたよ!」
聞いても困ってしまう報告なので、適当にあしらった。事務所での仕事も終わり、部屋へ戻ろうとした時、松岡氏が急に事務所に入って来られたので、
「何か御用でしょうか」
すぐ言葉を掛けると、何も用事がない様子だったが、何やら恥ずかしそうに小さな声で、
「今日は運転手と一緒に保亭の町へ行ってきました。彼女も一緒に行きたいと言うので連れてきましたから」
その言葉を聞いて何と答えて良いのか検討もつかなかったので、とりあえず、
「ごゆっくりしてください」
としか言えなかったが、子供のような松岡氏の素顔に出会えたような気がした。この日は、彼女と久しぶりの再会ですから積もる話も多いと思い、社員たちには
「必要以上にノックをしないでね」
と、注意をして自分の部屋へ戻った。
 松岡氏が来られて三日目の朝がやってきた。この日は、馮さんの誕生日だった。
「馮さん、お誕生日おめでとう」
と、彼女に声をかけた。しかし、役員が来られていますからパーティーも出来ず申し訳ない気持ちで、阿浪と相談をして、彼女には次回の出張時にプレゼントを買う事にした。
「馮さん、ごめんね。今日は貴女のお誕生日だけれど、今度プレゼントをお渡ししますから理解してね」
というと、彼女は、
「いいえ、そんな気を遣わないで下さい」
と笑顔で答えてくれたが、やはり内心は寂しかったのではないかと思う。松岡氏にも今日は彼女の誕生日だと報告をした。すると彼は、
「もう、誕生日を祝ってもらうのは嬉しくないでしょう」
と皮肉を言った。この言葉を聞いて、やはり松岡氏は、どこか冷たさを感じる人だと思った。
 考えれば、とても可哀想な人かもしれない。嬉しい時は思いっきり笑い、悲しい時には大声で泣くような、そんなことを一度も経験された事がないのではないだろうか。
 松岡氏は韓国人として生まれ、苦難の生活を子供の頃に体験されたという。国籍は日本で、名古屋大学を卒業されて、大手商社に勤務されている。その道のりは、誰もが簡単に歩める道ではない。そして、社長と共に海南島で投資をされて、今に至っていると聞いている。やはり、昔苦労をしたハングリー精神から今の松岡氏が出来上がっているのだろう。考えようによっては、見習わなければならないかもしれない。「環境は人を変え、人は環境を変えることは出来ない」と言うが、本当に苦しい生活を送られてきたのだろうと思う。だから、人を信じられないということが松岡氏の可哀想な短所ではないかと思っている。「素直じゃない!」と私も言われてきたが、彼の場合は私以上ではないかと痛切に感じた。そんな事を思いながら松岡氏の長所を探そうと努力した。


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