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神に問う



「捧げよ、さすれば与えられん」

これはかのキリストが聖書542ページ試練の章で言ったことは一切ない言葉である。

耳心地があまりにかっこいいのでなんとなく皆さんも使えばいい。

正確にいえば
「求めよ、さすれば与えられん」

しかしながらこの世の中は、求めただけで手に入らないもので溢れている。
それでも欲しいのなら求める努力を忘れるなということなのだが、努力がある一定の水準を超えるとどんな賢人や偉人も思わず、何かに頼りたくなるものである。

人事を尽くして天命を待つ、のではなく
人事を尽くしとんやから天命はよ来てくれよ、のテンションの人がほとんどだ。

とは言っても川瀬は自分教に入信しているので神頼みということはほぼしない。
人が描く神は人間に都合が良すぎるから特に信用できない。そんなに優しいはずがない。川瀬は宗教に必要なものはリアリティであり真実ではなくとも限りなく真実に近づこうという気持ちやと思う。

そんな人間でも思わずいってしまう神社がある。

小野照崎神社である。

この神社、祈るだけでは意味がない。
なんと、
「何かを我慢せよ、さすれば与えられん」
こちらに相応の生贄を要求してくるのである。なんと生々しく人間臭い神様もいたものだ。信用できる神である。

古くは渥美清さんがタバコ我慢したら寅さんの仕事が決まったなど
鶯谷という立地と相まって特に幾多の売れぬ芸人がここにすがりにくる。

無論願いを叶える以外のメリットもある。
要するにタバコや酒、ギャンブル、等々の無頼を愉悦とする確率が高い芸人という職業ににとって
これらの嗜好品は我慢することは全てにおいてメリットがある。

健康、金銭、酔っ払っての不祥事、その他諸々、現代人にとっていいことしか起きない。唯一のデメリットはストレス解消法がなくなることだがこれらの行為はストレス解消のメリットに対しデメリットの方が明らかに多いのはみなさん承知のことかと思う。

よって芸人にとって小野照崎神社の決まりは一石二鳥三鳥なのである。

今年の冬頃、入間国際宣言の千葉ゴウ君(※1)と小野照崎神社に赴いた。

鶯谷駅からの道中
千葉ゴウに
「川瀬は何我慢するの?」

川瀬は、焼きそばを我慢しようと考えていた。笑わないで欲しい。
川瀬は、芸人の嗜むタバコ、ギャンブル、酒はほぼやらない。強いていうならパチンコはたまにやるが、3ヶ月に一回程度。その程度で見返りは小さかろう。

焼きそばは週5で食べている。
嘘ではない。自炊で。自分でも信じられないと思う。
市販の麺はほぼ試したと言ってもいいかもしれない。結論からいうとチャンポン用の麺で焼きそばで作るとめちゃくちゃ美味い。その域にまでは達すくらい食べている。

皆さんのところでいうご飯やパンを封じるに近い。

千葉ゴウ「確かに、めっちゃ焼きそば食うもんなぁ川瀬」

一緒に住んでいたこともある千葉ゴウはこのように理解がある。
ここで言っておきたいのだが千葉ゴウは人の怠惰に対し異常な厳しさを見せる。それは自分が努力してるから努力してない奴にマウントをとりたくてとりたくて致し方ないからである。報われない努力の連続は千葉ゴウをこんなモンスターにしてしまった。

そんな千葉ゴウは一体何を我慢するのだろう。
川瀬が主食を我慢するのだから、そんな期待を胸に何を我慢するか聞くと信じれない言葉が返ってきた。

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