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「謎に包まれているものを、人は面白いと感じなくなってきている」のは真なのか。

とても久しぶりの投稿です。

昨日、とあるテレビ番組で庵野秀明というアニメ作家の方の特集が組まれていたので鑑賞しました。その中で、以下のツイートにあるような発言があり、個人的に大変興味深かったので考察してみることにしました。

「謎に包まれている」とは?

庵野秀明さんはアニメ作家ですが、この発言の文脈はアニメに限らず小説や映画など物語全般を指していると考えて間違いないでしょう。

要は、ある一定以上昔と比較して、人々は「謎に包まれている」物語を面白いと思わなくなっているという意見なわけです。

推理小説のような物語はだいたいの場合はスカッと全ての謎が解決して終わります。

一方、例えば僕が印象に残っている小説に恩田陸さんの「Q」という小説があるのですが、この作品は謎が残ったまま終わります。本当に終始謎でした。今読んでも謎だと思いますし、おそらくは謎を楽しむための物語なのだろうと思います。

謎に対する逆風と読み手の期待値

このツイートは相当のリツイート数を集めていますし、僕自身も読んだ時に不思議に納得しました。その理由を考えてみます。

数十年前と比較して、なんらかの物語を楽しむためのハードルは確実に下がってきています。書籍を買って読んだり、毎週同じ時間に放送しているドラマを見るといった楽しみ方から、ネットで小説が読めるようになり、インターネットでいつでも動画を見れる世界になりました。物語とは性質が異なりますが、TikTokのように数秒程度の創作物が楽しむこともできます。

限られた時間や手段で物語を楽しむ時代から、いつでも色んな方法で物語を楽しめる時代になったわけです。

こうなると、周囲からいくらでも物語を吸収できる状況に身を置くことになります。

興味深いことに、周囲に面白そうなものが溢れてくると、相対的に自分自身の時間の相対的な価値が上がります。自分の時間を楽しむために使うことができる余地が増えてきたので、ある物語を選ぶ理由を求めるようになります。

物語に限った話ではないですが、口コミサイトなどの普及は、情報が飽和したことによって世の中の人が自分自身で決断することに限界が来て、新たな評価基準を求めた流れに他ならないわけです。

ここまで考えた時に、それが「謎に包まれているものを、人は面白いと感じなくなってきている」と繋がるような気がします。

謎に包まれているものを楽しむ時間は、分かりやすいものを楽しむ時間よりもリスクが高いと捉えるわけです。事前にどういうオチが待っているのか、どういう展開なのか、本当に面白いコンテンツなのか予想しにくいものを楽しむために時間を使うより、その時間を使って他の物語を楽しむほうが期待値としては高いと言えます。

0かもしれないし100かもしれない映画を観に行くより、コンスタントに30〜50くらいの面白さがあるラノベを読むほうがリスクは低い。

これは仮説ですが、「乙女ゲームの破滅フラグしかない悪役令嬢に転生してしまった…」など、ラノベのタイトルがやたらと長いのは、どういうコンテンツかある程度ネタバレを行うことで、読み手の期待値調整をしているのだろうと思います。ギャンブル性を極力下げることで、まあ大外れはしないだろうというある種の安心感を与えているのではないでしょうか。

謎に包まれている物語であっても面白いと感じるには

とはいえ、「謎に包まれているものを面白いと感じなくなってきている」は大きな潮流の話であり、個別の作品に対して必ず適用されるものではないと思います。

具体的には、「謎に包まれている物語であることを予め期待させる」ことや「物語の筋書き以外に期待値の重心を置かせる」ことで、謎に包まれている物語であっても面白いと感じることがあるのではないでしょうか。

前者の「謎に包まれている物語であることを予め期待させる」というのは、前節でお話したラノベにおける期待値調整を逆手に取ったものです。

例えばジブリの映画作品は独特の世界観で謎を多く残して終わるものが多いと思いますが、そういう世界観を楽しむものとしてブランドを確立しているので、何ら問題ないわけです。

後者の「物語の筋書き以外に期待値の重心を置かせる」というのは、物語そのもの以外にも楽しめる要素や、その物語を楽しむ理由を作るということです。

例えば君の名は。という映画について考えてみます。君の名は。のストーリー自身はタイムトラベルの理由や、最後の結末以降に何が起こったのかなどたくさんの謎が残っています。しかし、映画のポスターなどから恋愛映画のように見えることからそれを期待して観に行く人や、圧倒的な音楽や映像のクオリティによって映画館ならではの体験を作り出したこと、さらに加えて思春期に多くの人が抱く感情を模した展開などがあり、ストーリーに謎が多い、という懸念点を補って余りある大流行という結果を生んだと個人的には考えています。ちなみに僕は2回観に行きました。

もう一例挙げますと、「魔法使いの約束」というスマートフォンゲームが最近流行っています。ゲームなのですが、実際はキャラクターたちの織りなす物語を次々開放し、読むことができる楽しみ方が主軸になっています。そのストーリーがかなり面白いということももちろんあって流行しているわけですが、物語を配布するなら書籍でもいいものをゲームという媒体を通して配布しているのは、物語そのものに加えて、出てくるキャラクターたちへの思い入れや、スマホゲームの形にすることで手軽な暇つぶしとしての期待値をユーザーに抱かせている点が時代に合っているからだと思いました。

暇つぶしで本を読みましょう!なんて言ってもスマホ世代は言うことを聞かないわけですが、ソシャゲの形態で物語を配布したら人気コンテンツになるというのが斬新だなと思いました。

つまり、どうすればいいのか

詰まるところ、「謎に包まれている」物語を面白いと感じる人が少なくなってきた、という流れそのものは楽しみ方の多様化によって起こされているのですが、奇しくも楽しみ方が多様化していることによって、物語の新しい楽しみ方を作っていくことも可能ではないでしょうか。

そしてその新しい楽しみ方は、ユーザーの期待値を軸にして考えてみることで見えてくるのかもしれないな、と感じています。

スマートフォンやインターネットの普及によって、手軽に短い時間で楽しめるものへの期待値が相対的に高まっているはずですし、逆に、映画のようにその場にいかなければ楽しめない空間への期待値も根強く残るでしょう。そういった期待値を活用しながら、伝えたい物語を乗せていくことが必要な時代になっているのかもしれません。


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