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The 2nd-2 「エロスと資本」から読み解く母と娘の関係 byメイカの視点より

えいこさん、テーマの選定ありがとうございます。
選ぶテーマが「エロスと資本」「母と娘の関係性」なのが、えいこさんらしい気がしました。

母と娘の関係を考えるとき、
えいこさんは「誰かの娘であると同時に、誰かの親である」ポジションなら
私は、「親になる前の子供として、でも一人の大人(?)として親を分析しつつ、まだ子供でいられる」立場なのかなと思います。
子供が大人になる過程の、母親批判を経て和解していく過程の意見として、私の最近の変化を書いてみようと思います。


・娘とは母を鋭く分析する存在/それはきっと自己理解に必要な過程

特に、自分に一人前の思考力がついたことを自覚して、いい意味でも悪い意味でも、母親を一人の女性の先輩だと思うようになってからは母親分析というか、母親批判を細かくするようになったと思います。
でもそれって、「私がこういう考え方をするのは、社会的にみてこういう特徴を持った母親に育てられた影響か?」と自分を客観的に見るために必要な過程なような気がします。

えいこさんは中学生の時に「そんなに不満があるなら自分で状況を変えたらいいのに。なんで私を使うんだろう。自分がラクする言い訳にしないでほしい」とお母様に対して思ったと書いていましたが、
私も母親に、「お父さんの関係に文句だけ言って何も解決策提示してないのに、偉そうな口聞いてくんなよ。」と思ったことあるような気がします笑(口が悪い)

父と母は、私が家を出てから最近急に仲が良くなって安心していますが、ついこの間までは何をどう言っても仲がいいとは言えませんでした。
子供の頃は二人が喧嘩をしてると、勝手に「お父さんが悪い!」と自動的に母親の考えがインプットされていましたが、
最近は「ややこしい怒り方をする女と25年も付き合ってるお父さんも大変だね。子供からの視線も痛くてお父さんも寂しかったろう」なんて思います。笑

本文に母親に求めるのは理解か愛か。と言う内容が本文に出て来ますが、
私の母親の(母性が強いせいなのか)
“娘は自分の創造物である。自分の理解の範囲以外のことは認めない。できるはずがない。正しくない。”
というような理解しようとしない態度にはまだまだ反抗したくなりますが、
最近は「もう両親以外の大人からたくさんのことを教えてもらい、あなたたちが知らないこともわかるようになったんだ。」
と言うことを理解してもらえるように努めるのも子の仕事かなと思う
と同時に、親に喜んでもらえる選択をすることが自分の安心にも繋がることを素直に認められるようになりました。 


・戦闘民族か遊牧民族か

私の母は、早くに父親を亡くし、ただでさえの反抗期に拍車がかかったようで祖母は大変苦労したようです。

母も母で、急に片親になった苦労と不自由を乗り越えながら大人になったので、私には
「強くなんてならなくていい。軽やかに、しなやかに、戦わない賢さ。自分らしさを保つためにうまくやる術を身につけろ」と言う教えの気がします。(今のところ)

えいこさんのお母様は娘たちに戦闘民族を目指させたのなら、私の母は
国と国の制度をかいくぐって独自の文化を継承し続ける遊牧民族たれ。的なことかもしれません。笑
(でもこの理論でいくと、私は自分の子供が大きくなるまでに良い社会を残す役割を担えないことになるのかな?)

母を見て、「一見ヘラヘラしているように見えるのに内にはしっかりとした考えがあって素敵だな」と思う反面、
「そのヘラヘラが邪魔な時もあるだろうに。」と思う指摘は、そのまま自分へ矢印が向いて帰って来ます。笑
しっかりと母の娘だと言うことを自覚します。笑

・社会への基本的な信頼

本文の中に親からの愛情によって、基本的な社会への信頼ができると言う話もありました。
私が言葉もわからないまインドネシアにもアフリカにも行けるのも、なんのツテもないけど行けばどうにかなる。と思えるのも
「きっと大丈夫。誰かが助けてくれる。私は、誰かに助けてもらえる人間である。」と思えるからで、それはきっと
人類が持つ愛情というものの存在を疑わず、自分が人から愛され得る人間であると体感で知っているのは、
重い重い(笑)愛を、無条件で与えてくれた両親のおかげなのでしょう。
なんともありがたい環境です。

アフリカから帰ってきて、見たこと感じたことをまとめるのには割と苦労したのですが、
最近は「自分の責任で自分の生活を送ること」「人間としてプリミティブ(原始的)なことに逆らわないこと」の2つをしばらくのモットーにしようと考えています。
(人間としてプリミティブなこととは、
手を使った仕事をする。とか、土とできるだけ離れない。とか、
現代的な指標じゃなく人が集まった組織として自然なことを重視する。とか、、、。)

以前、えいこさんに「めいかちゃんは視座が高い」とおっしゃっていただいたことがありますが、
きっと、社会に出る前の卵の状態だったから、どんな人になりたいのか、どんな働き方がしたいのかを
現役バリバリに生活を営みつつ仕事をしてる大人たちを傍観して眺めていられてたからな気がします。

帰国して2ヶ月経ちましたが、職場や住む場所が変わり、
大人になることを渋って1年こもっていた卵からやっと生まれてみると、ふらふらな足で、仕事をしながら自分の生活を運営する練習でいっぱいいっぱいな日々です。
銭湯で見かける「何日振りにお風呂はいるんだろう?」というようなおばあちゃんも、
奇抜すぎて近寄れないファッションをしてるおじいさんも、ただ生活を営んでいるというだけで尊敬の的です。
えいこさんなんて持っての他、2人の人間を育成しながら自分の活動をしてるなんて正気の沙汰じゃないと思う最近です。笑


・その他感想

本文のは鈴木涼美さんの「女だってバカやってたじゃん。と言ってしまのは苦しんだ女性をまた苦しめてしまうのか。」と葛藤が書かれていますが、
私自身、「ダイビングしてる女子大生なんて、そーゆーことでしょ?」って態度なクソキモオヤジと対峙しながら「女ってやだな」と思ったこともあるし、「それなりの顔の若い元気な女の子」でラッキーだったなと思うこともあります。

「女ってサイコー!超楽しい!」とも言えないし「女に理不尽な社会」という意見にも今のところまだ100%では頷けません。

最初にこの本を読んだときは「自分にもウィークネス・フォビアあるなぁ」と持ったけど、今読むと「どーゆーことだっけ?」と思うのが正直な意見です。

たぶん今の職場が、韓国人もイタリア人も、体は男な女性のかたも、日本国籍じゃない日本人もたくさんいて
男も女もあまり関係ない風土だからだと思うけど、
「女ってやだな」と思うのも、ウィークネス・フォビアを抱くのも、男と女の区別が重要な社会(風土とか、世代とか要因は色々)で戦っている女性なのだろうなと思いました。

「自恃」=(自分の限界を自覚することで、じゃあここまでならトライできるという確信。20代のころと決定的に違う「自信」)
に関しては、さっぱりすぎて、「良いなぁ〜早く身に付けたいなぁ〜。」という感想です。笑


・まとめ

最近の変化に注目してたら、いろんな人に尊敬や感謝を覚える内容になりました。笑

半年前に初めてお会いして、こうして往復ブログを一緒に初めてくれたえいこさんに!
関わってくれた全ての人に、たくさん成長した自分に、文句たれながら見守ってくれた親に!感謝です。


来年もよろしくお願い致します!

ナツをもっとアカルくするエネルギーになります!