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Webライターと「孤独」

「孤独です」
えっ、と先輩は一瞬びっくりしたようだった。次の言葉を待っているのがわかる。
ライター生活の現状を報告しようとして、予定外の言葉がポロッと出てしまった。
続けなければ、次を。
「孤独なんです。その……孤独で」
ダメだ。
孤独しか出てこない。
しかしこれが、今のわたし。
「なんだ、それなら連絡してくれたらよかったのに。いつでもLINEしてよ」
先輩の優しさに感謝しつつ、コミュ障のわたしには難しいと感じていた。

わたしが会社にいたころから、先輩はよく気遣ってくれた。辞めてからもこうして時折会って、いろんな話をしてくれる。
ストレスとたたかいながらも、周囲とうまくやっている先輩は、わたしにとってのあこがれだ。
対して、うまくやれなかったわたしは退職し、孤独感におそわれている。

会社員時代は、在宅ワークのほうが向いていると思っていた。
しかし、一日中ずっと部屋にこもって作業するのはしんどい。
対人コミュニケーションの苦手なわたしでも、そんなところがあったのかと気づく。
安定した給料、人との関わり。会社には会社の良さがある。
もちろん、フリーにはフリーの良さも。
経験してみて、わかることだ。

先輩とティータイムを楽しみ、仕事と関係のない話もたくさんした。
少しリラックスしてきたところで、改めて自分の現状を話す。
「メイちゃんの話を聞いて、これだけは言えるとしたら」
先輩ははっきりとアドバイスしてくれた。

「外に働きに出るべきだと思う」

その通りだった。

安定を捨ててリスクを選んだ。覚悟していたとはいえ、うまくいかない現実。正直に伝えるのは恥ずかしかったけど、言い切ってわたしはスッキリしていた。
(帰ったら面接先、探そう)
ひんやりとした夜風に当たりながら、迷わず歩く。

再び会社で働き、ライターは副業として続ける。
一度はそう決意したのだが、図ったようなタイミングで執筆案件の依頼が立て続けに入った。
1記事ずつ真剣に向き合うたび、不安になる。
この大変な作業を副業でできるのかと

結局、面接先を探すこともなく、今にいたる。

会社を辞めて、まもなく1年。ブランクがあってもなくても、このご時世に転職は甘くない。
でももし、運良く拾われたとしても、わたしはうまくやれるのだろうか。
うまくやれない自分を変えたくて、フリーランスを目指そうと決意したのではなかったか。

迷いが消えることはない。

誰しも心に孤独を抱えている。
孤独は決して、否定されるべきものではない。
たしか、前に読んだ本にそう書いてあった気がする……と探してみた。

 もちろん誰でも分かっていることですけれど、われわれは一人で生まれ、一人で死にゆく存在です。どんなに誰かと愛し合おうが仲が良かろうが、死ぬときは一人である。すると、この「孤独」というのは、何かそんなに困ったことなのだろうか。むしろ、人間がみんな背負っている当り前の状況なのではないか。こう見ることが出来るでしょう。

泉谷閑示 著『「普通がいい」という病』p134より

人によって、孤独という言葉の持つパワーは異なる。
知人、または見知らぬ誰かと比べて、自分なんて全然だと思うこともある。

わたしはわたしで孤独と向き合い、心を保つ術を身につけていきたい。


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