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メイクで葛藤していた話

私にとって、メイクは、どう付き合えばいいのか分からない存在でした。

同じような経験をした人・している人が一体どれくらいいるのか分かりませんが、メイクへの抵抗感が強かった私は、大学に入学する頃、「メイクはするのが当然という風潮に苦しみました。同じように、今、葛藤を抱えている方がこの話を読んで、「同じ気持ちの人がいるんだ。自分っておかしくないんだ」と少しでも心が軽くなってくれたら嬉しく思います。


メイクがじわじわと自分の生活圏に入り込んできたのは、高校を卒業してすぐでした。

私の通っていた高校はメイクが禁止だったので、校則という縛りがなくなったことを喜ぶように、メイクを始める人が多くいました。私は、そんな友人たちに置いて行かれてしまっていました。というのも、私の頭の上には、大きな疑問符が浮かんでいたからです。

そもそも、何でメイクしなくちゃいけないの?

この問いを周囲に投げかけると、「マナーでしょ」「大学生になったら、普通するものだよ」という答えが返ってきました。

服を着るのと同じだよ」なんて言う人までいましたが、高校まで、毎日メイクなしで過ごしていたのに、なぜそれが許されなくなるのか、私には理解できませんでした。

服と同じ? 

じゃあ、今まで、何も着ないで過ごしてたってわけ?

誰が決めたマナーなの……?

とうとうこの疑問が解決することはなく、私はそのまま大学生になりました。呆れと心配の混じったような母のすすめで、最低限、という感じのメイク道具は買ったものの、あまり使う気にはなれませんでした。粉を顔につけるのは性に合わず、気がついたら色が落ちてくる口紅も「最初からつけなければいいんじゃないか」と何度思ったか知れません。

大学に入ると、思ったほど派手な人はいなかったけれど、メイクをしている人は沢山いました。

メイクは、自分の顔と向き合い、理想に近づくための方法をリサーチし、足りない道具やコスメがあれば買いそろえ、季節や流行や服装に合わせて変化させる……という、なかなかの努力が必要な行為です。

だから、メイクをしている人を見ると、すごいなぁ、とは思いました。でもそれは、雑誌でも眺めているような他人事感があり、「自分もメイクしよう」という気持ちが湧き上がってくることはありませんでした。

ただ、ここで、「メイクをしたがらない=面倒くさがり」とは決めつけないでほしいのです。

だって、肌にファンデーションを乗せたり、まつ毛にマスカラをつけたり、目のきわにアイラインを引いたり、まぶたに色をつけたり……、それって、本当にそんなに必要なことでしょうか?

メイク落としの宣伝を目にするたびに、「皮膚にいいのかわからないものを身につけるのがマナーって、どういうこと?」と、疑問が湧き上がってきました。

この答えは、未だに私には分かりません。


さて、メイクへの私の考えが変化したきっかけは、意外にも、直接人と会う機会がなくなったことでした。

オンラインで人と話す時、それまでのオフラインの会話では気にならなかったものが目に入るようになったのです。

……それは、自分の顔

オフラインで人と話す時、自分の顔を見る機会はありませんでした。

それなのに、急に、自分の顔を嫌でも見る羽目になり、自分の顔と他人の顔を見比べる機会も格段に増えたのです。その時にふと、

「そろそろメイクしないといけないかも」

そう思ったのです。自分と他の人の見た目が、何となく違う気がしたからです。

相変わらず、気乗りはしません。それでも、マナーとやらを身につけるためにも、メイクをしようと決心しました。メイクはマナーという刷り込みのようなものが、まだ、自分の中でくすぶっていたのです。

でも、自分の顔に真っすぐに向き合うのは、案外こわいことでした。

メイクをするにあたって、「綺麗に見える人」の研究をしたのですが「美人」と比べて、自分の顔に足りないものに気が付くのは、あまりいい気持ちがするものではありません。それに、その不足部分を化粧品の力で補っても、それは本来の自分ではないのです。

メイクを落としたら、元の自分に戻るのですから。

メイクのアリ・ナシの差が大きくなればなるほど、嫌な感じがするようになりました。

そのうちに、自分の顔と向き合いながらメイクをしていると、写真の現像でもしているような気がしてきて、鏡を見るのも気持ち悪くなってしまいました


……その時に思ったのは、写真の現像も「加工する」ようなレベルで手を入れるのは自分は好きではない、ということでした。私は現場でいかに自分の理想に近いものを撮れるかに重きを置いていますが、現像によって実際とは異なるの色合いの作品が出来上がるのにわくわくする人もいいます。

これは、どちらが「いい・悪い」の話ではなく、単なる感性の違いです。

写真の世界では、美しく現像できる人も、撮って出しの写真が美しい人も、同じように尊敬されています。(少なくとも私は、同じように尊敬します)

それなら、メイクをする人もしない人も、同じように扱われてもいいはずなのです。

ただ、前提として、「身だしなみを整えよう」という気持ちが必要なのは否めません。

構図も何も考えずに撮った写真の「撮って出し」(一切加工していない状態)と、現場で明るさや絞りを調整し、構図も練って撮った写真の「撮って出し」は全く違います。

本当に全く手を入れないのと、自分の顔と向き合った上で、自分に必要なものと不要なものを判断して最低限のメイクをするのでは、意味が違います。

私は、後者になろうと思いました。

どんな化粧品を使うかは、その時の自分が決める。

マナーという一言で揺れたり、他の人と比べたりはしない。

自分が受け入れられないような顔になったところで、誰が幸福になるでしょう?

「マナー」という言葉で自分の考えを押しつけてくる人もいます。でも、髪がボサボサだったり、よれよれの服を着たり、TPOに合っていない格好をするのに比べたら、メイクをしない・最低限しかしないというのは、マナー違反ではないと思うのです。(皆さんはどう思いますか?)

だから、もし押しつけのマナーに苦しんでいるのだとしたら、無理にメイクをすることはありません。マナーがないと思う人もいるのかもしれないけれど、少なくとも、私は、咎められるようなことは一切ありませんでしたし。もちろん、「見苦しい」とは思われないように気をつけることは必要でしょう。

でも、周りがしているからしなくちゃなんて思う必要はないのです。

流行のメイクを追うのが正しいわけではないのです。(もちろん、それが悪いわけでもありません)

メイクをすることによって素顔の自分を認められなくなる、なんてサイクルに陥ったら、もうそれはメイクをやめていいサインです。

ただ、自分らしくあればいいのです。

綺麗に「見せる」ため、周りに「合わせる」ためではなく、自分が心地いいと思える状態でいられるように


もしも、大学に入る前の自分に今、会えたとしたら、私はこのことを伝えたいと思います。

メイクはマナーじゃない

他の人のやり方と違っても、自分が葛藤しなくて済む道を選んで


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