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今更だけど3.11について語ってみる

実は私、「宮城県」の出身です。
3.11で被害の大きかった宮城県。

今まで震災のことについて、こういった場に書いたことはなかったのですが、12年経って。なんとなく自分の中で整理がついたので、せっかくなので書いてみたいと思います。


当日のこと

当時、私は大学1年生。同じく大学生の姉とともに、東京に住んでいました。
あの日はもちろん、大学は春休み。
私はバイトの予定があったので家に、
姉は、「実家に帰省する」と言って出かけていきました。

その直後でした。

立っていられないほどの大きな揺れが襲ってきたのは。

とても幸いなことに、姉は電車に乗る直前で。
すぐに家に帰ってきてくれました。

最初、私たち姉妹は「東京、関東を中心に起こった地震」だと思いました。
電話がつながらない中、私はバイトの時間が迫っていましたが、
「今はそれどころじゃない。一緒にいた方が安全だ」
と姉に言われて、自宅待機をすることにしました。


テレビなどの情報により、次第にこの地震は東北を中心に起こったものだということが分かりました。
そんな中、宮城県に住む両親に何度も電話をかけるも、つながらない。

岩手県の被害状況ばかりが中継される中、
宮城、福島の情報は全く入ってこない。

「これは、宮城、福島の被害が大きすぎて報道ができないのでは」
と私たちが思い至ったのは、夕方になり、日が沈み始めたころでした。

「大丈夫、大丈夫。うちは内陸だし、地盤も安定してるってお父さんが言っていたから」
姉は私を励ますように、そして自分に言い聞かせるように言いました。

19歳と22歳、まだ「学生」だった私たち。
中途半端に大人だったから。
「両親を失う」ということがこれから私たちの生活にどんな影響を及ぼすか、想像ができてしまった。
「大丈夫、大丈夫」
そんな暗い想像をかき消すように、私たちは肩を寄せ合って、
被災地の悲惨な状況を報道するテレビ画面をぼうっと見ていました。


途中、何度も電話をかけましたがつながることはなく。
もちろん、宮城に住んでいた友達も沢山いたのでそちらにも連絡がとれない。


みんなが心配でなんとなく眠れない中、それでもソファでうとうととし始めた明け方の4時ころ。

姉の携帯電話が鳴りました。

知らない番号、だったけど姉はすぐに電話を取りました。

それは、両親の無事を知らせる電話でした。

直接両親からではなく、群馬県に住む知り合いの方。
その方は偶然、私たちの両親と連絡が取れたらしく、
「娘たちに無事を知らせてほしい」
と頼まれたそうです。

電話が終わり、
「お父さんとお母さん、無事だって!」
姉はそう言いながら泣きました。私も泣きました。
もう両親に会えないかもしれない。
そう覚悟した時間でしたから。

ちなみに、当時まだ生きていた愛犬も無事だったそうで、
あの非常時に犬のことまで知らせてくれた両親と知り合いの方に感謝です(笑)


それから、徐々に宮城の友人たちとも連絡が取れるようになり。
スーパーにものがなかったり、計画停電があったり、それなりに大変ではありましたが、私たちは段々と日常に戻っていきました。

とても幸いなことに、
私の周りで命を落とした人はいませんでした。

(実は父が沿岸部に出張に行っており、帰るのがあと30分遅かったら危なかった、という話があったり、漁業をしている友達の家の船が全滅したり、といろいろありましたが命があったことは本当に幸いです)


宮城出身、東京在住の友人たちとの飲み会

震災から半年ほど、8月のことでした。
同じ高校出身、今東京に住んでいる友人たちから
「久しぶりに集まらない?」
と連絡が来ました。
大学入学当初はよく集まっていましたが、最近はご無沙汰。

けれど、その日は声をかけたほとんど全員が集まりました。

話題はやはり東日本大震災について。
宮城にいた、東京にいた。
半々ぐらいでしたが、やはりみんな何かしら語ることはあり。

何故か私は、
「マンションの7階に住んでいたから無事だったけど、マンションの出入り口にトラックが流されてきていて、しばらく外に出られなかった」
という友人のエピソードを覚えています。

口々に当時のことを語る中、

「もうみんなに会えないかも、って思ったよね」

誰かがぽつりとつぶやきました。

誰もがそう思っていて、口にできなかったこと。
もう会えないかもしれない。そう思ったし、今後もどうなるかわからない。
だから今日は出席した。
誰かに会えるって当たり前じゃないんだ。
そう、強く自覚した出来事でした。

それからまたちょこちょこと集まる機会はあったのですが、
やはり数年たつとまた集まらなくなり(笑)
(まあそんなもんですよね)

でも今にして思うと、「同じ思いや境遇にあった仲間たち」と
語り合うことって、メンタル的な安定にもつながったのかな、と。
集まらなくなったということは、みんなある程度気持ちが落ち着いたのかなと。そう思うことにします。


そして、今。

何のご縁があってか。
私は今、福島県に住んでいます。
車を30分ほど走らせれば、原発被害があり立ち入り禁止となっている区域の入り口に着いてしまいます。

12年も経って、私の中で「大変だったけど、終わったこと」のように感じていた東日本大震災。

この地域に住んでいると、「まだ終わってないんだな」と感じます。
みんな、前に向けて進んでいる。
若い人も増えて、地域は活性化している。

けれど、ふとした瞬間に、当時を思い出すことがある。
それは「放射線量」「汚染」というワードを見たときだったり、
地域の方とお話しする中で、当時のことを聞いたときだったり。

終わってはいないんだな、と。
終わらせてはいけないんだな、と最近思います。

「終わった」ことにして忘れてはいけない。
命を落とした人がいたことを。
家族、友人、恋人をなくした人がいたことを。
家や、職場、学校をなくした人がいたことを。
大切な何かをなくした人がいたことを。

それでも前に進んでいるこの地域の方々を見ていると、
「私もうじうじしてられないな!」という気持ちになったり。


本当に、この地域に住むことになるなんて12年前には想像できなかった。
人生、何が起こるかわからない。

だからこそ、「今」を楽しむ、「今」を生きる力って大切なのかなと。
最近、そんなことを思っています。


おわり!



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