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《メっけメモん》~"マ行"の心得~

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オモにメモについてのメモ。
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愚にもつかないメモはありのままの生活と心情の表れ。今年は「ありのまま(の)」を使えばなんでも許される年。アナに(本音はハメたいところだが)落とせばよし。

"実感"を伴った作品(メモ)は強い。心に直接訴えてくるものは言葉に表現されるまでの過程も負荷なくスムーズ。それは新鮮な食材をすぐ料理する(べき)ことと同じ要領。

メモにしたいイメージや思いつきは言葉にすると老いて枯れる、もとい、置いてかれる。本来表現したいことはもっとイキイキとして、荒々しいもののはずなのに。コトバは縛り。コトバシバリ。でもルールがあるから競技になり、それはメモもおんなじ。決まり手は言払い(コトバライ)。

活字一般には内容のおもしろさの前に"言語化されること"のおもしろさがある。メモにもまた"読み物"としてのおもしろさの前に"発見"としてのおもしろさが。とはいえ"読み応え"を必要とはしない。メモだけに。戒めモ。

"発見"は自然とするが、そこから"構築"の作業は負荷を要する。その負荷とは言うならば格闘ゲームの必殺技を繰り出す"タメ"で、メモゲージが溜まって初めてメモは放出される。いざ作ってみれば「うまくいった」か「うまくいかなかった」か。

"発見"は主観であって客観にあらず。そしてそれは"発見"か"再認識"か、振り返るとだいたい後者。

人々が日常の出来事を日記に綴って気持ちに区切りをつける(=心を整理する)ように、ここでは"発見"としてメモに書き留めて作品に落とし込む。いつだって"一手間"が差を分ける。

発見を言葉にして残すのがメモ。感傷が紛れてしまえばそれは日記。ルールではなくコンセプト=信念/生き様がモノゴトの間に線を引かせる。メモに感傷は要らない。念の達人が殺気を一瞬で消すように。

昔のメモがあっても、出したいのは今感じた自分のバイブス。穴は同じでも入れ方は今の俺流。バイ、ぶす。

大幅に整備(=フォーメモーション)された各種マガジンに振り分けるべく、テーマありきで見出されるメモも。メルマガならぬメモマガはほぼ無料。なんだかルー大柴みたいになってきた。

内容を形容する単語に「メ」か「モ」がついていれば、それに「モ」か「メ」が強引かつ半自動的に付けられる。メモあるある。たとえばこれがメモデルケース。

いい素材が集まったら、あとはどう料理するか。シンプルに素材の味を活かすもよし、煮詰めるなり寝かすなり手の込んだ一品を作るもよし、趣向を凝らした斬新なアレンジで創作料理に挑戦するもよし。味つけはサシスセソではなくもちろんマミムメモ。でも一番問われるのは盛りつけ。今日のメモニューは。

《メっけモん》―エピソード0―復旧により見出されたのは、ほんの一、二年前でも「タイムカプセル」は有効だということ。期間ではなく感覚。一年足らずで隔世の感。マ行だけに"マ族大隔世"。覚醒した『幽☆遊☆白書』は浦飯幽助の霊丸ばりの連投(発)に読者からの雷落ちぬようくわばらくわばら。

ふと思い立ってやりかけるメモの"清書"にはなんだか矛盾を感じる。加筆修正は"3秒ルール"適用で。あるいは図書館みたく一斉"蔵メモ整理"の時期に。