見出し画像

何回も何回も祈るよ君よ幸せであれ

学生時代に好きだったバンドが解散した。ラストライブは、行けなかった。あっという間にチケットが売れてしまったから。当日券も配信も無かった。唯一、ツイキャスであったアンコールの配信と公開されたセットリストだけを追いかけて、Spotifyにセットリストと同じ曲順でプレイリストを作った。

熱心なファンだったとは言い難い。ライブに行った回数も片手で足りるくらい。でも、たしかに好きだったのだと思う。こんなふうに言ったら熱心なファンの方は怒るかもしれない。でも、自分なりに彼らの音楽がとてもとても好きだった。

人生で初めてインストアライブに行ったのも、1人で知らないライブハウスに行ったのも、1人で出待ちしたのも、すべてこのバンドだった。オールスタンディングの会場はそう荷物が持ち込めないから、Wi-Fiの繋がらないスマホと小銭だけをポケットに入れて1人でライブに行くたびいつも心細かった。それでも彼らの音楽のためならどこにだって行けたし、ライブ会場を出る頃にはいつも「ああよかった、また明日から頑張れる」と思った。

MCでリーダーこと三浦委員長が話していたことを、今でも時々思い出す。

「幸せなことばっかりじゃないと思います。戦ってる日もある。でもそんな時に、もうだめだって時に僕たちのライブがご褒美になれればと思います。」

もう5年以上前に聞いた言葉だ。それでも今もなお、心の隅っこに在って時々ちらりと光る。「幸せなこと」の対義語に「戦ってる日」という言葉を選ぶ、そういうところが好きだと思った。泣き叫びながら田んぼの真ん中を自転車で駆け抜ける学生だったあの頃、どれほどあの言葉に救われたんだろう。もっとも、戦ってる日が増えたのは社会人になってからだったけれど。

屈折しているバンドだ、とずっと思っていた。
クラスの中心で華やぐ人たちを隅っこから睨みつけては悪態をついているような、けれどそんな彼らが愛おしくて仕方ないような。そういうところが好きだった。彼らの作る音楽が、世界観が好きだった。それでいてうんと優しい彼らのことが。

人生で初めて1人で出待ちをしたことがある。周りに誰もいなかった。ただファンレターを渡したかったのにプレゼントボックスが見当たらず、それゆえに待っているだけだったけれど、周りに誰もいなくてもう何度も帰ろうと思った。
でもそんなとき、ヒョイと出てきたメンバーの1人が「わ、待ってくれてる〜」とにへらと笑った笑顔を今でもすぐに思い出せる。自ら手を差し伸べて握手してくれたこと、わらわらと出てきた残り2人を合わせて3人全員でわたしを囲んでくれたこと。ありがとうね、ありがとうございます、と口々に何度もお礼を言ってくれたこと。お礼を言いたいのはわたしのほうで、と、しどろもどろに返したこと。
そういった意味でも特別なバンドだった。

だからこそ「現体制での活動を一旦休止する」と事実上の活動休止宣言が出たときは狼狽えたし、ラストライブが国試前で行きたい行けない気持ちと戦って泣いた。インフルエンザが流行る冬の寒い時期、国試直前に人混みに行く勇気はなく、泣きながらnoteを書いた。

そんな彼らの音楽をひっそりと愛でていたある日、活動再開のニュースを見て心が華やいだ。嬉しい、嬉しいと思いつつも、いつかライブにまた行きたいと思いつつも、チケットは取れずにいた。

そんなうちに、彼らの音楽は止まってしまった。
リーダーの病死という、衝撃的すぎる結末をもって。

解散ライブを嘆いて国試の過去問を解いていた学生のわたしはもうすっかり社会人になっていて、その訃報を知ったときも職場で残業をしていた。カルテを書く合間、休憩がてら軽い気持ちで開いたTwitterで目の当たりにした事実に、なんで?と思った。


あのとき目の前で笑っていた、ライブでいつも伸びやかな声で楽しそうに歌っていた三浦委員長が、亡くなった。大腸がんだった。まだ41歳だった。

その日のツイート、狼狽している

悲しかった。職場ゆえに保たれている理性が泣くことを許してくれなくて、それがまた悲しくて困った。ああいやだと思いながらキーボードを叩いてカルテを書いたことをよく覚えている。

いつかいつか、と思い続けているうちに、大好きだったバンドのボーカルが亡くなった。ベースの岡田さんのコメントが全てを物語っていた。

なんとか活動を続けられないかとGt.佐々木や
スタッフと何度も何度も話し合い、想いも全て
出し合った結果、やはり三浦さんのいない
空想委員会は空想委員会ではない、という
決断に至り、解散することになりました。

空想委員会 公式HPより

メンバーの2人のことだって等しく愛していたけれど、三浦委員長しかたしかにいないと思った。別のボーカルが歌う曲なんて、そんなの彼らの音楽じゃない。だからこそ仕方ないし、だからこそ受け入れ難かった。


久々に聴いた彼らの音楽は相変わらずやっぱり楽しくて、だいすきで、ああそうだこれで良いんだと思った。彼らが残してくれた音楽は変わらずここにある。

三浦委員長、ご冥福をお祈りします。どうかあちらの世界で美味しいものが沢山食べられていますように。好きな音楽を好きなだけ楽しく奏でられていますように。
生きているメンバー2人が三浦委員長との思い出を大事に抱えつつも、今後も穏やかな日々が送れますように。そんなふうに願ってやまない。


大好きな音楽に寄せて、でも自分の我儘で歌詞を変えて祈っている。
あたたかな目線思い出すたび願う。何回も何回も祈るよ 君よ幸せであれ。


幸福な日々を、大好きな音楽をありがとう。
空想委員会が大好きでした!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?