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読書って人生に大切な「退屈力」を育てるのにめっちゃ役立つよねっていう話

人生にはある程度というかかなりの分量の「退屈な時間」があります。 というのも何かを得るためには一定の時間をその獲得に費やさなければならないから。 ここでいう「何か」というのは別に試験合格!とか就職成功!とかいういわゆる人生の大きなイベント成功に限りません。 それは「趣味における楽しさ」などもそう。 どんな趣味でも一見地味で退屈な時間があった後に喜びや楽しさが訪れると思います。 例えば釣りで言えば釣れない時間とか、プラモデルなら細々とした作業をしている時間とか。 こ

    • やりたいことがないのはイヤイヤ期を通過していないから

      やりたいことがないなら,イヤイヤ期を通過しないといけない. イヤイヤ期というのは,本心のまま「やりたくない」を言いまくる時期のことだ. 仕事というのは基本的に「やりたくない」ことのオンパレードなので置いておくとして,休日や娯楽においてもこの「やりたくない」を押さえ込んでしまう体質になってしまっているケースは多いと思う. ワガママを言えない体質になってしまうと「やりたくないけどやらなくちゃなぁ」が人生において蔓延する. するとどうなるか. should系列の言葉でしか世界を見

      • 休日の義務感と、間を埋めない勇気

        義務感とは言わないまでも「やりたいわけではないけど暇だしやるか〜」という感じで何かを始めることはよくある。 そういう時って「やりたいから」ではなくて、「時間が余っているから」が動機になっている。やりたいかやりたくないかで言うと、やりたくない。 時間もお金も、使いたいわけじゃないんだけどあると目についたものに突っ込んでしまいがち。 だけど、「やりたくないけど時間を潰せそうだからやる」くらいなら、「やらない」ほうがいい。 経験上、やりたくなかったことをやってみて結果的に楽しくな

        • 面白さを追い求めない

          楽しさ、と言ってもいい。 とにかくそういう、ポジティブで、害がなくて、人生の幸福に寄与すると一般的にされている性質・感情。 そういったものを、欲しがる心が、それらを遠ざける。 休みの日に、友達もいなくて、用事もなく、家でダラダラしている時。 このままではいけない、という気持ちになってしまう。 それはなぜかというと、楽しくないから。 どこかに「楽しい人生」があって、自分がそれを体験できない世界線にいる気がしてくる。 そして「楽しい人生」というまだ見ぬ桃源郷を夢見て、「楽しいこ

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          退屈受容力が人生を好転させる(かも)

          退屈受容力=退屈であることを悪だと感じない能力。退屈であることに動じず、ありのままの体験として受容し、逃避目的での快楽追求をせずにいられる能力。 この能力が高まると、以下のようなメリットがある。 1. 退屈から逃避するためのネット利用・ポルノ鑑賞などがなくなる(退屈に耐えられる、というかそもそも悪だと認識しないので) 2. 心の頑なさ(もっと幸福でなくてはならない、などの固定観念)がなくなるため、結果的に心の感度が上がり、いろんなことに楽しさを見出せるようになる 特に2の

          退屈受容力が人生を好転させる(かも)

          意味があることはやりたくなくなるワケ

          意味があることってなんだろう? それは何か目的に近づくことだろう。 いい意味では何かのためになっていると言える。 目標・目的に近づいていると言える。 これは「良いこと」に思える。 ここに落とし穴がある。 「良いこと」だと認識すると、自分は自分にそれを為すことを課す。 人は義務を嫌がる性質を持っている。 だから「良いこと」だと認識していることはやりたがらない。 「これは良いことなんだ」と認識した瞬間にやりたくなくなる。 だからこそ、あえて無意味なことを探し、無意味なことをや

          意味があることはやりたくなくなるワケ

          好奇心が擦り減ったら「全て苦痛」と認めるところから始める

          好奇心というか,自然な心の欲求みたいなものが,完全に摩耗しきる時がある. 摩耗,というかそもそもどこ行ったんだ?みたいな. 忽然と姿を消してしまう時. そういう時は心の中で「無意識的義務感」が多くを占めていることが多い. つまり自分自身によって気付かぬうちに,「やりたくないけどやらなくちゃ」と命令して何かしているということ. 気付かないから厄介だ. だから,まずは「全てを義務だと感じていて,全てが苦痛だ」という事実を認めるところから始める. ここのところ無意識的にやってい

          好奇心が擦り減ったら「全て苦痛」と認めるところから始める

          楽しい感情を追い求めると,それは逃げていく

          何をしていても楽しくないし,何も楽しくなさそうに見える,ということがよくある. ここのところそれがあまりに長く続いていたので,色々と考えていたんだけど,ようやく答えらしきものが見つかった. それは,「楽しい感情を追い求めているから」だった. 楽しい感情を追い求めている時,心ここにあらずの状態になる. 対象と心が接していない,触れていない. 心は「今ここ」にフォーカスしていない. 楽しい感情を得た未来,を想像している.そして期待している. 心は未来に飛んでいってしまっている

          楽しい感情を追い求めると,それは逃げていく

          「違うこと」を続けると不感症になるから,普段から心の声を聞いてあげる

          心の声というのは,ちゃんと聞いていてあげないと,聞こえなくなる. 「なんか違う」を無意識のうちにかき消して,そのまま続けてやってしまっていると,心の声が何も聞こえなくなる. 心の声が聞こえなくなる,というのは,何に対しても何も感じなくなる,ということ. 何が嫌かすらもわからなくなる. 心の声を一定以上に無視すると,心は押し黙ってしまう. 心が不感症になる. これは長期的のみならず,短期的にも. 心が黙ってしまうのに何ヶ月何年という長い月日は要しない. 1日の中でもよく起きる.

          「違うこと」を続けると不感症になるから,普段から心の声を聞いてあげる

          「やりたくない」を聞き漏らさない

          一人でいる時に心から湧き出てくる「やりたくない」という言葉をちゃんと大事にしてあげないといけない. 「やりたくない」は本心である場合が多い. 心からの本当の声である場合が多い. 今やっていることは「何かが違う」と心=身体が教えてくれているサインだ. 逆に「やりたい」はまやかしである場合が多い. 教育の成果物である近代人は,義務感を標準装備している.内なる教師,親を心に飼っている. そして義務というのは意欲の唯一の形であると信じ込まされている. わかりやすく言うと,元々他者

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          傍若無人を徹底する

          傍若無人.傍に人無きがごとし. 悪い意味で使われるんだけど,書き下し文をニュートラルに見ると,そこまで悪いものでもない. むしろ,これができない人の方が多いと思う.俺も含めて. いつも誰かに見られて評価されてる気がしながら生きてる. 仕事とか学校だけじゃなくて,プライベートにまでその評価者は侵入してくる. 娯楽ですら「こんな時間の無駄はダメなんじゃないか」とか,「みんな忙しそうにしてるから自分も何かしていなくちゃ」とか,考えたりする. 24時間,傍若有人モードだ.傍に人(評価

          傍若無人を徹底する

          「瞑想がもたらす快感」のデメリット

          瞑想は中立的な行為である. しかし深まっていくにつれて快感のようなものを感じることがある. これは悪いことではない. 瞑想によって心地よさ・快感を感じるのは想定できることだ. しかし,これが当然のものであると思ってはいけない. なぜならそれは執着を生み,次回以降の瞑想の際に苦しんでしまうから. 「前回はあんなに心地よさが現れたのに,今回はなぜそうならない?」と. 執着し期待すると,それが得られない時に焦り,自分を責める. だから苦しさというのは現れて当然,あって当然のものだ

          「瞑想がもたらす快感」のデメリット

          疲れてる時のマインドフルネス

          マインドフルネスは,今に意識を向けることだ. 呼吸によって上下する腹部を感じ,気がそれがことに気づいたらそれを受容し抑圧・回避を行わず存在を認め,その上でゆっくりと呼吸に注意を戻す. しかし,いくら呼吸をしてもここにいない気がする. そもそも呼吸に向いている注意集中の量が少ない気がする. そういう時は,呼吸に意識が向けられない原因が,体の中にある. それは単純に夕方だからこその疲れかもしれないし,今までの人生でちゃんと目を向けてあげていなかったけれども実はこびりついていた慢

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          心の嵐 意欲がない理由

          何に対しても,何も感じない時. 意欲が0になっている時. 心の中には嵐が吹き荒れている. それは苦しみだ. 苦しみの渦だ. 育った苦しみが,心の中に吹き荒れている. そんな時に外の様子なんて気にならない. 心が瀕死なのだから. 心が「何も欲しくない」って言うのは,欲するほどのエネルギーが心に残ってないってことだ. 内戦で手一杯で外に構ってる暇なんてないってことだ.

          心の嵐 意欲がない理由

          不快の育ち方 〜「何か楽しくない」が発狂になるまで〜

          小さな不快は日常のあらゆる場所に居る. これは逃れようもない. 自分はよく「何か楽しくない」という感情を抱く. こんな感情は不快とも呼べないくらい小さな不快だ. プラスマイナスで言うと,-0.01といったところだろう. いじらなければ勝手に0に戻ってくれる. しかしこれを問題と捉え,解決しようとした途端に,不快は育ち始める. このように二の矢,三の矢,四の矢を次々と慣れた手つきで射ってゆく. するとそれぞれの小さな不快が,またいくつもの不快に枝分かれしていく. これによって

          不快の育ち方 〜「何か楽しくない」が発狂になるまで〜

          インクを薄める 苦しみに対するメタファー

          苦しい時. それを追い払いたくなる. 幸福を欲する. 「幸福を大量に摂取し,苦しさを追い払う」という手段をとる. しかしそれはうまくいかない. なぜなら苦しさと戦って抵抗しているから. 苦しさに感謝まではしなくていい. でも苦しさの存在を,心の内に居ることを,認めてあげないといけない. 存在を認めてあげないと,欲しいものを買ってもらえなかった小さな子供みたいに暴れ回り,余計に大きな苦しみに成長するから. だからインクを薄めるイメージを持つ. それ自体はどこにも行っていない.

          インクを薄める 苦しみに対するメタファー