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1994年 SideB-5「祭りのあと/桑田佳祐」

桑田佳祐作詞・作曲 桑田佳祐・小倉博和編曲

・「静かなるドン」(日本テレビ系 1994/10/21~1995/3/17)主題歌

 日本テレビ系金曜8時枠10月クールドラマ主題歌。桑田佳祐のソロ活動第2期を締めくくった一作。このシングルのあと、Mr.Childrenとの「奇跡の地球」をはさみ、桑田はサザンオールスターズとしての活動に回帰していく。桑田ソロ名義でのリリースは(98年「海のYeah!」&2000年「TSUNAMI」のウルトラメガヒットと大森隆志サザン脱退を経たあとの)2001年「波乗りジョニー」まで途絶えることとなる。

 サザンオールスターズと桑田佳祐のソロ活動とは密接に関係している。デジタルを駆使したスタジオでの自己表現を極めた「KAMAKURA」は、80年代前半のサザンに漂っていたある種のフラストレーションを吹き飛ばし、彼らを過去最高の音楽的高みに運んだが、その分バンドとしての一体感を犠牲にせざるを得ず、サザンは(極端な言い方をすれば)バンドである必要を見失う。「KAMAKURA」のあと、原由子の出産を機にサザンはグループとしての活動を休止、桑田は第1期のソロ活動に入る。

 1996年、まず腕利きのミュージシャンを集めたKUWATA BANDでテクニカルかつソウルフルなロックバンドのグルーヴを極めた桑田は、返す刀でデジタルスタジオワークを駆使して97年に初ソロアルバム「Keisuke Kuwata」を作る。共同プロデュースは小林武史と藤井丈司。そしてその後のサザンオールスターズの活動は「Southern All Stars」「世に万葉の花が咲くなり」と基本的にこちらの「KAMAKURA」~「Keisuke Kuwata」体制で進み、音楽的にも商業的にも大きな成果を残す。サザンオールスターズは国民的ポップロックバンドとして盤石のグループ体制を築きながら、バンドであることの必然性を本質的には取り戻せぬままでいた。

 1994年、関口和之の病気療養を機に再びサザンはグループとしての活動を休止、桑田は第2期のソロ活動に入る。ボブ・ディランのスタイルを下敷きに(おそらくは)、内省的な詞をフォーキーに歌うロックアルバム「孤独の太陽」のある種の分かりやすさを経て、桑田はサザンと自分の折り合いをつけたと思う。このあと95年に「マンピーのGスポット」でサザンを再開して以降、桑田のソロとサザンに本質的な違いはなくなる(アルバム「YOUNG LOVE」はいくら打ち込みを使っても、いくらメンバー以外の演奏者を起用しても、サザンのアイデンティティは揺るがないという力強い宣言であった。同時に「波乗りジョニー」以降の桑田はソロとサザンで作品を区別しないようになった。だって俺もサザンのメンバーなんだし、という当たり前の理由で)。

 したがってソロ第2期の掉尾を飾る「祭りのあと」は、notサザンとしてのソロを意識した最後の作品ということになるだろう。ディランというより吉田拓郎、もっと言えば河島英五や長渕剛に通じる男節炸裂のフォークロックで、スケベ全開が身上の桑田が男の純情を自ら吐露した真摯な一曲である。

 「静かなるドン」は新田たつお原作コミックのドラマ化で、主演は中山秀征。日本テレビの金曜8時枠最後のドラマであり、この後金曜8時枠はバラエティー枠へと移行する。

 日本テレビの金曜8時枠といえば、1972年に当時の一大人気コンテンツだったプロレス中継の後を受けて「太陽にほえろ!」をスタートさせて以来、アクションメインの刑事もので一世を風靡したテレビ界を代表するドラマ枠である。このドラマ撤退は大きな決断だったと思うが、結果的にこの金曜8時枠からのちの日テレバラエティー黄金時代を支える番組が生まれることになるわけで、そういう意味ではこの勇気ある撤退こそが日テレ絶頂期へ向けての象徴的な一手だったと言えるかもしれない。

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