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1993年 SideB-10「ぼくたちの失敗/森田童子」

森田童子作詞・作曲 石川鷹彦編曲

・「高校教師」(TBS系 1993/1/8~3/19)主題歌

 TBS系金曜10時枠1月クールドラマ主題歌。森田童子(もりたどうじ)は1975年デビューの女性シンガーソングライター。目立ったシングルヒットこそないが、この時期の女性フォークシンガーの中では比較的知られた存在であった(ポリドールから発売された4枚のアルバムはすべてオリコンLPチャートの40~50位台に入っているし、80年にワーナーパイオニア移籍時に過去のアルバムが再発された時もそこそこ話題になった)。

 主に政治の季節に間に合わなかった世代(野島伸司もこの世代である)が彼女のメランコリーを支持していた(「音楽に政治を持ち込むな」などという言説が真顔で語られる現在とは隔世の感があるが、あの頃は政治的な背景を持つ音楽の方が支持されていた。どころか政治的でないという理由だけでステージを追われるような空気すらあった。そういう時代が確かにあったのである)。いずれにしても、デビューから20年近く経ったこの時期にドラマ主題歌として森田童子の曲が流れてきたのは確かに大きな衝撃であった。

 「高校教師」は数々のヒットドラマがひしめき合う90年代初頭のドラマ群でもひときわ輝いている作品である。フジテレビでヒット作を連発していた野島伸司が大きく作風を変えて挑んだチャレンジ作。男性教師と女生徒との純愛を描く一方、教師による生徒のレイプを描き、同性愛や近親相姦も描いた。

 “禁断の愛”というキーワードがひとり歩きし、スキャンダラスな要素ばかりが話題を集めたが、このドラマの最も優れた部分は、そうしたタブーともいえるテーマを選びながら、むしろ渦中の主人公ふたりの心の動きに寄り添った脚本と演出の徹底的な優しさ、丁寧さにある。特に当初なにかと付きまとってくる繭(桜井幸子)に余裕を持った態度で接していた羽村(真田広之)が、婚約者から裏切られ、研究室に戻る道も絶たれ、絶望的な現実の中でついに彼女の笑顔にすがらずにいられなくなる、その刹那の繭の笑顔と羽村の恍惚は、90年代ドラマの頂点たる名シーンであった(もちろんそれは「ぼくたちの失敗」の冒頭の歌詞にも呼応している)。

 そしてこのドラマは既成の曲を劇伴音楽として使用するという、新しい音楽の使い方にも道を拓いた。「愛という名のもとに」でヒントを得、「高校教師」で手応えをつかんだ野島伸司は、以降サイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、アバとフィールドを広げ、「1アーティストの楽曲を敷き詰めることでドラマの空気を形作る」という手法を突き詰め極めていく。「ふぞろいの林檎たち」の場合と違うのは、脚本家が意識的にそのアーティスト効果を利用しようとしたという点にあり、それは「東京ラブストーリー」の日向敏文とは別のベクトルながら、ドラマ音楽の可能性と価値を高める役割を果たしたといえると思う。

(次回はボーナストラックです)

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