名前を呼ばれる
どんな時にときめく?
そう聞かれた私は一晩考えて、
名前を呼ばれる時、と答えた。
好きな人たちに名前を呼ばれると、いつも一人きゅんとする。私はこの人からちゃんと見えているんだなと思って安心する。私は私の輪郭を、名前を呼ばれる事で確かめる。
この夏、幼馴染の立ち上げた創作ユニットに加入した。
melomys
メロミス
絶滅したネズミの名前。
人知れず絶えた種の名前をそれと関わりもなかった私たちが今呼ぶ事で、この世にその存在があったと確かめられるような、そんな気がして名付けたとか。たしかそんな感じ。
一匹もいなくなってしまった種の名前を彼女は一人で名乗ることにして、
映像作品をつくり、
一人芝居をつくり、
今は沢山の人と物と関わり合いながら空間をつくろうとしている。
その間にユニットは彼女を含め四人になっていた。名前を呼んでいくことで広がるものもあるのかもしれないな、と一番最後に加入した私は密かに思う。
「はじめまして、メロミスです。」
もうそれは違う存在を指す名前になっていたとしても、私たちはそのネズミの存在から走り始めたと思い出す事が出来る。
忘れっぽい私たちは、好きな時に好きなように互いの存在に触れて何かを思い出して生きていく。
そういう事がそのまま芝居になりました。
もうまもなく、本番。
拙くて、無骨で、むき出しのまま。
ちょっと意味はわからないかもしれない。
意味はわからなくていいと言う、共通言語を持たない彼女だからつくれるオリジナルがあるのかもしれない。すぐ側で演出助手のような事をしながらそう思った。
本番が始まって終わるまで、完結する事のない物語に触れてみてほしい。
melomys/演劇公演『Dreamtime』
作・演出=田崎小春
2021年12月9日(木)-12日(日) @ アトリエ春風舎
これからは、私から見えるメロミスの人たち、メロミスで関わる人たちの事を綴っていけたらー。いいかなー。まぁ、気の向いた時に。(なつ)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?