天使になりたかった頃

幼稚園の時分、わたしは天使になりたかった。


「家から近いから」という理由で入園が決まったというわたしの幼稚園は、カトリック系キリスト教の私立だった。毎日朝礼のときはイエス様やマリア様をテーマにした歌を歌い、お祈りをした。ホールや教室、園庭にはイエス様やマリア様の像が置かれており、帰りのあいさつは「先生さようなら、みなさんさようなら、マリア様さようなら」、ひらがな多めの聖書も配られていた。

そんな園のイベントのうちのひとつ、クリスマス会では年長さんが降誕劇をするのがお決まりだった。
降誕劇とはイエス・キリストが生まれたときのエピソードをあらすじにした劇のことである。
年少さんの時分からみんなの憧れであり、すきなセリフやなりたい役を考えながらお兄さんお姉さんの劇を鑑賞していた。

いよいよ我々が年長さんの年。先生はみんなに役の説明をしてくれた。この役は女の子が何人必要です。この役は男の子を何人募集します。そして、「第3希望まで決めてくださいね」と言われた。
わたしはだいすきだったひとつ歳上のお姉さんがやっていた「大天使ガブリエル」役をやりたいと思った。大天使ガブリエルはイエス様の母となるマリアや父となるヨセフにイエス様のことを伝えに行く大役である。なんか長めのセリフがあり、お花をマリアやヨセフに渡す。ひらひらふわふわした白い長いワンピースをまとい、なんと背中には羽まであるのだ。憧れないわけがない。よし、ガブリエルのふた枠になんとしてもおさまりたい。

第1希望が決まったら、第2希望と第3希望も決めなければならない。第2希望は、「天使」役にしようと思った。ガブリエルのような長いセリフはなく、ガブリエルの後ろに5人ぐらいで後ろで佇んでいる役だ。天使たち全員で歌う歌があり、ガブリエルにはない天使の輪っかが頭に乗る。小さいが羽もはえている。何より、白くて長いひらふわのスカート姿である。かわいい。よし、第2希望はこれで決まりだ。

わたしはもうこのどちらかに絶対なりたかったので、第3希望を決めるのにとってもとても時間がかかってしまった。あと女の子の枠で残っているのは「イヴ」「宿屋の主人」「語り部」「マリア様」の4種類だった。
「イヴ」は世界ではじめての女の人である。(降誕劇なのに、アダムとイヴが知恵の実を食べて楽園から追放されるシーンがはじめに出てくる。)頭にお花を乗せているのはかわいいが、服のスカートが短すぎるのが気になった。そして年少さんからの大親友がこの一枠しかない役を志していることを知っていたのでそれを応援すると決めていたことも思い出し、「イヴ」はやめておくことにした。
「宿屋の主人」はヨセフと身重のマリアが難を逃れて宿を探すシーンで出てくるキーパーソンである。4人のうち、ふたりは1軒目の宿で満室で泊まれないと断わり、あとのふたりは2軒目の宿で、部屋は満員だが馬小屋ならあいていますと案内する。断る役はなんだか気に入らず、そして服の色が黄色とオレンジ、紫とピンクの組み合わせであること、ひらひらしてないことを理由にやめておくことにした。
続いて、「語り部」。舞台の上には登場せず、舞台の手前の横で天からの声の合唱をしたり、マイクを持って説明したりする、ナレーター的存在である。ろうそくを模したかざりを持って出てきたり、なにかとかっこいい人気の役でもある。しかしわたしは舞台で何かの役をつとめたかった。僅かな憧れを感じたが、やめておくことにした。
最後に残っているのは「マリア様」である。マリア様は言わずとしれたキリストの母であり、3枠が用意されていた。受胎告知のシーンがひと枠、宿屋に断れたり馬小屋を貸してもらえるシーンがふた枠である。どのシーンも白くて長いスカート(あまりひらふわしてない)をはいており、先ほどまでの役よりかはかわいい気がする。まあ、第3希望なので、気に入らないこともあるだろう。マリア様にすることにした。

さて、役決めの時間がやってきた。役決めのシステムが説明された。先生が「〇〇役がいいひと!」と言い、自分の希望する役がきたら手を挙げる。枠に対してたくさん手を挙げた場合は、投票で決める。(今思ったらめちゃめちゃシビアな決め方をしているな)
わたしは、ガブリエルがくるのを待つことにした。
だいたいこういうのは物語のはじめから決めていくものである。まず、アダムとイヴが募られた。わたしの大親友は手を挙げ、そして男の子も女の子もひとりしかいなかった。先生が「じゃあ、アダムはケンちゃん(仮)、イヴはアキちゃん(仮)に決まりました!」と言う。わたしたちは心の底から拍手を送った。
そして、先生の声が次の役を募る。「マリア様、やりたい人!」
わたしははっとした。たしか、第3希望をマリア様にしたのだ。わたしは『第1希望がだめだったら2巡目で第2希望に手を挙げ、それがだめだったら第3希望に流れる』などというこの世の理を全く理解していなかったので元気に手を挙げた。完全に馬鹿である。
周りを見ると、3枠を争うマリア様の役には私を含め4人の女の子が手を挙げていた。


わたしは年少の頃から、ママ友の元に生まれし3人組でピアノを習い続けていたが、そのピアノのあとふたり、アヤちゃん(仮)とナオちゃん(仮)も名乗りを挙げていた。なんという偶然なんだろうか。そして、わたし(ちーちゃん)のほかにあと一人、奇しくも下の名前がおなじチイちゃん(仮)が立候補していた。4人手を挙げるが枠は3つ、つまり、このうち誰かがマリア様にはなれない。ガブリエルのことをすっかり忘れたわたしは絶対に負けるもんかと意気込み、先生は残酷にも〇〇ちゃんがいいと思う人ー?などとオーディエンスに問いかけ、なんやかんやあってアヤちゃん、ナオちゃん、わたしの3人がその枠におさまることになった。
じゃあ、ちーちゃんはマリア様ね!決まった人はこっち!と座る場所を移動され、まだシステムを理解してなかったわたしは「ガブリエルは?」と呟いた。だって、こっち側に座ってしまったらガブリエルにはなれないのだ。いったいどこでどう間違えたのか。(6歳の私へ、全部間違ってる。わたしより)そのまま役決めはつつがなく終了し、果たしてわたしはマリア様役をを手にした。


なんかうまい話みたいだが、チイちゃんは、第2希望の「大天使ガブリエル」役に決まった。きっとチイちゃんはほんとうにマリア様をやりたかったに違いないので、申し訳なく思っている。

でも、マリア様はほんとうに楽しかった。

マリア様の3枠のうち、宿屋を探すふた枠は青いマントを被り、ヨセフと腕を組んで歩く。ヨセフとデュエットで歌うシーンがある。気になる男の子もいなかったくせに人一倍マセてたわたしは、そのどちらかになって男の子と一緒に歩けたらすてきやん?と思っていた。しかしそのマリア様にはアヤちゃんとナオちゃんがあてがわれていた。わたしに待っていたのは受胎告知のシーンである。

受胎告知のシーンの概要は以下の通りだ。
マリア、ひとりで椅子に座って編み物をしている。
不思議な光とともに天使たちが登場する。
マリア、立ち上がる。
大天使ガブリエルが登場する。
天使たちが合唱、ガブリエルが長めのセリフを言い、マリアに百合を渡す。
ガブリエル、天使たち、退場。
マリア、舞台の真ん中に移動して一曲歌う。
マリア、セリフを言って、舞台暗転。

まさかのひとりぼっちである。わたしは対になるヨセフ様とは出会えないのだ。(ヨセフも3枠あり、私と対になるヨセフが同じように天使のお告げを受けるどソロパートを担う。)歌は大好きだが、このソロ曲はけっこう難しい。今、当時の歌を思い出したら、長6度、短7度、完全8度の跳躍があった。幼稚園児になにを歌わせてるんだろう。負けず嫌いだったわたしは地声で歌いきった。わりと頑張ったと思う。


余談だが、ふた枠のうちわたしのところに受胎告知しにきたガブリエルがチイちゃんである。どこまで因縁なのだろうか。元気にしてるだろうか。


今思い出しても私のバカさ加減には苦笑するしかないが、そのうっかりさんのおかげで練習も本番もとても楽しかったので、後悔などはなくむしろ結果オーライではある。


わたしは、天使になりたかった。大人になって、天使は普通は男の人だということを知り、もうなれないことがわかっても、いまだにほんのりとした憧れを感じている。

6歳のわたしへ、マリア様に選ばれて嬉しかったのに天使になれなくってちょっと落ち込んでた、あの日のおばかな愛しいちーちゃんへ

大丈夫、そのまま人にやさしく笑って元気に運に任せて生きてたらさ、「ちーちゃんは天使」って言われる日がくるよ。記憶の扉が蓋を開けて古い記憶にびっくりした、偶然が心をくすぐって、とても嬉しかったよ。



なんだかンンン年越しの夢が叶った気がした昨日の夜に


おしまい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?