見出し画像

ギフトは突然やって来るー過去作品『ガーリィ如意輪菩提和讚』のコラボ

こんにちは、メロンパスです。

前回の東京展のお話と時系列が前後するのですが、去る9月29日と30日に高柳にて佐渡の人形浄瑠璃一座『猿八座』の講演がありました。

私のレジデンスしているグルグルハウスもチケット販売や会場設営に携わり、そのご縁で猿八座太夫の渡部(祭文)八太夫様とお話しする機会がありました。

公演前日、ありがたいことに私の作品を展示しているギャラリーにも足を運んでいただき、画集『海洋少女解放戦線』までお買い上げくださったのでした。

そしてその日の晩酌の際に、太夫から意外な言葉が飛び出したのです。

「メロンパスさんの文章、節立てができるよ」

太夫は私のギャラリーの壁に貼ってある文面や、画集に書いてある文章が琴線に触れたようで、とても真剣に読んでくださっていました。

「最近の若い人がどんなことを考えているのか興味があったので、読んでいて楽しかった」と感想を述べていただき、そこからさきほどの『節立てができる』という話になりました。

『節立て』というのは浄瑠璃の詞章語りにおいて文章にリズムと抑揚をつけて語る(謡)ことです。やや強引な喩えですが、歌詞に旋律を乗せて歌にするのに近いでしょうか。

「昔の人は文章をみんな音読してた。だから韻や句切り、音程を意識して書かれていたんです。だけど現代は黙読が首領になって、文章からも音が消えてしまったんです」とのこと。

小説や評論文など、現在私たちがよく目にする文章の大半にはリズムも音節もありません。意味や内容、あるいは心情が正しく伝わるようにすることだけを意識して書かれている。散文というやつです。このノートも然り。

そのためほとんどの現代文は節立てして詞章に仕立てることができないそうです。しかし私の文章は節立てが出来ると、太夫はそう仰るのです。

それもそのはず、私はここぞというときの『作品』として書く文章においては必ずリズムを重視しているのです。意味を崩さない範囲でですが、なるべくリズミカルで、読んでいて心地いいテンポが作れる言葉を選んでいます。

俳句や都々逸の七五調であるとか、平家物語とか、トミノの地獄とか、「ざんぎり頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」などのリズムが好きで、とりわけ作品のタイトルを決めるときにはそういった感覚で書くことが多いです。『小夜時雨 今宵は不実を 眠らせて』なんかは七五調ですし、『貴方の記憶の奥底で、綺羅里と明滅できたなら』は平家物語などに近いですね。

祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり
              ー『平家物語』
姉は血を吐く 妹(いもと)は火吐く。
可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
        ー西條八十『トミノの地獄』

これは一種の癖というか、そうしないと気持ち悪いというか、個人的にどこか据わりがよくないように感じてしまうというだけで、特に節立てしようとか歌にしようという考えによるものではありませんでした。

ただの個人的な自己満足のような部分であって、あまり他の人から言われることのない要素でした。

その点に気付いてくださるだけでも個人的にはとても嬉しかったのですが、なんと翌日、太夫が実際に私の画集の一節を節立てして語ってくださったのです!(リンク先参照)

人形浄瑠璃太夫による『ガーリィ如意輪菩提和讚』三味線詞章語り|メロンパス◆グランジコミックアート @melonpas|note(ノート)https://note.mu/melonpas/n/n2271f2d79f65

※高い音が小さくなっているので音量大きめで聞くことを推奨します

自分が書いた文章だというのに、圧倒されました。

恐ろしいまでの緊張感をもって、過去の私の悲痛な感情が甦ってきたような、迫力の語りです。

太夫は後日この他にも画集からいくつかの部分を語ってくださり、mp3ファイルで送ってくださりました。本当に信じられない、ありがたいことです。

現在はこの音声に映像をつけたり、あるいは現代ストーリーの浄瑠璃のシナリオを私が執筆してみる計画などが上がっており、表現の幅と今後の可能性が大きく広がる劇的な出来事となりました。

太夫の語ってくださった文章を書いた作品は『ガーリィ如意輪菩提和讚』という作品です。

私の生家は臨済宗なのですが、四十九日や周忌など仏事の度に、うちに来る僧侶の方は毎回参列者に経本を配ってくださっていました。

その経本を興味本意でパラパラと眺めていたら、ふと目についた言葉があったのです。

「五欲の悦楽(たのしみ)追い求め 刹那の夢に酔い痴れる」

『菩提和讚』の一節です。

人間の欲望にはいい面も悪い面もあって、欲望の形こそがその人の人間性の本質なのではないかと私は思うのです。この言葉はリズムもよく、とても印象に残りました。これは作品にするしかないと思ったのです。

願いをなんでも叶えてくれるといわれる如意輪観音に、色声香味触の五欲をかけあわせ、欲望と虚飾に満ちたこの作品を、実家から帰ってきてすぐに制作しました。

この作品は銀座のギャラリーで初お披露目をしたのですが、そのときの評判はあまりよくありませんでした。あるお客様いわく「派手すぎる」と。さもありなん。

それからしばらくの間、この作品はお蔵入りしていました。

しかしその後、大阪のギャラリーで行ったグループ展において、展示のスペースが余ってしまい、各自小品を追加で持ち寄ってスペースを埋めようという話になりました。

そして数ヶ月ぶりに、今度は大阪の地で、『ガーリィ如意輪菩提和讚』は再び展示の機会を得たのです。

すると今度は打って変わって、この作品は何人ものお客様からご好評をいただき、すぐに売約が成立しました。

ひとつの時期、ひとつの場所での評価が絶対的なものというわけではなく、違う時期や違う場所において評価されることもあるということを、このとき身をもって感じました。

そのときの全力を尽くし努力した成果が、ずっと遅れた未来に実を結ぶこともあるということです。

そのためには、瞬間瞬間を全力で生き抜き、その熱量を作品という形で未来へと残していくことが重要だと思います。

とにかくひとつでも多く、出せる限りの力を尽くして、未来への遺産を生み出していけば、いつかその価値を発揮できる相手や場面に巡り会うかもしれないーその種を撒き続けることが大切です。

今回太夫に語っていただいた文章の画集もまた、原稿制作のスケジュールが厳しかったためいくつかの妥協を挟みつつもなんとか無理やり完成させ、横浜でのグループ展に間に合わせたものでした。

もし出版を諦めていたら今回の太夫の語りもなかったわけで、とにかく完成させるということがいかに大切かわかります。

たとえ満足のいくものでなくても、悩んでも迷っても、とにかく少しでも手を動かして、なんでもいいからなんかやる。

思えば私のアートライフはその繰り返しで前に進んできました。

Twitterに絵をアップし続けていたらある日突然の東京のギャラリーとのご縁が生まれ、そのギャラリーで展示をし続けていたらまたある日突然東京展と出会い、東京展を続けることで現在のアートレジデンスへと繋がりました。

そしてレジデンスでさまざまな出会いを経て、来年の個展開催や今回の太夫とのコラボ、東京展の受賞など、多くのものが得られました。次はこれらが未来へと繋がっていくことでしょう。
本当にいろんな人たちに助けられ、ここまできました。

とても恵まれていると思います。みなさまに格別の感謝を申し上げます。

そして来夏の個展では、この新潟での2年間でどれだけ生を全うし、どれだけの熱量で、何をどこまで出来たのか、否応なしに答えが出ます。

開催まで残り9ヶ月、一分一秒を大切に、すべてのエネルギーをぶつけていかなくてはなりません。

とにかく今は、生きているという実感があります。

目標に向けて戦い続けてこそ人生ですね。

今後とも全力を尽くして参りますので、何卒応援よろしくお願いいたします。

ご拝読どうもありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?