電動自転車


3年前の夏、祖父が死んだ。 

母が祖母に許可を取り、祖父の愛用していた電動自転車が県をまたいでうちに来た。父が有給を取り、埼玉のど田舎から漕いでくるという死ぬほどアナログな方法で。

その後はもっぱら母が使っていたその自転車に3日前に乗った。わたしはそれが東京に来てから使うのは初めてに近い。

 カゴと左右のハンドルに大量の本を積むと電動自転車をえっちらおっちら漕いでブックオフに向かった。身の回りの整理をきちんとして、お金に換えられるものは換えて、本棚に溜まりに溜まったもう読まない本やCDを一掃したかったのだ。米澤穂信『満願』、湊かなえ『母性』など、もう読み返さないであろうプレミアだと信じ込んでいたサイン本も躊躇せず売り飛ばした。(30円くらいにしかならなくて笑った 価値とは…) 家からブックオフまでは遠い。登り坂もある。わたしは6月にしては厳しすぎる暑さの中、ずっしり重いカゴと両脇の本が詰まった紙袋に苦悶の表情を浮かべながらよろよろと山場である1番長い登りの坂道を進んでいく。  

ふと、左上のボタンが目に入った。電源ボタン、オート、エコ、強弱ボタンがある。 

ーそっか、じい(おじいちゃん)の自転車、電動じゃん!ー 

わたしはこの自転車が電動だということをすっかり忘れていた。電動自転車は普通の自転車より重いので、電動機能を使わないとただのメチャクチャ重い自転車なのである。 わたしは電源ボタンを押した。赤いライトが点滅するやいなやオートボタンが光り、グンと自転車が前に前進する。長い坂道を物ともせず、電気の力で重い本と重いわたしを乗せた車体が軽々とグングンと進んでいく。 

ー快適だ!ー

  そんなに力も要らずに風を切って前進するのは爽快そのものだった。そして同時にふと、亡き祖父がこの自転車を買った理由を思い出した。

 祖父は、畑を趣味にしていた。埼玉の田舎に一軒家を建て住んでいた祖父の畑は川沿いに大きな登り坂、下り坂、登り坂を超えたところにあった。散歩が大好きな祖父は毎日徒歩で通いつめて、携帯電話は持っていくだけで近くの木に引っ掛けて連絡もせず朝から夜まで畑に没頭していて祖母をいつも心配させていた。小学生の頃まで祖父母とその埼玉の家に住んでいたわたしは、じいが帰ってこないからと夕方によく畑まで見に行かされた。遠い道のりを田舎者の小学生の足で駆けていくと、携帯電話を木に引っ掛けて畑作業をするじいの丸い背中があったものだった。

が、時が経つにつれて、徒歩だったのが自転車になり、80歳を超えると普通の自転車で行くのも辛くなって、電動自転車を購入したのだ。こんなの買って、と愚痴る祖母に「これなら畑までの道も楽々なんだ」とよく言っていた。でもそれでも辛くなって、畑を手放して、家にいるようになった。最期は庭作業を趣味にしていた。

 大根やら柿やらを山盛りにカゴに積んでこの自転車で坂道を登る祖父の姿が浮かんだ。祖父もこんな気持ちだったのかな、と思うと自転車を漕ぎながらダバダバと涙が止まらなくなった。ものすごいスピードで坂道を登るグシャグシャ泣き顔の女性。前から見たら都市伝説のモンスターに見えただろう。通報されなくてよかった。

ようやくブックオフに着いて持ってきたものを査定された結果1620円にしかならなくて、さらに涙があふれた。 

 大切な人を亡くした時の悲しみや喪失感は生きている限り一生胸の中に巣食うんだろうなと思う。ふとした時にその人のことを思い出し壊れた蛇口の如く涙がダバダバ止まらないことがある。そうならない日がいつか来るのかもわからないけれど、これからも変なタイミングでダバダバし続けようと思う。

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