髪の綺麗な人柱
自粛をしてしばらく経つ。
出口の見えない自粛に慣れすぎて今度はこれが終わるのが怖い。乙女心って複雑。
緊急事態宣言が出て世間が自粛生活始めたころは我が社はテレワークが赦されず特に何の措置もなく週5出勤していたから、わたしは人柱!ガハハ!電車も人柱しか乗ってないよ!全てを諦めた顔の人柱で電車混んでるよ!ってほろ酔いグレフルソルティあおってほっぺをエッチなピンクにしながらオンライン飲み会でみんなに言っていたというのによ。
人柱と言えば、大学時代、元彼と一緒に大学図書館の本の延滞を繰り返していたら、「俺らみたいな延滞する学生ってさぁ、たぶん図書館の建て替えのときとかに人柱にされるんだろうね」って神妙な面持ちで言われて大爆笑したことを思い出す。
時を戻そう。(松蔭寺)
母が今後はコロナが収束してももうマスクなしで外に出られる生活は戻ってこない、私たちの世代はいいけどあんたたちはこれから本当に可哀想と口癖のように言う。
もし仮にそうだとしても、私たちは決して可哀想ではないと思う。変化に応じていけばいいだけのことだ。母のことは大好きだし大切だけれど、お腹の中にいるときから反りが合わない。
昔ダーウィンが言った「変化に対応できる者だけが生き残る」という言葉は真実だろう。
わたしは適応には自信がある。(パワハラと過労でてんてこまいだった休職時は抑うつ状態、適応障害っぽくなりかけてたので説得力皆無ですがネ)わりと母が姫気質&地雷持ちでどこ踏むと爆発するかわからなかったというのもあって、小さい頃から人の顔色を伺い正解の行動をとることでサバイブしてきたからだ。我を殺して場に溶け込むのが絶妙にうまいのだ。人と人との緩衝材になることも得意だ。会社でピリピリした人がわたしがいるだけで緩和されると他の人から感謝されることも多い。わりと人類みんなに好かれる。別にこっちが好かない人にも好かれるのはときに厄介ではあるけれど。
でも、大人になって正解はどこにでも、しかもいくつもあると知った。
我はかけがえのない〝個〟であり、我を殺す必要はないと知った。
自分だけの正解を選びとり、我を持ったまま適応していこう。そうだろう?(松蔭寺)
バイザウェー
10万円安倍ちゃんがくれるらしいから、夏のボーナスにあまり期待できない復職OLもとい人柱はそれが密やかな楽しみだよ。
髪の毛の綺麗さを人に褒められること多いから髪の毛は輪をかけて大事にしたいと思っていて、しかもこれから伸ばして鬼ロングにすると決めているので最新のパナソニックのドライヤーとストレートアイロンを買おうと思っているよ。ナノイーに1度全てを委ねたい。
髪の綺麗な人柱が電車に乗っていたらそれがとろけるだと思ってください。
縋ってくる悪いオトコにも別れを告げた、
つまらん夜はもうやめた
久しぶりのブログすぎて思うがままの垂れ流しになってしまった、わたしの思考を覗いてくれてありがとう
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