流せばなかったことになる


わたしには好きな小説がある。

『七つの怖い扉』というオムニバス短編集の1番初めに入っている阿刀田高の「迷路」だ。

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あらすじを載せる。

庭に井戸のある家に母と2人で住む、薄らぼんやりとした男主人公・昌司が、ある冬の日悪戯で、女友達を井戸に落として死なせてしまう。パニックになった昌司は井戸にフタをして、どうしていいかわからなくて露呈することに怯えながら一夜を明かす。そのまま雪解けて春になり、しばらく経って恐る恐るフタを開けて井戸の中を見ると死体はなくなっていた。見つかったのだと思い観念したが、警察が自分を捕まえにくる気配はない。またある日、金目当てで誘惑してきた女を殺してしまう。どうしていいかわからず、昌司はふとあの井戸のことを思い出し、死体を井戸に落としてみる。しばらく経って中を見ると、やはり死体は井戸から消えている。昌司は安堵して喜ぶ。

ーこの井戸は、死体を消してくれる不思議な井戸なのだ!ー

と。その後も意図的に殺人を犯し、同じように井戸に捨てるのだが…。

わたしはこの小説が無性に好きだ。意味がわかると怖い話として超簡略化され創作も付け加えられてコピペにもなっている。比べるまでもなく本の方が断然面白いしゾクゾクするので阿刀田の文で読んでほしい。


阿刀田高を知ったのは、『阿刀田高選・ショートショートの広場』という一般人が投稿した短編小説を阿刀田がチョイスしてまとめた本である。シリーズ物のそれは、ショートショートの巨匠として有名な星新一選のショートショートの広場より格段に面白かった。あとがきにある何故この短編をチョイスしたのかという一言も粋でとても面白かった。この人自身が、どんな文章を書くのか知りたくなった。ゾクゾクさせる奇妙な読後感を得意とする作家だとわかり、ファンになった。

わたしは給食の好き嫌いの多い子供であった。給食はおいしいもの以外全て不味かった。特にチーズの入った揚げ物系のメニューは、大きさもあいまって涙目になってもどうしても全ては食べられなかった。しかし、クラスで給食を残すことは禁じられていた。ゴツ子と呼ばれる鬼のような担任に、どんなものでも食べ切らなければならないと散々言われていた。生徒たちは皆怯えた。完全なファシズムだった。今振り返っても最低なのだが、たまにササミチーズ揚げなどが出たときには、どうしても食べ切れないそれをそっと給食袋に忍ばせて持ち込み、トイレに流していた。

トイレに流せば、なかったことになる。上履きでレバーを踏み、血走った目でササミがきちんと流れるかを確認していた。

わたしは自分が最低な子供であることを知り、怯えていた。しかし、ひょんなことから幼なじみの遼ちゃんが、プチトマトが出た日には同じことをしていることを知り、少しだけそれが軽減された。学校を離れた塾の帰り道、遼ちゃんはそれを2人で帰るバスの中でこっそりと教えてくれた。親に与えられた虹色のバスカード。バァイウァイィ、と斜めってふにゃふにゃ弾むように手を振る遼ちゃんの別れ際の見慣れた姿。学校ではわからない一面が垣間見える、同じ志を持った勉強に打ち込む人間の集まり。塾が好きだった。


再読していたところ、井戸に死体を落とし、なかったことにする阿刀田高の「迷路」の主人公と、トイレにササミを流し、なかったことにする浅はかな過去の自分とが重なった。こういうリンクもあって、わたしはこの小説が好きなのかもしれない。


これからも読書を通じて自分の中に眠る自分に出会えるのならば、こんなに嬉しいことはない。



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