禺伝、ロス…?

ずっともやもやしてました。

このもやもやの原因がわからなくて、さらにもやもや。
2月は禺伝月間でしたー。

公演開始カウントダウンからはじまり、お稽古の情報や写真に、観劇に、出演者様からのこれまたありがたい数々のお写真の供給に。。。

今でもSNSを開けばたくさんの作品ファン、キャラクターファン、演者さんにはまってしまった方々の感想やイラストが沢山あふれていて、こっそりと楽しませていただいております。
そこで自分の公演の感想みたいなものを終着駅に向かわせる前にたくさんの感情・想いを受け取り「禺伝ロスだー」という言葉を何度も目にしているうちに、「自分自身の公演評」と「ロスという感情」がどんなものかわからなくなってしまい、自分の抱えているこの感情が作品ロスなのかもわからず、もやもやしてしまっていました。

公演も終わってすぐの頃、そろそろ公演の感想をまとめたいな、と思ったけれど自分のロスの定義みたいなもの探しから始めなくちゃならなかった。。。
いままでの公演期間終了後とは明らかに違う自分がいて、それはなんでかな、ってマインドマップを書く必要がありそうな(脳内では書いてた)日々を過ごしました。

結論からいうと、軽いロス状態ではあるが作品に対してというより、一年前に別れを受け入れるしかなかった(そして4カ月かけてお別れした)人が再び目の前に現れてしまったことへの喜びと切なさみたいなものをまた感じていて、自分のその感情が収まるところに行きつくまでには公演期間が短すぎて…もっと観ていたかったな、ということだろうと思い至りました。

2022年2月1日に綾さんの退団発表があってから、それまでの色んなことを思い返して感慨にふけったり、その時には見えなかった未来を想像してみたり、本当に本当に色んなことを考えました。いざ3月に退団公演が始まったときにはもう全力で最後まで追いかけることを生きる糧に、早朝に関西(・東京)から飛行機で出勤して仕事を定時であがったらそのまま関西(・東京)へ帰る、という「♪あなたのおうちはどこですか」っていう、はちゃめちゃな遠征の日々を3ヶ月繰り返しました。

その公演期間、何度も「あと何回?」と問いかけました。あと何回この声が聴けるのか、あと何回男役姿を観られるのか、あと何回黒燕尾を見られるのか、あと何回微笑んでくれるのだろうか。

綾さんは舞台ではとにかく周りの方のお芝居をよく感じていたし、客席もよく見えている方でした。そして、可愛さとかっこよさの同居した男役さんだった。
お芝居では大人の男性かと思えば時折その人間の持つ少年性みたいなものを垣間見せたり、少年かと思えばその中に確固たる男の信念を感じさせたり。そういう塩梅が絶妙な人でした。
ショーでは色気を纏っているかと思えば急に可愛い表情をしたり、涼しげに澄ましているかと思えば場面が変わるとまるで青い炎のようなダンスをする人だった。
普段見せてくれる姿も、可愛いのだけど、突然かっこつけてくれるような人だった。

恨むに恨めないコロナ禍でのご卒業を決意した大好きな人の意志を尊重し、且つ「今がベストだったのだと確信をもって卒業してもらう」というファンの役目を果たさねばと必死だった。
でも、今思い返しても信じられないくらいに、綾さんはどこまでもファン思いで、優しくて、あったかくて、ちっぽけなファンのことも覚えていてくれる素晴らしい人でした。
ファンが確信をもって後押しできるようにしてくれたのは、まぎれもなく綾さんでした。想いは昇華されて、ファンとして本当に幸せな日々でした。
6月13日に最後の帰路につく時、これで無事に全部終わったんだ、というほっとした気持ちに満たされました。男役の綾凰華さんを応援してきた5年、さらに言うと遠くから見つめた2年、合わせて7年もの年月はようやく完結したのだと。退団発表から4か月かけてゆっくりとひとつひとつにお別れをしました。

外の世界へ出てきた綾さんは、変わらず、可愛くてかっこいい素敵な人のままでした。
主だったところでいうと
9月に宝塚ホテルでのトーク&ライブ
10月に朗読劇の公演
11月に朝日新聞トークショー
23年1月に1 day Live
上記綾さんにお会いできる機会がありましたが、男役だから好きなのではなく、ご本人が好きだからここまで応援できたのだなと改めて実感するばかりでした。

朗読劇では、出雲阿国とその弟子三十郎をスイッチキャストで演じられていましたが、それぞれの台詞が宝塚時代を含めての綾さんにリンクしてしまい、阿国の覚悟が綾さんの覚悟のように受け取れたり、また阿国を見つめる三十郎の気持ちが自分と重なってしまったりと感情の箍が外れてしまい毎公演大変でした…。
私の場合「気持ちの切り替えに非常に重要な公演」であったことは確かです。

切り替えは完了した。――はずなんです。

刀ステは前作までも一通り見た。ゲームもやったし、則宗さんは手に入れた。今回登場するキャラクターも勉強した。これは2.5次元の舞台であって、宝塚OG公演ではない。
そして初日。懐かしい仲間のみんなと挨拶して、観た。

テレビでみた刀剣乱舞の世界だぁ!と感激したのも束の間。
この物語自体の話の筋
この物語で作者さんがおそらく語りたかったこと
この物語で綾さんが一文字則宗を演じること
この物語をこのメンバーでやること

「なんだこれは。」

すごく複雑で奥行きのある作品で、初見では知識と注意力が足りず「??」なところもあったので何度も観られることに感謝したし、OGのみなさんは現役のお姿も知っているだけに、当時よりさらにかっこよくなられていて感動しました。演出も面白かったです。

配役の妙だとか、舞台や役者そのものの美しさっていうレベルじゃなく、
私にとって「美しい地獄」でした。

もう会えないと思っていた人が、目の前に現れた。
もう聞くことが出来ないと思っていた声がそこに響いていた。
もう見られないと思っていた懐かしい表情や仕草がそこにあった。

新しいはずなのに、懐かしさでいっぱいでした。
あちこちで台詞が私の心を抉る。
興味深い作品だったけれど、懐かしさが、悲しさ・切なさにつながってしまい洪水をおこしそうになっていた。
でも、東京公演半ばで観たとき、同じ作品なのにその懐かしいという感情が、拠り所のような強さに変わっていました。
私の心が強くなったのか、綾さんの変化がそうさせたのか。

そこからはなにかが吹っ切れたかのようで楽しくて仕方なかったです。
懐かしいときめきも、なにもかも愛おしいという感じでした。
キャラクターを介しているのに、男役だった綾さんを感じる瞬間があって、以前もそうだったように脳に信号がでて幸福な気持ちになる。
でも、日が進むにつれて、それはさみしさも帯びてきて…。
また、お別れしなくちゃいけないんだ。顕現してくれたけど供養しなくちゃいけないんだ、と。

出演を決めてくださった皆さん、本当に勇気が要ったと仰っていましたが本当にこのように結実して良かったです。
・宝塚に半生を注いできた上で、辞めた男役をまた演じること。
・今までとは違う殺陣を習得すること。
・多くの既存ファンがいる巨大コンテンツに挑むこと。
3つ目については、私には既存ファンの方々の気持ちは分かりませんが、興行としては出演者の後記や物販の売行きをみる限り成功だったのではないでしょうか。
作品の内容しかり、女性である必要があったし、この物語が語るところは外伝などと銘打ってはいけなかった。そして宝塚OGだからこそ表現できた刀剣男士、光源氏だったと思います。

宝塚歌劇は真ん中の方がかっこよく輝くように作られている事が当然の世界だったから、今回こんなにも全員がかっこよく、培ったものを存分に発揮し魅せられる世界があるのだということに感動しました。
‪宝塚時代から応援していらっしゃるファンの方々はきっと懐かしくて、さらにかっこよくなられた姿がみられて嬉しかったんじゃないかなぁと思いましたし、外に出てからのファンの方々もかっこよさにきっと感動なさったのでは。
綾さんも確かに別物なのに、まるで夢の続きのような姿をみせてもらいました。
全員がかっこいい物語、アンサンブルの方々によるプロフェッショナルな殺陣、これらは外部でなければできません。
今回はじめて、2.5次元というカテゴリーにお邪魔し、垣間見させて頂きました。ファンの方々の持つ熱量がいい意味で凄くて、作品そのもの以外に、そこから派生させたものにも熱意を注がれているのだということを知りました。
禺伝の公演は終わったけれど、「禺伝則宗」と語られる綾さんはその方々の中で愛されて生き続けるんだなと思うと、綾さんの一ファンとして、烏滸がましくも私の中の男役綾凰華の一部を供養をしてもらえるみたいでなんだか救われた気持ちすらします。

宝塚を辞めてほしくなかったなどとは思っていません。全力で走る人を、全力で追いかけた日々は大切な大切な思い出です。
退団後に男役をしないでほしかったなどとも思いません。一文字則宗を引き受けて下さったことは、私にとって最高のギフトでした。
ただもう少し禺伝の公演期間が長かったら…残り香にお別れをいういとまがほしかったな、とそう思います。
これが、いいようのなかったロスの正体です。

言葉にできたら、すっきりとしました。
男役かどうかは応援する気持ちには関係ありません!これまでもこれからも。
…やっぱり綾凰華最高だなー♡

ああ、ちなみに私が「普段の綾凰華さん」からイメージする刀剣男士は「物吉貞宗」くんです。
幸福を運んできてくれるんですよ。
きっと分かってくれる方がいると思っています🥳♡

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