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潜在意識から読み解く『みぃちゃん物語A面B面』2〜お母さんを嫌いになった小学生の頃〜

この物語は、私、ワンネスカウンセラー瑞羽が、生まれてから今までに辿ってきた人生を物語風に語ってみたものです。

ただし、普通の物語とはちょっと変わった書き方にしてみようと思います。
「みぃちゃんA面」と「みぃちゃんB面」
同じ出来事を二つ側面から語った物語です。

「みぃちゃんA面」は、私が記憶している顕在意識から見た物語。
「みぃちゃんB面」は、私が潜在意識から見ていた物語です。
B面はサイキックセンスやヒプノセラピーを通じて、潜在意識で見て来た私のもう一つの物語です。

顕在意識とは、普段私たちが認識している意識。
潜在意識とは、普段私たちが認識出来ない意識。
普段私たちは、認識している顕在意識の世界がすべてのように思っていますが、実はまったく逆です。実際には、潜在意識が95%もの意識を司っていて、現実の世界にも影響を与えているのです。

顕在意識と潜在意識。
二つの世界と、そのつながりや違いを感じて貰えたらと思います。
では、どうぞ。


みぃちゃん物語A面(顕在意識)2
小学生の頃

小学生のとき、通信簿には必ず「協調性がある」に○がついていた。家庭訪問では、必ず「何の問題もありません。」と言われていた。そんな印象しか無いのが、本当はちょっと寂しかった。
小さい頃から、いつも母に「あんたはしっかりしてるから、助かる。」とか「お母さんの子だから、優秀な筈」とか言われていた。
そして私は、それに応えようとしていた。

小学3年生の時。朝から身体が変で、初めて「休みたい」ってお母さんに言ったら、「熱が無いから大丈夫」って、休ませて貰えなかった。授業中、気持ちが悪くなって、でも言えなくて我慢していたら、教室で盛大に戻してしまった。保健室で寝ていて、迎えに来たお母さんに、先生が私のことを我慢強いって褒めていた。
「熱がないから大丈夫」って言われたとき、すごくショックだった。お母さんは仕事のことを考えていて、"困ったな"と思っていて、私を学校に行かせたのだった。「私のことは、大切じゃないんだ。」そう思って、ショックだった。気持ちが悪いのを耐え切れずに吐いてしまった時、クラスの皆んなには悪かったけれど、保健室で寝ながら、私はお母さんに対して"ざまあみろ"って気持ちだった。"こんなに具合が悪かったんだぞ!"って復讐しているみたいな気持ちでいた。だけど、そんな気持ちを私はまったく出さずに、何でもないような顔をしていたのだった。
小学3年生は、特に優等生をやっていた。先生に気に入られて、成績もびっくりするくらい良かった。
3学期の通信簿が本当に満点だったので、私はこれならお母さんも認めてくれる筈。そんな気持ちで、期待して、それを見せた。
「あら、さすが、お母さんの子ね。」って言われて、「お母さんが子どもの頃は、いつも一番だった。」というお母さんお馴染みの自慢話しになってしまった。

とてもガッカリした。
こんなに頑張ってもダメなのか。
やっぱり私のことは見てくれないのか。
認めては貰えないのか。
もうこれ以上は頑張れない。

そう思った。
何かが自分の中で、ポキンと折れたような気がした。
たぶん、その辺りから、私は母のすべてを否定するようになっていった。自分でもよくわからなかったけれど、母のことを少しずつ嫌いになっていった。
それから私は、頑張るのを辞めた。
成績は下がっていったけれど、それは私の小さな反抗だったのかも知れない。

その頃、母は仕事で女性では初めての管理職を任されて、男性社会の中でいつも闘っている感じだった。家の台所で、いつも母の会社の愚痴を聞かされていた。本当は学校のことや友達のことなど、私の話しを聞いて欲しかった。でも母の反応はいつも同じで、私がまだ話しているら途中から「あ〜そう、わかったわかった。お母さんなんて・・・」と自分の話しをするのだった。
その度に私の心はイラついた。
いつも、気がつくと母の愚痴話しを聞かされていた。私の話しを最後までちゃんと聞いてくれたことは一度もなかった。
イラつきながら、ガッカリしながら、それでも母の話しをいつも聞いていた。
そんな小さな重なりが、とても辛かった。



みぃちゃん物語B面(潜在意識)2
小学生の頃

幼い頃から、母に「あんたはしっかりしているから、助かる」と言われたから、そういう自分になろうとしていた。
実際、幼稚園の頃から"しっかりした良い子"と周りから言われていた。
だけど、母はいつも私のことを見ていなかった。母はいつも、自分のことでいっぱいいっぱいだった。
私の話しを最後まで聞いてくれることはなかった。私の気持ちをちゃんと受け止めてくれたこともなかった。

どうしたら、受け止めてくれるんだろう?
どうしたら、認められるんだろう?
と思っていた。
そして、きっと"私がお母さんの期待に応えていないんだろう"と思っていた。

だから、小学3年生のとき、クラスで学級委員をやって、成績も良くて、先生に褒められたとき、今度こそ、私のことを見てくれるんじゃないか。そんな期待をしていた。
でも、結果は違っていた。
私はすごくガッカリして、それから、お母さんが私の話しを聞いてくれない度に、どんどんその怒りと悲しみは強くなっていった。

過去のその気持ちを思うと、台所でお母さんに聞いて貰いたいことがあって話そうとしているシーンが出て来た。
私が話そうとすると、やっぱり途中で「あ〜、そうなんだ。お母さんはね・・」と自分の話しをし始める。私はガッカリして、本当はムカつきながら、お母さんの会社の愚痴を聞いている。
その時の、自分の本当の気持ちを見てみた。

本当は、どう思っていたの?
本当は、どうしたかったの?

出て来たのは、自分の中のすごく素直な気持ちだった。

"本当はお母さんともっと仲良くなりたかった。"
"一緒に遊んで欲しかった。"
"寂しかった。"

自分の記憶にはない気持ちだった。
これは潜在意識の奥に、隠されていた本当の気持ちだった。

顕在意識の中では"話しを聞いて貰えなかった!"という気持ちだけを、唯一の怒りと悲しみとして強く持っていた。
"寂しい"と思ったことは一度もなかった。
その代わり、大人になっても、どんなに幸せな時でも、理由のない寂しさに襲われることがあった。どうしてそんなに寂しいのか、理由が見つからなくて、いつも不思議に思っていた。
だけど、違っていた。
その怒りと悲しみの下には、本当は"寂しさ"があったのだ。

母は、家に帰ってくるといつもとても疲れていて、遊んでくれた思い出はなく、テレビすら一緒に見なかった。だから台所でお母さんがご飯を食べるときに、話しをする時間がとても大切だった。だから、せめて話しをちゃんと聞いて欲しかった。本当は遊んだり、仲良くなりたかったのに、その気持ちは心の奥に仕舞っていて、感じないようにしていたのだ。だから私は"話しを聞いてくれないこと"をあんなに怒り悲しんでいたのだ。 

そして今度は、お母さんがその時どんな様子だったのかを見てみた。
お母さんはとても疲れて、可哀想に見えた。
そして、そんなお母さんを見て、本当に私が思っていたことは、
"お母さんが可哀想だから、話しを聞いてあげたい。"だった・・・!!

"私の話しを聞いて貰えなかった。"
"お母さんの愚痴を聞かされていた。"
ずっとそう思っていたのに・・・。
なのに、本当の本当の思いは違っていた。
"お母さんが可哀想だから、話しを聞いてあげたい"と、そう思っていたのだ。
このことに気づいて、本当にびっくりした。

ずっと自分は、被害者だと思っていた。
だけど、本当は違った。
私が自分でそれを、選んでいたのだった。

そう思うと、確かに私は、お母さんに話しを遮られても、イライラしながらも、いつも最後までお母さんの話しを聞いていたのだった。

本当は、お母さんの役に立ちたかった。
お母さんを笑顔にしてあげたかった。
お母さんを幸せにしたかった。

本当は、お母さんが大好きだった。





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