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変わらないものを軸として変わっていく


変わらない存在のありがたさ


皆さん、こんにちは。

今日は「変わらないものを軸として変わっていく」というテーマで綴ってみたいと思います。


私がこのブログを書き始めた動機の一つは、
「自分を変えたい、変わりたい」
「いくつになっても成長したい」
という事でした。


また、年齢を重ねれば重ねるほど、

新しいことにどんどんチャレンジしていくことが大切だと
常々思っていました。


そしてその挑戦は、
過去のトラウマや悲しみなどの負の感情を
喜びへと昇華させてくれました。


「もう過去は終わったこと」だったはずが…


そんなある日、
10年ぶりに地元へ帰らなければならない事情ができました。

しかしそれまでの私は、
育った家庭環境に対する悲しみや、
トラウマを思い出したくないがために、
その舞台である地元を避けていました。

今では私は過去を封印したつもりになって、
もう終わったことになっていたのですが…

しかし…仕方がない…。


勇気を持って、
いざ、地元へ…


最初に行ったのは親族の家でした。

するとそこには…

「元気か?」
「もう生きているだけで、良かった」
と私の生存に安堵し、
喜んでくれた叔父、叔母がいたのです。

私は冷たくあしらわれると思っていたので、
そんな優しい叔父叔母の態度に驚きました。


そして住まいも佇まいも何十年前と変わらない。


そう、
あれから私が離れた後も、
ずっと当時のままの日常がそこにはあり、

そんな叔父叔母が変わらぬ姿で私を受け容れてくれたのです。


そして私は、何とも言えない思いがこみ上げ、
安堵し、涙があふれました。

実は地元に帰るまでの私は、
まさか自分がこんな気持ちになるなんて思ってもみなかったのです。



トラウマやコンプレックスを忘れるための「チャレンジ」だった


その昔、私は母との関係に苦しんでいました。

母は私を常に否定していました。
それは自分の人格形成に大きな落とし穴を作ることになり、
社会性も危ぶまれるほど、精神的にも苦しんでしまいました。


そんなある時、心理学者の加藤諦三先生の本を読んで、
こんなことが書いてあったのを思い出しました。

「辛い時、家の近くなどで、大きな木があったら、そこに行きなさい。
そこには、いつもと変わらずにそこにいてくれるその木の存在がある。
そしてどんな時も変わらずにそこにいてくれるその木を「母」だと思い、
辛い時はそこに行ってその木を眺めたり、時には触れたりしてごらんなさい。
「どんな時も変わらずにそこにいてくれる」という事実が心の母となり、ゆるぎない安堵の気持ちを作ってくれるのだ。

そんな内容だったと思います。


その事をふと思い出した時、
ずっとそこにいてくれる普遍的なものの意味がグッと近づき、
その偉大さを痛感したのです。


そして、これまで自分に足りないものばかりを追いかけて、
このままではいけないという、
いわば強迫観念みたいな物に取りつかれていたかもしれないという事に
段々と気づいてきました。

そしてそれを「チャレンジ」と称し、
場所を変え、自分を変え、環境を変えることに挑んできました。


ところが今回、年月を経て、
当時と変わらない叔父叔母との再会によって、

何十年も家庭を守り、
同じ日常を続けることによって、
「母の木」のようにゆるぎない基盤を作っているという事実と、

それがどれだけ大変で、そして偉大で、
素晴らしいことだったという事に気付かされたのです。

そして「母の木」同様、
変わらぬ「愛」もそこにはあったのです。



両方揃えば、バランス最強



ところで私は最近、
周りの人に「行動力があるね」と言われるようになってきました。
私自身も色々チャレンジしてはそれを楽しんでいました。


しかしそんな自分と対照的な叔父叔母の変わらない存在に、
私は偉大さと愛を感じることとなったのです。


これまで変化やチャレンジを目標としてきた私に、
「変わらない事」の存在がプラスされたことで、

を感じ、バランスを獲得でき、
これから自分自身に更なる期待ができそうです。

50代、まだまだ学ぶことだらけ。
そしてまだまだ希望が持てることだらけ。

そしてまだまだ頑張って生きていきたいと思います。


そしてこの内容が少しでも皆さんのお役に立てたら嬉しく思います。


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