ドラマティックかな人生

あけましておめでとうございます。

って、本当に年々、というか体感ではそれこそこどもが生まれた3年くらい前から
全くあけた気がしないのです。

昔は、なんというかどんなに嫌な年であったとしても、
新年ともなるとすべてのものが一旦新しく作り直されたような、
自分も一旦、リセットされたかのような心持になったものですが、
その感覚がなかなか戻ってきません。
今年は休みが少なかったから余計かも。
ちゃんと年末っぽいことや、新年っぽいことをすればまた違ったのか。

とはいえ毎年恒例BOOKOFFのセールでしこたま本を買ってきたので、
正月休み最終日の今日は本を読む1日にしようと思います。

先ほどお風呂の中でふと思ったことは
どうして自分のような人間が生まれたのかということで。
や、そんな大きな感じじゃなく。

昨年は小説の学校に入ることでだいぶ救われた私ですが、
実はその前にも大きく救われた出来事がありました。
それはHSPという言葉とであったこと。
本屋をぶらぶらしている時に、
「敏感すぎて苦しい」がたちまち解決する本
というハウツー本の権化のようなタイトルの本を見つけまして。
今やその手の本はくさるほど置いてあるけど、その時はちらほらとしかなく。
疑心暗鬼に満ち満ちとしながら薄目でぱらぱらとページをめくってみると、
なんと漱石や又吉、村上春樹もHSPだったと書いてあるではないですか。
ミーハーな私はそれだけでうれしくなりました。
ただ、その本の序文で一番心に残ったフレーズ。それは

その敏感さは、まさに天から与えられたギフト、才能です。

という一文でした。

目から鱗でした。
この性格のせいで得をしたことなんてただの一度もなかったし、
ましてや感じ方なんて人と比較できないものだから、
多かれ少なかれみんな同じような思いをしていて、
しているのにみんな頑張っているんだ。
自分は弱くてダメなやつだ。と
ずっと自分を責めながら生きて来たから。
なぜ、こんなにも生きづらいのだろうと。
なぜ、こんなにも苦しみが多いのだろうと。
なぜ、こんな風に生まれてきてしまったのだろうと。

しかし、疲れやすいのも、一人になることがとても大事なのも、
すぐに罪悪感を感じるのも、嫌なことを引きずりすぎてしまうのも、
人の言葉にすごく敏感なところも、人がどう思っているのかが常に気になるところも、
頼まれると断れないところも、すぐに人に利用されてしまうところも、
いじられキャラにしか成り下がれないところも、
考えすぎて眠れなくなったり、起きなれなくなったりするところも、
その他もろもろ、すべてが当たっていて、
そうゆう気質だったのかと。
そしてその気質はマイナス面だけじゃないんだと。

同僚の正反対のあの人よりも、
私は苦しみは多いけれど、きっと何倍にも世界が美しく見えているのだと。
(おそらく彼女はそんな才能べつにいらなーい!というだろうけれど)

人生を、色濃く、深く生きられているんだと。
でも本当にそうゆう意味であれば、私は少し胸を張ることができるのだ。
そのことが、大切かそうじゃないかも、きっと彼女とわたしとでは大きく違うだろう。

あらためて、生きる、とは、その人の数だけ意味があるのだなと思う。
わたしにとって生きるとは、
世界の些末な、しかしとても美しいものに目を向けること。
それを全身で感じ取り、自分の中に落とし込むこと。
そしてその上で、自分にしかない目線や感性で人生を全うすること。

それには、この能力が必要不可欠だったのだ。

美術館で、次の部屋に行くのが恐ろしくなるほどに感動したり、
樹木が作る木漏れ日に生きる意味を見出すほどに感動したり、
読み終わって思わず走り出したくなるほど本に感動したり。

これからも人よりドラマティックに生きていければ最高。

そんなお正月です。

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