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『君たちはどう生きるか』を観てきた【ネタバレなし】

正直な感想を言う。

面白くなかった。
いや、面白さが分からなかった。
少なくとも、今は。

ずっと、分からないまま、置いてけぼりのまま進み、そのまま終わった。
それこそ最初はなんとかついていこうとし、脳みそをフル回転させて
あれはこういうことかな、あれはあれのメタファーかな、
などとあれやこれや考えながら視聴していたが、やめた。

目の前に広がる物語は他の侵入を許していないように感じたからだ。

『どうだ、これがお前にわかるか?』と、
『わかってたまるか!』と言われているような気がした。

良い作品というのは、往々にして答えが無く、そして答えは見る側、感じる側にゆだねられているものだ。
少なくとも私はそういう作品が好きだし、余韻というか、考える余地を残しておいてくれるところに、視聴者への愛すら感じる。
そして、それを体感した後にあーだこーだ考えまくることが好きだし、
それこそが良い作品を体験する意味だと思っている。

ただ、これはそういった生易しいものではない。
終始視聴者に寄り添ってくれることはなく、ただ淡々と物語がうねり続け、
観客はただただそのうねりを傍観するしかない。
うねりに飲まれることさえない。

観終わり、席を立ち、映画館を出た時、私の心にはとてもモヤモヤしたものが渦巻いていた。
観終わってから今までずっとそれは何かと考えてきたが、
それは紛れもなく『さみしさ』であった。

もう、宮崎駿という人は、大衆を喜ばせるような作品は作らないのだ、
ということが、分かってしまったからだった。

なにも上から批判しているのでは決してない。
作れないのではなく、作らないのだ、と思った。

当たり前だが、ずっと作品を創り続けている創作家の人たちの日常と、
我々が生きているいわゆる『生活』の間には大きな隔たりがある。
その隔たりを、埋めるというか、橋を渡してくれるというか、こちらに降りてきてくれるというか、
そういった作業を含めて、『作品を創る』ということだと、
私は厚かましくも無意識に思っていたのかもしれない。

それが、千と千尋であり、ハウルの動く城であった。
全体的に捉えどころのない物語であり、多くの疑問はあるが、
それでも我々の日常にそれぞれがトレースできるように作られていて、
観るもの全てを感動させることができる。

今回の作品は、そういった隔たりを埋める作業は一切なかった。
梯子を外された私たちは、ただただ蚊帳の外から眺めることしか許されなかったのである。
それは、宮崎駿の意志のようなものであるのだろうと感じた。

だからこそ、この作品を観て、分かりもしないのに安直に『良かった』『素晴らしかった』と言っている人たちに
ある種の烏滸がましさや、恥ずかしさを感じてしまうのかもしれない。
いち大衆として。
少なくとも私は、宮崎駿がとても一般受けを狙って作ったようには全く思えず、そしてそれすら見越した、ある意味果たし状のような作品であると感じた。

今までは、『なんだか見たことも食べたこともないし、何が入ってるのか、どうやって作られてるのか分らんけど、美味い!』という料理を食べさせてもらって、
食べた後もみんなで『あれが隠し味かな?いや、あれも入ってたでしょ!あ~あれはあの食材だったのかー!さすがだなぁ…』とやれたのが
今回は『なんか分からんし、なんだこの味は…』という料理を出されて、
食べた人が正直に『いや…美味しさわからんかったわ…』という人と、
『なんか分からんけどあのシェフの作るものならおいしいはず!』という人と、
『この美味しさが分からないんですか?(私は分かりましたけど)』という人と、
『料理は分かりませんでしたがお皿は最高でしたね!』という人とで
てんでバラバラになってしまってる感じ。笑

そして、そもそもシェフ自体が一番『自分は何を作ったのか』は分かっているだろうから、
私がシェフで、『一般人に分かるわけがない』という思いで作って出したものを
『いやぁ~今回もおいしかったです~!』って訳知り顔で言われたら
ある種の怒りのようなものを感じてしまうだろうと思う。
もしかしたら宮崎駿にとっては今までが総じてそんな感じで、
『今回こそ絶対に美味くないもん出したる!』ってなったのかも。

そのくらいの突き放し感だった。ほんとに。
これでも私もほんと途中までは『分かった』側に行きたい一心でなんとかしがみつこうと頑張ったけど、無理だった。

その上、パンフレットまで公開日に買えないとか、まじでほんとに一種の実験をされているのでは?とまで思う。
一切の安直な解釈を許さない、という強い意志を感じるのは私だけだろうか?
公開日まで一切の情報を出さず、期待値を最大限にまで上げておきながら、
『これ』を出した時、大衆は一体どんな反応を見せるか?
我々が試されているのでは?とまで勘ぐってしまうのだ。

そうであった時、何も分からないままに『良かった』と言っている人、
感動して涙まで流している人、
生きててよかったとまで言っている人を
果たして宮崎駿さんはどう受け止めるのだろうかと。

全ての人がそうであるとまでは言わないし、
あれを見て、本当に感動した人や、博識ゆえに色んなことが理解できた人もいるのだろうと思う。

ただ、大半の『良かった』は、単なる安直な表現であると思えてならない。
感じ方は人それぞれである、ということを前提に置いたとしても、
それでもあの作品は、万人には受けそうもないことだけは分かる。

たくさんの『良かった』の裏に、
『宮崎駿作品だから』や、『ジブリだから』や、
『ジブリ作品全部観てきてるから』や、『これを分かってないと思われるのが嫌だ』が
透けて見えるのは私だけだろうか?

だからこそ私はあえてもう一度言おう。

面白くなかった。
いや、面白さが分からなかった。
少なくとも、今は。


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