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正直、そんなに変わりたくなんかない

正直そんなに変わりたくない。だから、僕にとっては素晴らしく愛おしい10年代を振り返ろうと思う。

「2010年代が終わるね」
「そうだね、あっという間だったね」

2010年に16歳だったぼくは、星が明滅する程度の速さで25歳になった。10年の重みはすごい。

かつて人類は月にたどり着いたし、世界一高い塔が建設された。モバイルが世界を支配して、顔の知らない人が身近になった。

といっても、大きな動きは個人のあずかり知らぬところだし、ぼくにとってはこの10年は、モテキやソラニンに起因するモラトリアム・タイムだった。

「文化的許容度」が低い片田舎(予期せぬハプニングが期待されない空気、と言えば良いだろうか)で、楽しくも息苦しく生活していたぼくは、比較的高いテスト対策力と、少数だが心強い友人と教師に恵まれ、運よく東京大学に合格する。

念願の上京切符を手中に収め、アームストロングよろしく、見事息苦しい成層圏から脱出に成功した。
出世も勉学も全く興味がなく、心の中にあったのは、「おもしろい考えの人と酒と議論を酌み交わし、かっこいい音楽と心震える映画を浴びるように体験し、とびきり素敵な女の子と恋に落ちること」、それだけだった。

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「結果はどうだったの?」
「最高だった、予想つかないことも沢山あったけど、思い描いていた東京を過ごすことができたよ」

ひとつひとつ書いていたら、3年で5000文字を突破してしまったので、自分のためだけに記録して、全部捨てた。

たくさんの人と出会った。
中学生の男の子から、70代のお姉さんまで。真剣に未来を見据えて努力できる環境と体力を持った人から、どうしようもないやつまで。

ピッカピカの経歴者も、前科者も、進行形で公判中の人もいた。メルカリに出すようなテンションで体を売っている人も、親の仕送りで一等地に広いマンションを借りるやつもいた。

忘れられない男のために自殺未遂をする女の子の話も聞いたし、ぼくとセックスした後にあっけらかんと彼氏に電話する女の子もいた。

もう名前も顔も忘れてしまった人も多いけど、心底嫌いになった人はひとりだっていなくて、(もちろん理解できないことは沢山あったけれど)「恵まれていたなあ」と思う。

「出会った人は幸せなのかな」
「わからないけど。それぞれに悪夢を見たり、幸せな夢をみてるんだと思うよ」

全員にラブコールを送りたい。望んでいない人もいるだろうけど。

「君の人生はどうだったの?」
「悪くなかったよ、はじめてにしては上出来だったと思う」

たくさんの人と出会った分、多くの恋をした。

初めての東京の恋人は、Twitterで経由で仲良くなった同い年の女子大生だった。待ち合わせの時、どきどきしながら待ってると、まさかのとびきり美人がやってきた。あっさり恋に落ちていくなか、「これは、映画版モテキじゃん。吉祥寺バージョンだ」って脳内で呟いていたなあ。当時はネットで出会うことは市民権をえていなくて、ちょっと恥ずかしかった。だから出会った経由は、友達の友達って小さな嘘を突いていたことを思い出す。堂々としていられたら、何か変わっていたのかもしれないね。

女の子はみんな素敵で、優しくて、疲れている時は励ましてくれたし、だらしないときはめちゃくちゃに怒ってくれた。

「君は本当に口だけで何もできない」とか「正直、何言ってるかよくわからないから、もっと勉強したほうがいい」とか「プライドを主食にしているのか?」なんて、なかなか言ってもらえないよね。

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「東京で青春を過ごしたい」だけの動機で入学したにもかかわらず、進学した大学はすごい人ばかりで、考える種をたくさん与えてくれた。

単位を取るだけでも、ちょっとは社会に対する知見が広がったし、面白い本と出会う口実も貰った。女の子のおかげもあり、後半は流石に勉強するようになったし、「設計」「デザイン」と言ったことも入り口をかじることができた。修士論文・博士論文を書いている人間に敬意を払うことができる程度には、知恵をつけることができたのも良かったと思う。

幸福で体が震えるような夜も、不甲斐なくてポロポロ泣いてしまう昼もあった。朝まで飲み明かした日も、大学の課題と向き合った日もある。

恋人の信頼を裏切ったときもあれば、裏切られたときもあった。相手に自分より好きな人がいるのってこんな辛いのか、と思ったことも。(そのせいで、勃起不全になった。)

モラトリアムサブカルパンク青年だったぼくは、4年で社会に飛び出すとは思ってなかったけれど、同期と先輩に恵まれ、すんなり「社会人」と呼ばれるフェーズも楽しむことができた。

フェーズが変わっても、挑戦と勉強を続けながら、小学生と張り合える馬鹿を平気でやれちゃう彼らは心の救いだったし、頑張るきっかけだった。

人生初の手術と入院は、金がかかること、何より思うように動けないことは、心の減衰を超速でもたらすことを知った。

うっかり転職した会社は、人間動物園って感じで常に状態がコロコロ変わる。あきれ返りそうな瞬間もたまにあるけど、熱い情熱と優しい心、何より社会を本気で変えようと頑張るメンバーおよび代表なので、折れずに楽しくやっていけている。

自分が東京でやっていた正体不明の活動は「多様性を心に宿すこと」だったのかもしれないと意味付けできたのも、ニューピースのおかげだ。

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総じて辛い時は、音楽と物語、そして街と酒が助けてくれたけれど、その話をできる友人たちに出会えたことが、何より幸福だったのだろう。
とんでもねえ悪友も真っ当な友人も、等しく抱きしめて愛を送りたいし、みんなぼくよりも長生きしてくれと願ってやまない。

「いい10年だったんだね。それならなんで、こんなに感傷的なのよ」
「それは楽しかったから、次が怖いんだと思う。文化祭が終わる瞬間さ。」

予定通りではないけど、楽しかった。本当に楽しかった。

ただ言い換えれば、「自意識のみが肥大したうだつの上がらない青年が、街と音楽と女の子によって自分を獲得して、何者でもないけれど自分の人生を獲得する」よくある話のプロットをなぞってきた10年だったとも言える。

明確な人生のロールモデルはいないと思っていたけど、モテキやソラニンで描かれていたような生活をつくりあげることを、無意識的に狙っていたのだと振り返って思う。

だから怖い。これから先が怖いのだ。
ぼくは、幸か不幸か人生の目標をしっかり達成してしまった。これから先は、プロットから自分で描かなくちゃあならない。

何かが起こったら、自分の想像力と感性で受け止めて、自作のプロットに置き換える。いったいそれはなんだったのか、自分の頭で考える。生きることが、タフでハードなステージに突入するのだ。

そのためには、変わり続けることが不可欠になるのだけど、正直全然変わりたくない。
多摩川沿いを歩いて、酒飲んで、いつもの友達とちょっぴり気になるあの子を連れて、昨日見たバンドの話をしたい。寝てるだけで金を稼ぎたいし、消費しながらテレビやネットにケチつけていたい。

「それなら変わらなければいいじゃない」
「ダメだよ、変わり続ける必要がある」
「いったいどうして」
「自分ではない他の誰か、例えばまだ生まれない君のためだよ」

最近気がついたことがある。
進化することは、自分のためではなく、後ろを歩む誰かのために達成されるべきことなのだ。

LGBTQも、表現の自由も、エネルギーも、小さいところでは化粧についても、教育制度だって、正直ぼくには全く関係ない。変わっていくことで、ちょっと肩身が狭くなることさえある。

だけど、顔の知ってる君が、顔の見えないあなたが、これから未来を担うあの人たちが、それでちょっと生きやすくなったり、楽しくやっていくために必要なことは、喜んで背負っていく必要がある。誰かのために変わって行かなくてはならないのだ。

けれど、オトナ帝国はそこら中に潜んでいて、こっちへおいでと手をこまねいている。「やっぱ生きやすいし、ずっとここにいればいいか」なんて思ってしまいそう。もちろん、エンターテイメントとしてのオトナ帝国は、残っていて欲しいし、裏路地にひっそりと居を構えていてほしい。たまに遊びに行くから。

同時に「かつて大切だったものを忘れていく行為を、進歩と名付けて肯定する現代人の浅ましさ」であることも忘れてはならない。変わることは、大事なものを捨てること、痛みを伴う行為だと自覚するのだ。

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オトナ帝国を、青春の毎日を、だらしない人生を愛おしく思いながら、留まりつづけられないことを浅ましく思いながら、それでもなお必要な変化と信じぬき、自分の足で歩いていくために。

2010年代の青春の残滓を一滴残らず絞りきることを決めた。文章を書いて、東京の街を写真におさめてこよう。

うまくいくといいな。自分なりの儀式を持つことは、喪失を懐に抱きしめてにこにこ生きるために不可欠なスキル。おすすめだよ。

それでは良いお年を。愛を込めて。

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