名も無き日を繰り返していける幸せ
コロナの世界になって、旅行に行かず外食もせず人とも会わず、ただに淡々と日々を過ごしていく。
そんな毎日を送ることに、最初は辟易していたのだが、今朝は気分が良かったのか、少しばかし幸せな気持ちがした。
私はそこそこ元気で仕事に行けて、両親もヨボヨボしながらも病院に自力で通え、イッヌも毎日快調快便で走り回る。
娘はたまのLINE既読で生存確認はできている。
旅行には行けなくても、外食する気分にならなくても、人に会えなくても、いい。
今はいいやんか、って割り切れる。
人を羨ましく思ったり、無いものをねだったり、出来ないことに不満を漏らすことよりも、目の前にある幸せに気付けると気持ちが穏やかになるんだな。
これからの名の無き日、こんなふうに思える日ばかりじゃないだろう。
両親の散らかし放題の不潔な水周りに、イラッとする日もあるだろう。
娘の生存確認ができずにヤキモキする日もあるだろう。
近所のお犬さまに喧嘩売ったバカイッヌに、ブチ切れる日もあるだろう。
って言うか、そんな日の方が多い気もする。
だから、今日みたいに小さな幸せを感じた日には、わざと大袈裟にnoteを書いてみたりする。
残しておきたい、名も無き日の小さな幸せ。
こんな日が永遠に続くわけではない、幸せに思うことも不幸せに思うことも、限りがある。
大事にしよ。