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聞き上手は、自分を殺すことでは決してないのでご注意をと飲み会を通じて感じました

聞き手になって、損してると感じるならそれはちょっと違うかも

外向的

聞き役に回ることで、相手との円滑なコミュニケーションをすることはここ最近よく本でも出てます。

確かに積極的な聞き手である、アクティブリスナーは努めてみればかなり相手を気持ちよくさせるツールなのですが、

気持ちよくさせることで何がしたいのか?
もう一度その人と交流したいのか?
ビジネスマンとして一目置かれたいのか?
異性なら交際をより密にしたいのか?

と言った疑問に答えない限り、若干虚しさを感じることもあるかもしれません。

だから、「コミュニケーションをすることで何を得たいのか?」っていう問いを立てた方がいいなぁと私自身飲み会で感じました。

確かに楽しかったのですが、何か物足りなさを感じたため帰ってから

ではなぜ私は交流しようと思ったのか?交流することで何がしたかったのか?

っていう疑問が付き纏いました。もっと何かしたかったんでしょうねぇ。

風呂に入るなり寝るなりして体を整えてから、瞑想をしたり走ったりして心を整えて考えてみたところ複数見つかりまして

・聞き手に回ったはいいものの、全く興味のない話が大半だったから
・つまらないな〜と思っていることが顔に出てるか心配だったから

ってもう飲み会の楽しさがダメになっちゃうようなことばかりです。

正直、飲み会なんてあっちらおっちらと話が飛び飛びになるんだし、そんなに記憶に残らないんだから自分の話したいことガンガンぶちまければいいんじゃないかなと笑

それに、普段のコミュニケーションもそれだと息が詰まる。

ということで、聞き手に回ることで消耗してるなら、それはやりすぎだよねって話でした。

もちろん性格は人それぞれなので、聞き手に徹することでかなり良いと感じる人もいます。

自分が楽しまないとな〜と感じた飲み会でした。


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