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時代を越えて廃れない作曲ができた理由【感想】歴史秘話ヒストリア「古関裕而 エールよ時代に響け」

現在、放映中の朝ドラ「エール」のモデルになっている古関裕而について、もっと知りたいと思っていた。古関裕而が生きた時代は、戦前・戦争中・戦後の激動の時代だった。古関裕而は、その時々で時代に寄り添った作曲家として偉大な業績を残している(5000曲を残したという)。朝ドラのタイトルが、なぜ「エール」なのかが分かるドキュメンタリーだ。

「エール」を送る作曲家

古関裕而の曲は、それぞれの時代の中で、一生懸命生きる人たちに「エール」を送るものだった。古関裕而は20歳で国際的な音楽コンクールで入賞し、プロ作曲家としてのデビューを飾る。しかし、望んでいたようなクラシック曲を書く機会は与えられず、鳴かず飛ばずの日々を3年過ごす。その、古関裕而にとってチャンスになったのは、野球の応援歌を書いたことだった。今も歌い継がれる「大阪タイガースの歌」。

ここで、今後の古関裕而の将来を方向付ける、独特なセンスが開花した。クラシック音楽で行進曲に使われる「強拍」を使い、奇数拍を強調しながら、その場にいる人が一体感を持ちながら声を合わせて歌える曲を作り上げたのだ。この独特のリズムはそれからも古関裕而の曲で使われ続ける。

戦争中に旅立つ若者たちのために書かれた「露営の歌」。やはり、楽器がない場所でも、皆が声をそろえて歌えるようなシンプルなメロディと、強拍がポイントだ。ちなみに、古関裕而は戦後日本の復興のエールとして「社歌」にもたくさん作った。野球の応援歌・軍歌・校歌・社歌、、、こういう応援歌を作り続けた人だったのだ。確かに、どれも楽器なしで群衆がひとつになって歌える。

気持ちに寄り添うエール

古関裕而の魅力は、ただ時流に乗ったヒットメーカーだったのではなく、人々の内面に深く寄り添った曲を書いたことだろう。戦前・戦中は、愛国心を高めるため、兵隊を励ますために作曲をすることが依頼された。軍部は、士気を高揚させるような長調の曲を求めていたが、古関裕而は短調の曲を好んで作った。出征する兵士たちの悲哀や、故郷への郷愁を感じ取っていたからだ。人の内面に寄り添うエールが人の心をつかんだ。

戦後復興に励む人々を励ました「長崎の鐘」。悲哀に満ちた短調で始まる曲調は、途中で転調し「慰め・励まし」の歌詞を明るく歌い上げる。長崎の鐘は、長崎のためではなく、敗戦から立ち上がろうとする日本国民のために書かれたのだ。古関裕而の曲は廃れない。甲子園といえば「栄冠は君に輝く」だし、「モスラのテーマ」も頭にこびりついちゃう。山崎製パンは未だに古関裕而の作曲した社歌を歌っている。なかなか、こういう作曲家はいない。

コンテンツ作成の心得

古関裕而から、時代を超えて愛されるコンテンツの作り方を学べる。本人はどれほど意識していたかは別にして。古関裕而の人生から学んだコンテンツ作成の心得をまとめておこう。

1:とにかく時流に乗ること
古関裕而は独学だがクラシック出身だ。デビューの「福島夜曲」は歌謡曲とクラシックのコラボの、独特なセンスを感じさせる曲だった。しかし、売れなかった。時代は1931年の満州事変に入り、大冷害で若い女性の身売りなどが紙面をにぎあわせていた。高尚なクラシックの響きではなく、庶民が好む曲が必要だったのだ。古関裕而がいわばプライドを折れて、時代の波に乗るまでは数年が必要だった。

才能のある人ほど、自分のこだわりを捨てるのが簡単ではない。そのこだわりゆえに成功してきたわけだから。しかし、世の中の求めているものと波長が合わなければ、せっかくの才能は世に出ないままだ。この辺の折り合いは、コンテンツを作る人の永遠の課題だろう。(参考:売れるコンテンツの生み出し方(書評)表現したい人のためのマンガ入門 しりあがり 寿)。まあ、途中からの古関裕而の時流への乗りっぷりはすごい。完全に振りきっちゃったのだろう。

2:オファーは断らない
古関裕而はどちらかというと、奥手なタイプだっただろう。朝ドラ「エール」では、妻の「音」がグイグイと主人公を引っ張っていく。プロの作曲家としてのデビューですら妻の尽力なのだ。そんな古関裕而が成功したのは、絶妙なタイミングできたオファーを一つ一つ受けて行ったことだろう。チャンスの神様には前髪しかないとは、よく言ったものだ。チャンスはその瞬間につかまなければいけない。

同時期に、いち早く成功していた古賀政男の紹介で、古関裕而は野球の応援歌を書くことになり、これが今後の作曲家人生の方向性を決めるものになったのは言うまでもない。偶然の出会いの価値について、以前、齋藤孝さんの本で読んだことがある。抜き書きがあったので引用しておこう。

「偶然による出会いというものが、思わぬ展開で自分を広げてくれる。自分から進んで手がでないところには、意外な拾い物が潜んでいるものだ。そういう意味で言えば、取引先や上司から割り振られて与えられた仕事だとか、自分の専門ではないような研究テーマといったものこそ、逆に、願ってもない、ありがたい機会になる。」(P86)

あの時、応援歌を書いていなかったら「エール」を書き続けた古関裕而は存在していなかったはずだ。コンテンツ作成に関するこだわりは持ちつつも、開かれた心でいなければチャンスを逃してしまう。特に予想もしていないオファーは新たな道を開くものになるかもしれない。

3:繊細な心
古関裕而は繊細なタイプだった。グイグイ系、オラオラ系の成功者ではない。だからこそ、複雑な気持ちを抱える人の内面に寄り添う作曲ができた。兵士たちも「お国のために」という気持ちと「家族から離れたくない」という気持ちの葛藤で揺れつつ出征したのだ。そういう内面を敏感に感じ取って曲にしたからこそ、古関裕而の曲は受け入れられた。

先日見た天才バイオリニストのドキュメンタリーでは、イツァークが、天才的な演奏家は自分の内面にあるものを音にすると言っていた。つまり、内面が空っぽなら、そこから出てくる音はむなしく響くのみだ。(参考:天才の作り方【感想】BS世界のドキュメンタリー「イツァーク~天才バイオリニストの歩み~」

もし、そうだとすると、古関裕而は繊細で敏感だったからこそ、素晴らしい名曲を生み出し続けることができたことになる。時代を超えて歌い継がれているということは、ブームを超えた何かがその曲の中にあったということになるのではないか。おそらく、コンテンツを作る人にとっては「敏感さ」は一つの大きな強みになるだろう。

さて、強引に、古関裕而から学べるコンテンツ作成心得も引き出してみた。

朝ドラ「エール」は中盤に入り、戦中の古関裕而が軍部と協力しながら、愛国歌謡を書き続けるところが描かれている。今後、古関裕而は予科練のために書いた歌で少年たちが戦場に散っていったことを知り苦しみ続けることになる。そして、その苦しみの中から立ち上がり、音楽で戦後日本の復興を励まし続けた「エール」が描かれていく。

古関裕而は、激動の時代に求められる(翻弄されたともいえる?)作曲家だった。これからの、展開が楽しみだ。

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大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq