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「強み」を伸ばすか「弱み」を克服するか。発達障害の長所短所を考える。

発達障害は「できない」ことは、できないのだから、最大限「強み」を伸ばすこと。これが重要だというのは、再三、訴えていることだ。発達障害は脳の障害で、ある意味で身体障害と同じなので、できないことを克服させようとするのは、二次障害を招くのでやめたほうがよい。

しかし、その一方で、努力と工夫次第では「できない」ことは「できる」ようになる。ツールを使ったり、手助けを借りたりすることで。例えば、足が動かない障害があったとしても、外に出ることをあきらめる必要はない。車いすを使ったり、介助してもらえば、できないことの中でも、できることの幅を広げられる。この努力は必要だろう。

そういう意味で「短所は克服しなければならない」という点を考えてみよう。これは、野村監督の受け売りだが、私も大切にしている考え方だ。

短所は克服しなくてはならない

野村監督は、長所、短所の話になると、ちょっと辛口だ。ただ「強み」を伸ばせとは言わない。短所をそのままにしておくと、どれだけ長所のある選手でもダメになるからだ。

「長所を伸ばすというのは、一見、効率的なアプローチのように見える。ストレートに強いホームランバッターであれば、より速球への対応力を高めていけば、さらにホームランを量産できるように思える。しかし、現実はそううまくはいかない。このバッターがカーブを打つのが苦手であれば、ピッチャーは重要な局面でカーブを投げてくる。これによって、抑えられる確率が高くなり、さらには、カーブを意識するあまり、ストレートも打てなくなり、彼の長所が弱まってしまう。」
「短所の克服を先延ばしにすれば、重要な局面でそれがあなたの足を引っ張ることになるだろう。それによって、人生が大きく変わることもあるのだ。今すぐに短所克服に取り組むべきだろう。 「長所を伸ばすには、短所を鍛えろ」である。」

野球の場合、相手在りきだ。ストレートには強いけれど、カーブには弱いというバッターがいたら、バッテリーは徹底的にカーブを投げる。結局、強みは消えてしまう。

社会人として、弱みがあるということは、それが強みを相殺してしまうマイナスになることを意味する。よく言われるが「鎖」の強度は、鎖の輪の弱いところではかられるという。結局強く引っ張ると弱いところが、外れてしまうからだ。ほかをどれだけ強化していてもいかん。これも、この世の中で生きていくための一つのルールと言える。

そこで、野球の例を使えば、ストレートほどには得意ではないとしても、カーブでも、そこそこに打てるくらいのバランス力があれば(可能であれば、どこが弱みか?はっきり見えないくらいまでになっていれば)良いのだ。大きな弱点にしないということを意味する。

ツールと工夫で短所を克服する

発達障害の場合は、平均的な能力を持つのが難しい。凸凹が特徴だからだ。できることと、できないことの差が極端なのが、発達障害だ。

それでも、努力しないわけにはいかない。やはり、短所がその人の評価基準になるからだ。いくら発達障害なのだ!と主張しても、世の中では「それだったらしょうがないね」と優しく覆ってくれることは、ほとんどないと考えるべきだろう。

発達障害が「障害」になるか「個性」になるかの境目は、日常生活や社会生活に支障をきたすかどうかということだ。大人の発達障害は、発達障害単体で受診することは稀だ。多くの場合は、二次障害のうつ病や心身症を患ったうえで、その背後に発達障害が発見されることになる。もう、この時点では、個性が障害になってしまっている。「弱み」という鎖がブチ切れてしまったといえるだろう。

できれば、そこまでいかないように「自律スキル」(様々な工夫)と「ソーシャルスキル」(人に助けてもらうコミュニケーション)を磨いておく必要がある。弱い部分があるなら、そこが致命的な弱みにならないようにカバーする。私の場合なら、例えば、スマートウォッチを使って、あらゆる行動をアラームで指示させて、時間通りに動くようにしている。

それは、野球選手の例で言えば、カーブはホームランにするスキルはないけれど、とにかく粘ってカットし、ファウルにする技術は身に着けたい。やがて、根負けして、あちらがストレートを放ってきた時に、思いっきり振り切って場外に運べばいいのだ。

強みを活かすべきか、弱みを克服すべきか。喧々諤々で議論されるけれど、発達障害の場合は、ちょっと異なる視点で語る必要があると感じている。

大人のADHDグレーゾーンの片隅でひっそりと生活しています。メンタルを強くするために、睡眠至上主義・糖質制限プロテイン生活で生きています。プチkindle作家です(出品一覧:https://amzn.to/3oOl8tq