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それは僕がクソったれのくせに、食べることをやめないから

\\\往復書簡、やってます///
人の話を聞くのが大好きな”めけ”と”ねる”が、あまり話を聞かずに好きなことをおしゃべりするお手紙マガジンです。

▼前回の手紙

▼前回のまとめ


 これまでのやりとりは勝負事でいえば、互いの距離を測り、何をもって『勝利!』とするのかを探っているような状態でしょうか。
 小生としては海千山千、手練手管で煙にまきながら、相手の手札をすべてさらけ出そうという魂胆であります。
 たとえそれがねるに悟られたとしても、こちらの有利は変わらないと思いつつ、読者の方々にめけのイメージが『オッサン』で定着されないように最後まであがき続けたら勝ちのゲームだとかってに位置付けています。

共通の知り合いでもあり、出会ったきっかけでもある山作戰のライブに行ってきました

山作戰(ヤマサクセンと読みます。ソロでは髙山真徳)については、なかなか所見の人には面白さが伝わらないかもしれないですが最近はバンドスタイルと弾き語りスタイルの両刀使いの音楽活動をしているアーチストです。彼と出会っていなかったら、いろいろと違った人生になっていたのは間違いないし、6月には同じステージに立たせていただきますので、その案内はまた別の時に。

過日、銀座でのライブを観てきましたが積もる話もあったのだけれども、日曜日のライブだったので、中座して帰宅。僕は毎週日曜日にyou tube liveで「めけラヂオ」というサブカル系おしゃべり番組を配信しているので、それに間に合うように帰りました。

だから、このあいだ読んだこの小説は、まさしく「日常と非日常の狭間」でおもしろかったのか!! 普段はもっと、「日常寄り」の小説を選んじゃうんだよね。

僕もねるも、音楽がきっかけで知り合いながらも、こうしてnoteを介して言葉を紡ぎながら何かを表現している、或いはしてしまっている人種であり、共通点もあれば、おそらく決定的に違う部分もあるのだと思う。


Dear My Friend
親愛なるひまわりのきみへ

 いつもの通り道、最寄り駅に新しい顔が増えてきた今日この頃、季節は休むことなく移り変わり、もしも自分が停滞していたなら時の流れに置き去りにされてしまうようなせつない気持ちになるかもしれませんね。

 『毎年代わり映えしない新年度』をかれこれ何年も過ごしてきた小生には、明日から大学生活が始まるとか、新社会人としての一歩を踏み出すとか、そうした真新しい四月を遠い過去のようにみつめるつもりはなくとも、今後そういうことは終末に向かう一歩一歩であるのかもしれないと思うわけであります。

 さて、ひまわりというのはそもそも小さな草花からしてみれば、暴君そのものなのかもしれません。誰よりも太陽に対して貪欲で、空に向かって太い幹に大きな花を咲かせたかと思えば、顔いっぱいに大きな種を実らせては、夏の終わりを勝手に決めてしまう。

 春の桜がはかなげなお姫様だとしたら、ひまわりは確かに暴君の異名がついてもおかしくない存在感。
 しかしながら親愛なるひまわりのきみはチンチラにすっかり心を奪われ、可愛いものを見つけると飛びついてしまうような勢いで目をキラキラさせている。太陽を独り占めするがごとき所業とは縁がないとも思えます。

 幼少のころ、地元の縁日だったかお祭りで夜店に出ていたハムスターを親にねだって飼うことを許してもらったことがあります。そのときエサはもちろんヒマワリの種でした。つがいで飼っていたのですが3世代目が檻から脱走してしまい、なんとなくほろ苦い記憶となっていたことを思い出しました。
 ハムスターを掌に載せたときの少しひんやりしてこそばゆい感覚が蘇り、もう一度飼ったらどうなんだろうと思いつつも、もし次に飼うのだとしたら大き目な鳥、理想はフクロウやミミズクですが、だとするとエサとして冷凍の……。なので大き目なオウムにしようかと思います。果たして小生のどんな言葉をまねて覚えてくれるのかを妄想するだけで、小説が一本書けそうです。

 そう、つまりは妄想するだけに飽き足らず、小生はそれを物語にしてしまう。そんな生き物なのかもしれません。

 小生は物語や随筆のようなものをつらつらと書くことについて、以前このような投稿をしたことがあります。

 相も変わらず、読者を煙に巻くようにのらりくらりした文章で恐縮なのですが、概ねこれが小生が物書きをライフワークとして続るうえでのスタンスになるかな。

『よいインプットなしには、よいアウトプットはできない』

 とするのは、いささか格好をつけすぎている気がするし、小生の場合はそこに『もしも~が~だったら』という自動妄想製造機能が関与するので、『いついかなる日常的な出来事も妄想力で非日常を生み出せる能力者』というのが、小生の物書きとしてのスキルなのかもしれません。

 小生の敬愛するホラーの帝王スティーブン・キング氏は、多作でありながら、小説を書くのにまるで取材に出かけないと聞いております。ほぼ自分の町(メイン州バンゴール)から出ることなしにあれだけの奇想天外な作品を執筆できるというのは、恐ろしく高機能な自動妄想製造機能とそれを補助する洞察力と文章の構成力があるのでしょう。そもそも小生とホラーの帝王を比べてしまうのは、獅子の心を鼠は知らず、おこがましいことですが。
 憧れを超えてあきれてしまうほどの差があり、そうした作家がこの世に数多存在していることが、小生の創作活動の励みになっているのかもしれません。

 たとえば小生は車の免許を持っていなくても、ドライバーの気持ちを想像することは可能です。しかしキングは乗用車やトラックを勝手に暴走させ、人が乗っていないのに意思をもって人を襲うみたいな物語をいくつも書いています。この飛躍はどのような錬金術でなされているのかと、自分の集めた素材の調合方法を模索して物語を書き始めます。

 素材は多いほうがいい。

 そのために小生は部屋にこもりきりで作業をするとき以外は、わりとふらっと地元の夜の街に遊びに行き、そこでいろんな人のよもやま話を聞くことで、妄想のネタになるような素材を拾ってきます。それはライフワークと言えるかもしれません。小生にとって人がいるところに出かけるのは、錬金術の素材を集める作業なのです。

 そうして生まれた作品はたとえば、こんな物語。

 小生はネコが好きです。ですがネコ耳を付けた女子に萌えたりはしません。ならばネコに変えてしまえ!

 これはカフカの『変身』を下敷きにしながらも、虫類ではく、ネコのような愛らしい生き物にしたらどうなるかという錬金術の実験です。しかも書くきっかけは、とあるライブイベントでネコ耳を頭部に装着したおっさんを観たことで、妄想スイッチが入ったと記憶しています。ただ猫が好きというだけではこのような作品を書こうとは思い至らなかったと思います。

 カフカの『変身』に登場する主人公は労働者であり、その家庭環境は身内をひとつの労働力としかみていないようなドライな関係で描かれていたかと思います。
 しかしながら、現代においてそんな主人公や家庭環境はどうということのない日常とも言える。であればなんとなく生態のよくわからない女子高生とおじさんを対決させてみたらどうか。しかもおじさんは漫画にでてきそうなステレオタイプな泥棒キャラ。

 すっかり小生の作品紹介のような内容になってしまいましたが、ここで言わなければならないのは、猫は好きだが、女子高生は怖いと思っておりますし、戦わせたら作品のような結果に終わると小生は思っております。

 なぜ書くのか

 現時点での小生の答えは、タイトルにあるように「クソったれのくせに食べることをやめないから」となります。更に言えば先の述べたインプット、アウトプットのなかのアウトプットに対して、先人が成し遂げた偉業を自分の錬金術でなんとかやってみたいという好奇心に他なりません。

 ただ、この好奇心というやつは、それを分解して説明することは難しく、創作活動をしない人にとってはそれこそが「わからない」部分になるのかもしれません。だから「お腹がすくから食べるし、食べたら出るし、それが音楽なのか小説なのか、人にとっては絵なのかもしれない」と煙にまいてしまうようにしています。

 ひまわりのきみには、聞かれて困ること、答えても伝わらないだろうことを、うまいこと言い逃れる術をお持ちでしょうか?

 そういえば日本のプロ野球界の名物監督、故野村克也氏がこんなことを言っていたそうです。

人の悪口を言わないような人は信用するに値しない

https://www.nomurabot.com/entry/fuwaku040

 出典元のとおり氏が発言していたのか確認したわけではないのですが、そこに共感してくれた人から「とはいえ悪口は角が立つから、めけさん、なんかうまい言い方ないかな?」と聞かれたので

 あの人は良く言えば○○、悪く言えば◆◆だと思う

 この言い方で小生は、誰かの悪口談義になったときに自分の身を守るようにしています。まぁ、言い逃れ術のひとつであり、小賢しいとお思いになるかもしれませんが、ジャアンってのび太に対して悪態をついていますが、あれはよく言えば正直、悪く言えば無遠慮、なのだと思います。
 ひまわりのきみで言えば、よく言えばジャアン、悪く言えば暴君ってところでしょうか(いや、言えてない)

 おあとが、よろしいようで……

追伸
『おおきく振りかぶって』の主人公、三橋 廉(みはし れん)は、好きに対する妥協がないのに、そのやり方がある意味歪んでいるというか、キャッチャーの要求したところにボールを投げられるのが当たり前だみたいな恐ろしいまっすぐさを小生は持ち合わせていない。

ライブハウスで出会ったバンドマンのご両親の年齢がすでに僕より下であることが多く地方出身のバンドマンから『東京のおとうさん』と呼ばれることもあり、年齢との折り合いはとっくにつけているというか、はい、おっさんです。

バカボンのパパが41歳、磯野波平が53歳だったかな。その二つを超えた時、ああ、これが人生の通過点だと自分がおじさんであることは自覚しつつも、若い者には負けん! ときばっております。

▼これまでのやりとり


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