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母は料理が嫌いだ。

僕の母は料理が嫌いだ。
それを知ったのは僕が社会人になって父と二人で食事をした際に、ポロっとこぼした一言から判明した。
「お母さんは料理が嫌いだよなあ…もう少し手の込んだ手料理が食べたかったよな?」

父は煙草を口にくわえ、ライターに火をつけながらそう言った。父に悪意はなかったと思う。
『そんなこと考えたこともなかった』


僕の家庭は平々凡々。父は大手企業の研究職で、母はパート勤めの一般家庭だ。
程よくおもちゃを与えられた幼少期、多すぎない、むしろ少ないくらいのお小遣いをもらって過ごした中・高校時代、4年制の私立大学にも通わせてもらった…こう聞くと僕が思っていた平凡とは、そうではない人から見たら富んだ生活だったのかもしれない。平凡は裕福なのだ。


幼稚園時代の3年間、父が精神系の病気でほとんど家におらず、僕と年子の弟を、母は女手一つで育ててくれた。
ものすごく手のかかる時期だ。きっと大変だったに違いない。しかし母が弱音を吐いたり涙した瞬間を、僕は人生で一度しか見たことがない。しかも幼少期ではなく、僕が社会人をドロップアウトしてニートをしていた時だ。
今から5年前。朝起きたら愛猫が冷たく動かなくなっていた時だ。しかもあの時は家族全員泣いた。家族が一人いなくなったのだ、当然と言えば当然か。
母は強い人間で、僕の母は他の母親よりも母親をしていた。そんな考え方の僕はマザコンかもしれない。
マザコンなんだろうな。


母のこなす家事に特段の不満はなかったし、ご飯もおいしかった。
学校行事の時なんかはお弁当を作ってくれたし、とても感謝している。
片付けはちょっと苦手だったかもしれない。
部活の送り迎えや汚れた物の洗濯など、一人暮らしをして「母がやって当たり前だったこと」を経験して、僕は母のありがたみ、当たり前ではないこと僕は知ったのだ。


そんな僕の中で形成された母親像に対して、父が「料理」について否定したのだ。
「いつも同じメニューばっかり~」
「鍋が多くて~」
と不満を漏らし「家事全般がお母さんは嫌いだからなあ」で締めくくった。


母親とは自然と料理が好きな生き物だと思っていた。
これは日本における理想の母親像というものが、メディアや学校教育を通して私たちの中に形成されていている弊害かもしれないが、僕も例にもれず「女性は家事が好き」なのだと思っていた。
しかし僕の母親はそうではなかったのだ。
それはそうだ、母も人間なのだから。


この世に生を受け、僕という人格が形成されて20数年余り。気がつかなかった。
僕はとても後悔した。恥ずかしかった。
そしてこれまでの人生がフラッシュバックした。
あの時も、あの時も、母は料理が嫌いだったのだ。別にそこまでお金に困ってはいなかったはずだ。父との結婚を機に専業主婦になった母だが、別になりたくなかったのだろう。働いていたかったのだろう。
そんな母に料理・お弁当を作ってもらって感謝の一つでもできていただろうか。
きっと、母は不満だったに違いない。しかしそれを声に出さなかったのだ。母は偉大だ。
「美味しいよ」その一言さえ言っていなかったかもしれない。
料理が出てくるのが「当たり前だった」のだ。我が家はテレビを見ながら食事をしていた記憶がある。
当時笑いながら「愛のエプロン」「伊藤家の食卓」「ヘキサゴン」「クイズミリオネア」などを見ていた。
そんなどうでも良いことは覚えているのに「美味しい」と母の料理に対して言った記憶が全くないのだ。
家族全員そうだったのかもしれない。由々しき事態である。
今すぐ母に感謝を伝えなければ------------。



母が家事が嫌いだと知って片手では数えきれない年数が経過した。
僕はいまだに感謝の気持ちを伝えらずにいる。
「あの時のお弁当美味しかったよ」
「大変だったはずなのに、感謝の一つも言えずにごめんなさい」


今日こそ絶対に言うぞ。
そう決めていざ帰省しても言えずに帰ってしまう。


言えない期間が長くなればなるほど僕の口がどんどん重くなる。
両親が居なくなったからでは遅いのだ。
よし、今日こそ言うぞ。
そう決めて僕の足は実家へと向いているが、僕の口は、心は、重たくなって帰ってくる。

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