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リアリティ・トランサーフィンの考察㉛最終回『あなたの扉』

3月下旬から書きはじめたリアリティ・トランサーフィンの考察シリーズも、いよいよ今回で一応の最終回を迎えることとなりました。一応の、と断ったのは、トランサーフィンに関するなにがしかのことはきっと今後も書くことがあると思いますし、質問箱にトランサーフィンの内容についてのご質問をいただいた場合も、マガジンに追加する形で記事にしていくと思うからですが、書籍の第1巻および第2巻の内容についての紹介と考察という意味では、この記事がその締めくくりとなります。

それでは、さっそくはじめていきましょう。

すでに見てきたように、願望を現実化させるためには、願望を意図に変えなくてはなりません。意図とは、願望から重要性を取り去って、そこに所有し行動する決意を加えたものです。それゆえ、意図には明確な目的があります。意図と目的はワンセットですね。

では願望が意図になれば、その意図はすべて叶うのでしょうか? そうではありませんね。その場でよし!と思い立って行動に移せば実現できるような目的(ex. アイス食べたい🍧)であれば、それは内的意図によって簡単に処理できます。しかし、現実化させるために諸々の条件が想定される目的については、そううまくはいきませんね。

このような目的が現実化するためには、いまいる人生ラインのセクターから、その目的が現実化する可能性を持っているセクターへと移動しなければなりません。目的が壮大なものである場合は、最終的なゴールとなるセクターに到達するまでに、段階的にいくつかのセクターを経由して、それぞれにおいてそこでなんらかのこと(条件)を現実化させていく必要があるかもしれません。

あなたの顕在意識である理性には、自分がいまいるセクターにおいてアイス🍦を買いに行くことはできますが、他のセクターにどんなお宝や地雷が存在しているかを覗いたり、そこへ移動することはできません。それが得意なのは潜在意識とか魂と呼ばれる、あなたのより高次の部分です。魂が望ましいセクターにあなたを運んでくれたなら、あなたはそこにあるものを手に入れることができるでしょう。これが外的意図と呼ばれるものです。

そこで問題となるのは、いかに魂と理性が協力(一致)できるかということですが、これについては過去の記事で詳しくみてきました。そこで分かったのは、その目的が自分のものでない(=他人の目的)場合は魂と理性が一致することはないということでした。この場合はもちろん、外的意図が作用してくれません。

すべての目的は、破壊的振り子との関わりにおいてチェックされる必要があります。同時に、そこに大きな重要性が与えられている場合には、これを引き下げることも試みるべきです。これらの結果、目的そのものを放棄することになるかもしれませんし、当初の目的(=他人の目的)がべつの目的(=あなたの目的)へと変わるかもしれませんが、それはもちろんよいことです。

また、目的は自分のもの(つまり、魂がそれを望んでいる)なのに、理性にその目的を所有し行動する決意がないときは、スライドを用いて目的を快適域の中に入れる努力をすれば、うまくいく可能性があることもゼランドは教えてくれました。

こうして、他人の目的と縁を切り、魂が望んでいる目的(=あなたの目的)にたいして理性をその気にさせることに成功したなら、あとはあなたの扉をくぐって目的を現実化させていくだけです。

……ざっとおさらいをしつつ、消去法のようにして、あなたの目的が残るところまでたどり着いてきましたが、ここまではよいでしょうか? それでは「あなたの目的と扉」についてゼランドはなにを言っているか、見ていきましょう。

まず第一に、目的は何らかの一時的な欲求によって決まってくるものではない。目的とは、「あなたは人生から何を欲しているか? どんなことがあなたの人生を喜びにあふれた幸せなものとするのか?」という質問に答えるものでなくてはならない。ただこのことだけが重要なのだ。残る全ては振り子による見せかけだけのものとみてよい。
一番大事な目的をひとつ見つけていただきたい。その目的が達成されれば、残るすべての願望も達成されるだろう。

「願望実現の法則」リアリティ・トランサーフィン〈2〉魂の快/不快の選択
ヴァジム・ゼランド著(以降の引用文も同じ)

ここはトランサーフィンの本質を言い表している重要な箇所です。昔のわたしもそうでしたが、トランサーフィンを「願望をなんでも現実化してくれる魔法みたいなやつだ」という期待のもとに読みはじめてしまうと、こういう文章は軽く読み飛ばしてしまうんだと思います。何度も繰り返すのはアレですが、そうなってしまうのは読者のせいというよりも、この本に関するマーケティング戦略のせいです。

このnoteの記事では、そういうマーケティングの視点ではなくゼランドが言っていることの本筋を丁寧になぞることを念頭に置いてきましたが、その試みが成功していたなら、この引用文を読まれた方に違和感はとくにないと思います。

「あなたは人生から何を欲しているか? どんなことがあなたの人生を喜びにあふれた幸せなものとするのか?」

という問いの答えとなるものだけが「あなたの目的」である、とゼランドは言っています。とどのつまり、トランサーフィンは「あなたの目的」を見つけるためのツールであるということでもあるのでしょう。あなたの目的が見つかれば、それは特別なテクニックなどなくても実現するはずです。なぜなら、それはあなたの目的なのですから。もちろん、迷ったり日和ったりしがちな理性を(スライドを用いて)しゃんとさせる必要があることもありますが、それは補助的なことでしかありません。

あなたがあなたの目的を見つけられないことには原因があり、その原因はトランサーフィンで取り除くことができますが、あなたがあなたの目的を見つけたなら、その目的が現実化するのにはどんな秘密も魔法も必要ありません。

あとやるべきことは、「あなたは人生から何を欲しているか? どんなことがあなたの人生を喜びにあふれた幸せなものとするのか?」という質問の答えを探すこと。それだけです。

この質問の答えには、あなた自身の意識レベルがそのまま反映されるはずです。もしも求めるものが物質的な豊かさであったり、肉体的な快楽であったり、あるいは地位や権力といったものであるなら、それは本当にあなたの人生を喜びにあふれた幸せなものにしてくれるでしょうか? という風に書くと、そのような目的は上の問いの答えとして適切ではないということになりそうですが、これは一概に言い切ってしまえることではないですね。でも、おそらくゼランドはそういうつもりで言っていると思います。

しかしながら、意識レベルが200以下の領域に生きている人にとっては、こういったものが本当に人生の喜びで、それを手に入れられたら幸せだったりします。より高い意識レベルからみると、それは本当の幸せではない(実際には喜びよりも苦のほうが多いでしょうから)かもしれませんが、人はみなそれぞれの歩みの速度で進化の道を歩んでいます。ですから、そういう人たちの魂が、このような目的(=他人の目的)の現実化を望んでいるということは、カルマ的にはあるのかもしれません。

そのように考えると、意識レベル200を分水嶺として、それ以下の意識レベルの領域では例外的な条件でも魂と理性が一致することがあるという、これまで言及されていなかった可能性が浮上してきます。

しかし、ゼランドの本意としては、読者がトランサーフィンを通じて意識性を高く保ち、不運や不幸を回避して幸運の波に乗ってくれることを期待しているはずですので、そもそも前提として、この領域のことは想定外であったのだと思われます。

そこで、この記事においても、読者のみなさんはこのような(意識レベル200を下回る)目的を人生の喜びであるとは考えないだろう、という体で話を進めていきますが、そうすると結局のところ、あなたに求められているのは「なにが自分にとって本当の幸せか?」について自分で答えを出す、ということになりますね。

その答えをみつけるためには、そもそもあなたがいま生きている「この人生とはなんであるか?」をあなたがあなた自身で決める必要があります。人生の意味はどこかにあっていつか見つかるものではなく、また、誰の人生にも共通するような普遍的な人生の意味などというものもありません。あるとしたら、あなたにとっての、あなたのその人生の意味しかありません。したがって、単に人生の意味というのでなく、「この人生の意味」をあなたが決めなくてはなりません。

この人生の意味を決めることと、自分にとっての幸せを定義することと、自分の目的を見つけることはひとつながりのことワンピースです。

あなた以外に誰もあなたの目的を指し示すことはできない。あなたの目的を見つける方法がひとつだけある。それは、重要性を振りはらい、振り子との関係を断ち、自分の魂に注目することだ。誰よりもまず自分を愛し、自分のことについて第一に心配するのだ。あなたの目的へと続く道を見つけるには、この方法しかない。

ですから、この人生の意味を決めるためにも、まずやるべきことは「重要性を振りはらい、振り子との関係を断ち、自分の魂に注目すること」です。過剰な重要性がどこにもなくなり、どんな破壊的振り子とも縁を切ることができて、自分の魂の声をはっきりと聞くことができるようになれば、そのときあなたはこの人生の意味を決めることができるでしょう。この人生の意味が決まれば、この人生における幸せがなんであるかも決まります。そのとき、あなたの目的はもう目の前にあるはずです。あとは、所有し行動する決意をするだけですが、その決意が整うまでは、慌ててはいけません。

扉を慌てて選んではいけない。所有する決意がありさえすれば、扉は見つかるだろう。もしどこに自分の扉があるのかはっきりわからないのなら、スライドを利用して快適域を広げよう。重要性を振りはらい、目的達成の願望とは縁を切ろう。あなたがバリアントを所有する決意を持つことを思い切って自分に認めてあげたら、外的意図があなたにふさわしいバリアントを示してくれるだろう。

扉とは目的を達成する手段のことです。所有し行動する決意が整わないのは、理性にとっては扉が大きく重すぎるように見えるからですが、そのように見えるのは、その扉があなたの扉ではなく、他人の目的へと通じる他人の扉である可能性が高いです。

その際は、スライドを用いて快適域を拡大することに専念していれば、やがて所有し行動する決意が整うときがやってきます。そのときは、外的意図があなたにふさわしい「あなたの扉」を用意してくれるはずです。

あなたの扉はあなたの目的へと導いてくれる道である。あなたが自分の目的を決めた後で、どのようにしてその目的が達成されるのか、自問してみよう。遅かれ早かれ外的意図があなたの目の前に様々な可能性を示してくれるだろう。あなたは、その中からまさしく自分の扉と思われるものを見つけ出せばよいだけだ。

どうか読者のみなさんが、自分の扉を見つけられますように🙏


さて、これでトランサーフィン第2巻について、必要と思える情報はおおむね取り上げて紹介することはできたかなと思います。とはいえ、それはわたしの主観なので、読まれてよく分からないなと思われたことや気になったことがあれば遠慮なく各記事にコメントしてください。また、より包括的なご質問があれば、質問箱に投げてくださっても構いません。トランサーフィンはあくまでゼランドのものですから、すべてのご質問にわたしが綺麗に答えきることができるとは思ってもいませんが、一緒に考えてみたいと思います。

ちなみに、記事を書くために第2巻を読み終えたとき、この内容を記事にするのは非常に難しいなと実は感じていました。第1巻の方は、そうでもなかったんですけどね。第2巻は昔読んだときには腑に落ちるまで理解しきれなかったのですが、今回は意外なほどすんなりと理解できました。難しいと思ったのは、昔は読めなかったものが今回はなぜ読めたのか、というところをどのように咀嚼して、それを反映させた内容にするかという点でした。

そこで、いろいろ考えているうちに「あ、そうか💡」と閃いたのは、まさに外的意図を働かせて記事を書くということでした。

個人的なことをいうと、トランサーフィンの記事に限らず、note と in SPIRE において記事を書き続けているのは、それがわたしの魂が望んでいることだからです。つまり、なんであれこうして書くことは、すでにわたしの目的であることは分かっていることでした。

あとは、第2巻の記事を書き切るという決意さえ整えば、自ずと結果は形になるはず。そのように考えたわけです。それで、本来ならそこでスライドを用いて快適域を拡大する必要があったわけなのですが、面白いことに、決意さえ整えばと思った瞬間に、なぜか決意が整ってしまったのでした😌

いろいろと理由は考えられるのですが、おそらく要するに、ハードルは高いけれども、それでも必ずやり遂げられるということをわたしは疑っていなかったのでしょう。そのため、決意が不十分だなと思った瞬間に、その決意が整ったのだろうと想像します。外的意図とは、そのようなものだと思うんですよね。

ともあれ、わたしは自分のやりたいことをやっただけです。それが読者のみなさんにとって役立つものであるかどうかはまた別の話ですが、願わくば、そうであって欲しいものです。

それではここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。連載中、けっこうな数の人に閲覧いただいていて、とても励みになりました。コメントをくださった方にも感謝しております🙂 ありがとうございました!

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