喧々諤々と言う人

今回はよくある覚え間違い(おそらく)について。

テーマについて親切心をもって察するに、喧喧囂囂(けんけんごうごう)と侃々諤々(かんかんがくがく)が混ざっているのだと思う。
この世に喧喧諤々という熟語は存在しない。

個人的に遭遇率が高い誤用は「穿った」とか「煮詰まった」などがある。
「憮然」という言葉もそうだ。
どれも奇跡的な共通誤認識が世間に浸透した結果だと思う。
まさか「うがった」を「うたがった」と読んでいるのだろうか……
おそらく語感などに対する感覚の共通性によるものだと推測している。

世の中にはこのような言葉を誤用と知らず使用している人は大勢いる。
本来の意味を指摘された場合でも、意味が通じればよいではないかと言う人もいるだろう。
言葉の目的は意思の疎通だからこれには部分的には賛成だ。

過去にも誤った使い方が一般に浸透したことによって、言葉の意味が再定義されたことはある。
例えば、もともと「全然」という言葉は、後ろに「~無い」という否定形を持つ副詞だった。しかし「全然面白い」などのように肯定形で使用されることが一般化してから強調の意味が追加された。

このように言葉の意味は世間の実態を反映して変化するものだ。

しかし、そうでない言葉については紛らわしいので正しく使うべきである。
先に賛成と述べたのは、言い回しやジェスチャーなどの表現全体を通して意味が通じればよいという意味である。
相手も同じ誤った認識を持っていたために、偶然意味が通じた場合に対してではない。

言葉の誤用は服を裏返しに着るようなものである。
誰かからの指摘で気づいたならば直せばよいのだ。
裏返したまま着ているのは滑稽以外のなんでもないだろう。

日本人の半分以上が裏返しに着るようになれば話は別だ。
言葉とはその程度のものでもあるから。

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