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『完全無――超越タナトフォビア』

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哲学における究極の未解決問題「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」を解決するとともに、タナトフォビアで苦しんでいた過去の自分を、四年掛かりで自ら救った、新しい思想を総括するマ… もっと読む
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#理

『完全無――超越タナトフォビア』第百八章

感覚によっても論理によっても示威することの難しい堅物の名が、完全無であることは確かなのだ…

『完全無――超越タナトフォビア』第百二章

この作品でこうしてわたくしが皆さんと出逢えたことも含めて、ハロー、なにもかもが、グッバイ…

『完全無――超越タナトフォビア』第九十章

人間たちはもはやことばを選べない。 猿の時代へと還ることもできない。 本当に戻れないのだ…

『完全無――超越タナトフォビア』第八十九章

無がいくら無限の連珠のように連なろうとも、それは空間とは成り得ず、時間とは成り得ないので…

『完全無――超越タナトフォビア』第八十一章

接地面無き【理(り)】へと着地する前に、わたくしたちは疑わしきアトランティス大陸のあらゆ…

『完全無――超越タナトフォビア』第七十八章

この章では、ヒト科という存在者に(諸説あれど一般的に普及している説によると)特有の能力と…

『完全無――超越タナトフォビア』第七十六章

(この章は、わたくしきつねくんという実在のキャラクターによる、ノンフィクショナルな語りの、実存論的再起動から始まる。) 世界に取り込まれることなく、世界を取り込むこともなく、世界という約束そのものであるために、わたくしたちに対してわたくしは告げる。 有機物でも無機物でもない自己の在り方を想像しようではないか。 生き物以前性だけではなく、物質以前性をも想起せよ。 存在という謂(いわ)れ無き謗(そし)りに曝され続ける「ことば」、それが、人間的スケールの知の体系としての言語

『完全無――超越タナトフォビア』第七十一章

さてここで「荼毘に付す」ということについて少し触れておきたい。 わがニッポンにおいては現…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十九章

わたくしはこの辺りで謙虚になろうと思う。 謙虚であろうとすることは、自然体であろうとする…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十八章

さあ、続けよう。 口述であれ記述であれ、それらことばの記号(記号作用と記号内容の合わせ技…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十七章

さて、 「ひかり、あれ!」と声を荒げるよりも、「ひかり、ある!」と忍び音(しのびね)を心…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十六章

聴いてくれるかな、チビたち。 チビたちが犬であろうと、ぬいぐるみであろうと、人間であろう…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十五章

(店内の照明の匂いが、窓の外からのひかりによって、ほんのひと匙分ねっとりとしてきたことに…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十四章

宇宙とは世界そのものとされることが多いのだが、この作品では便宜的に、世界の属性の一面として宇宙をまず定義したい。 さて、弱かろうが強かろうが、観測できようができまいが、宇宙論における「人間原理」なる傲慢は人間たち自身にとっても、当てにはならない。 人間たちの創り出した記号と宇宙との蜜月、そのような浮き名を宇宙が期待しているわけではない。 なぜなら、宇宙とは「世界の世界性」同様に、つまり「世界の世界性」に対する有無のあわい的随伴現象である限りは、すでに完了した「抱き締め合