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『完全無――超越タナトフォビア』

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哲学における究極の未解決問題「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」を解決するとともに、タナトフォビアで苦しんでいた過去の自分を、四年掛かりで自ら救った、新しい思想を総括するマ… もっと読む
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#小説

『完全無――超越タナトフォビア』第百十四章

たまには章ごとにサブタイトルでも付してみようかと思い立ったのだが、たとえば、「空も中道も…

『完全無――超越タナトフォビア』第百十三章

えげつないほどに奇妙かもしれないが、無の連結が運動を生み、それを有の連続として捉えてしま…

『完全無――超越タナトフォビア』第百十ニ章

分子と分子、クォークと反クォークとの間には何も「ない」わけではない。 何かが何かと引き合…

『完全無――超越タナトフォビア』第百十一章

(ここでチビが発現すると同時に発言する。 それにしたってガンジスの河岸の砂の数を数え終わ…

『完全無――超越タナトフォビア』第百十章

神は妄想である、と書いた正統ダーウィニスト的有名人、いや英国の進化生物学者がいたが、世界…

『完全無――超越タナトフォビア』第百五章

(そしてそしてさらにさらにきつねくん、つまりわたくしは、ゆっくり足早に駆け抜けることを許…

『完全無――超越タナトフォビア』第百四章

ウィッシュボーン 「きつねさん!  ご誕生おめでとうございます! 想い出された誕生の瞬間、それこそがきつねさんの現象界でのお誕生日ということになりますでしょうか。 そのような貴い秘話が明らかとなった第百三章とはまさに第百讃章と言ってもバチは当たらないのではないでしょうか。 ウィッシュボーンと致しましては、無限と有限という対義語、いや、きつねさんにとっては、対義語は存在しないんですよね、失礼致しました。 訂正いたしますが、ともかく、世界の既存の枠組みのすべてを超えたい、という

『完全無――超越タナトフォビア』第百三章

愛、そう存在者と存在者とが愛し合う、というささやかなる領分を超えて、愛そのものとなって自…

『完全無――超越タナトフォビア』第百二章

この作品でこうしてわたくしが皆さんと出逢えたことも含めて、ハロー、なにもかもが、グッバイ…

『完全無――超越タナトフォビア』第百一章

西田幾多郎の哲学における「絶対無」のような無の場所としての動的無限性の極地、それは人間た…

『完全無――超越タナトフォビア』第百章

突然ではあるが、第九十章のポエムのリプライズならぬ、紳士で真摯なリメイク版をここでお届け…

『完全無――超越タナトフォビア』第九十九章

ウィッシュ 「モナドは絶対に窓を持ちませんが、ミスドは窓を持つ場合があるということでしょ…

『完全無――超越タナトフォビア』第九十八章

さてチビたち、話を少し曲げさせてもらおう。 しっぽのないきつねであるわたくしは、何かと紆…

『完全無――超越タナトフォビア』第九十七章

なぜ「何か」があるのか、ということの答えとは、要するに完全無と完全有との齟齬が根源的に関わっている、というそのことであろう。 なぜなら、完全無という世界こそが主体的に「何か」である、という言い分だけを取り出してみせるなら、それは極めて粗暴かつ奇天烈な定義だと勘繰ることができるからだ。 完全無であれ、完全有であれ、主体になる何ものかを定義することは実はとてつもなく不可思議な行為なのだ。 それは、もとより状態や性質をあらわすことが世界そのものにおいては不可能であること、とリ