マガジンのカバー画像

『完全無――超越タナトフォビア』

125
哲学における究極の未解決問題「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」を解決するとともに、タナトフォビアで苦しんでいた過去の自分を、四年掛かりで自ら救った、新しい思想を総括するマ… もっと読む
運営しているクリエイター

#科学

『完全無――超越タナトフォビア』第七十四章

さて、再度このテーマについて噛み砕こう。 消失し得ない存在について。 安易な第一歩こそ肝…

『完全無――超越タナトフォビア』第七十二章

たとえば、宇宙に遍満する無数の粒や波、それらに最低限の大きさや振幅があろうとなかろうと、…

『完全無――超越タナトフォビア』第七十一章

さてここで「荼毘に付す」ということについて少し触れておきたい。 わがニッポンにおいては現…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十九章

わたくしはこの辺りで謙虚になろうと思う。 謙虚であろうとすることは、自然体であろうとする…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十八章

さあ、続けよう。 口述であれ記述であれ、それらことばの記号(記号作用と記号内容の合わせ技…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十七章

さて、 「ひかり、あれ!」と声を荒げるよりも、「ひかり、ある!」と忍び音(しのびね)を心…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十六章

聴いてくれるかな、チビたち。 チビたちが犬であろうと、ぬいぐるみであろうと、人間であろうと、チビたちという存在者の存在そのものが織り成す世界線・世界面・世界体積は、完全に無であるがゆえに、完全に有であり、その価値量は、人間たちの産み落とした哲学、そして科学や科学哲学の産声よりも豊穣に、いや完璧な充足感によって超越しているのだろう、とわたくしは思う。 その思いに対する反論は、チビたち、ここでは受け付けないよ。 ともかく、そのような超越感触を、チビたちと共時的かつ通時的に過

『完全無――超越タナトフォビア』第五十二章

科学にしろ一般的な思想にしろ宗教にしろ、反常識的・本来的に、つまり非頽落的に鑑みるならば…

『完全無――超越タナトフォビア』第五十章

しろ 「ものごころぉ?」 チビ 「もの、ごころ」 ウィッシュ 「ウィッシュボーン、はやく大…

『完全無――超越タナトフォビア』第四十九章

二〇二〇年代の今(※この作品のそもそもの着想は二〇一四年ではあるが)、宇宙は膨張している…

『完全無――超越タナトフォビア』第四十一章

さて、「世界の世界性」としては、因果関係という金科玉条は成り立たないし、確率論のサイコロ…

『完全無――超越タナトフォビア』第三十九章

宇宙であろうが、宇宙ではないなにものか、であろうが、なにかがなにかから生まれる、というこ…

『完全無――超越タナトフォビア』第三十章

たとえば、完全なるつまりは最も美しく最も精確なる円を、何者かが任意の場所に書き記せば、そ…

『完全無――超越タナトフォビア』第二十六章

ある この文字だけを世界に残してみましょう。 あることがある、でもだめです。 あるのみです。 ある その二文字をじっくりことことみつめる感じです。 すると不思議。 ある、という字が、ない、に見えてきませんか。 確かに難儀ですね。 ははは! どうしたって「ある」という音声が、もしくは「ない」という音声が、現象として時空の中に成立する際の、つまり「ある」もしくは「ない」という言葉を口に出す前と後とが、時空の枠内で発生してしまわざるを得ない限り、「ある」の前後に