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『完全無――超越タナトフォビア』

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哲学における究極の未解決問題「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」を解決するとともに、タナトフォビアで苦しんでいた過去の自分を、四年掛かりで自ら救った、新しい思想を総括するマ… もっと読む
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#真理

『完全無――超越タナトフォビア』第八十一章

接地面無き【理(り)】へと着地する前に、わたくしたちは疑わしきアトランティス大陸のあらゆ…

『完全無――超越タナトフォビア』第八十章

(「まさに『デュエム-クワイン・テーゼ』を超えたテーゼなんだと思います、きつねさんの思想…

『完全無――超越タナトフォビア』第七十九章

幅無き世界、というオリジナル無き不可思議について、前-最終形真理的ヴューポイントからの査…

『完全無――超越タナトフォビア』第七十八章

この章では、ヒト科という存在者に(諸説あれど一般的に普及している説によると)特有の能力と…

『完全無――超越タナトフォビア』第七十一章

さてここで「荼毘に付す」ということについて少し触れておきたい。 わがニッポンにおいては現…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十七章

さて、 「ひかり、あれ!」と声を荒げるよりも、「ひかり、ある!」と忍び音(しのびね)を心…

『完全無――超越タナトフォビア』第六十六章

聴いてくれるかな、チビたち。 チビたちが犬であろうと、ぬいぐるみであろうと、人間であろうと、チビたちという存在者の存在そのものが織り成す世界線・世界面・世界体積は、完全に無であるがゆえに、完全に有であり、その価値量は、人間たちの産み落とした哲学、そして科学や科学哲学の産声よりも豊穣に、いや完璧な充足感によって超越しているのだろう、とわたくしは思う。 その思いに対する反論は、チビたち、ここでは受け付けないよ。 ともかく、そのような超越感触を、チビたちと共時的かつ通時的に過

『完全無――超越タナトフォビア』第六十章

【理(り)】に接近するためには、山ほどの常識的判断を焼却しなくてはならない。 そのひとつ…

『完全無――超越タナトフォビア』第五十七章

ある粒子、そして、ある粒子と区別されるところの粒子、粒子同士の位置関係、粒子同士の行動パ…

『完全無――超越タナトフォビア』第五十三章

頽落した人間たちは哀れである。 頽落とは進化であり、進化とは退化である。 生き様と死に様…

『完全無――超越タナトフォビア』第四十七章

ウィッシュが少しだけ興趣をそそるようなことを言ったので、ここでわたくしが、チビたちに送り…

『完全無――超越タナトフォビア』第四十六章

チビ 「チビ、感心しちゃったー!!!!!!! あ、びっくりマークが6個ぐらい多いやー、減ら…

『完全無――超越タナトフォビア』第四十一章

さて、「世界の世界性」としては、因果関係という金科玉条は成り立たないし、確率論のサイコロ…

『完全無――超越タナトフォビア』第三十四章

(そのとき!   きつねくんが不意に言葉を、この作品の存在論的亀裂へと投入する。 世界の無名性が死のタオルを生成という名のリングに投げ込むように。) ウィッシュちょっといいかな、ちょっと口を、このきつね口をちょっと挟ませてくれ……、ん? そうそう、そういうことだ、さすがウィッシュだ。 (と、ウィッシュボーンと何やら古代インドの奥義書『ウパニシャッド』における秘密を解読し合う形而上学的エイリアンの同士のように目と目で言い交わして、わたくしきつねくんは、わざとらしく咳払いをし