merli

ただのnoteユーザーです。よろしくどうぞ

merli

ただのnoteユーザーです。よろしくどうぞ

マガジン

  • 15分ぐらいで書く日記

  • 好きな音楽と、それにまつわる、個人的な話

  • 家で聴くための音楽

最近の記事

みんながよってたかって、自分を37歳にした

 先月、37歳になりました。  最近、近所のバーに通うようになった。「通う」というほどでもないか。おいしいお酒が飲みたいときに、お邪魔する感じ。バーという空間で、安くないお酒を楽しみながら、真夜中の雰囲気に浸るのも悪くない。大人っぽいでしょ? 大人はそれを「大人っぽいでしょ」と言わないだろう、という指摘はもっともです。  そのバーのマスターは、(飲食店のスタッフらしい気遣いで)「〇〇(ぼくの本名)さんは何でも詳しいですね、知らないことなんてないでしょう?」と話しかけてくれ

    • 新型コロナウイルスに感染していた話

       唐突ですけれども、先日、新型コロナウイルスに感染しまして、療養期間を終えてしばらく経ったので、そのときのことを振り返ります。 【1日目】あぶない体調 起きたら、喉が痛い。若干のだるさもある。「エアコンを切り忘れて寝たからかなあ」と思いつつも、ニュースなどで見聞きしているように、新型コロナの感染者数が増えていることが気にかかる。  万が一のため、昼に、近所のコンビニで飲料やゼリードリンクなどを2日分ほど買っておく。もちろんその際、手は丹念に消毒し、店員ともいっさい口をきか

      • 「コミュ障」の大人が、「気分よく」いること

        「自分はコミュ障である」という言い訳 「コミュ障」という言葉がある。ざっくり言えば、コミュニケーション障害、という意味の(ネット)スラング。これに、どういう意味合いを持たせるかは人によるけれども、自分が初めてこの言葉を知ったのは、いつの頃だったか。  いきなりだけれども、自分は、ずっとこの言葉で逃げてきたのではないか、と思う。  「自分はコミュ障である」という尺度を、便利に使ってきた。  何かがうまくいかなかったとき、自分は「コミュ障」である、と自分に言う。だからしょう

        • 取り消せない「しくじり」と、それを生んだメンタリティー

          うつが怖いあまりに  数年前に抑うつ状態になって仕事を休んだ、という話を過去にnoteに書いたことがある。寛解したあとにカウンセリングにも行った、なんてことも書いた。  もっとも、cakesがサービス終了となり、記事も残さないそうなので、noteの記事もいつ消されるか、わかったものではありませんが。noteで記事を書いている身分でなんだけれども、そこに関しては不信感を抱いている。おかげで、noteに何かしらの文章を投稿することに、なんとなく忌避感まで覚えるようになってしま

        みんながよってたかって、自分を37歳にした

        • 新型コロナウイルスに感染していた話

        • 「コミュ障」の大人が、「気分よく」いること

        • 取り消せない「しくじり」と、それを生んだメンタリティー

        マガジン

        • 15分ぐらいで書く日記
          287本
        • 好きな音楽と、それにまつわる、個人的な話
          16本
        • 家で聴くための音楽
          15本

        記事

          忘れてください、自分のことを

           あまり詳細に綴ると乱雑な文章になりそうなので、サクサクと書いてしまう。ある人物がいた。その人と自分は親しかったのだが、いろいろあって、縁遠くなってしまった。  いや、「いろいろあって」とすると、なんだか込み入った話のようだ。実際、その通りなのだけれど、一言で言えば、相手がこちらに嘘をついたことがあった。嘘をついたというか、本当のことをずっと言わなかった……というか。それがために、こちらはずいぶんと困ってしまい、それが決定打になって、2人は疎遠になった。  いや、という否

          忘れてください、自分のことを

          35年生きた、35歳になった気はしない

           20代前半の頃、母方の祖父母と、東京で3人で暮らしていた。祖父も祖母も元気な人ではあったが、シンプルに言えば寄る年波には勝てず、2人が徐々に日常生活がおぼつかなくなってきたとき、いわゆる「ボケて」きた際に、自分は、なかなかそれをケアできなかった。仕方ない、とは思う。孫の立場で、はたしてどこまでできるのか。両親もいなかったし、自分自身も安定しているわけでもなかった。今となっては、しょうがない、とも考えるし、もっとできたのかな、とも考える。  あるとき、洗濯機を自分が回して、

          35年生きた、35歳になった気はしない

          火中の栗を拾うつもりもないくせに

           このタイミングで、開閉会式の音楽担当に関して、ミュージシャン本人が(冗談であれ、本気であれ)名乗りを上げる行為に対しては、「とはいえ、自分には絶対にお鉢が回ってこないだろう」という考えを持っているのではないか、とすこし醒めてしまう。邪推ではあるにせよ。  彼らが、国際的な規模の式典に今から音楽をオファーされることの苦労を、理解していないはずがない。そう思ってしまうのだ。どんなにネタにされているところであっても、世界的な注目を浴びる場ではある以上、どうしても日本というものを

          火中の栗を拾うつもりもないくせに

          いじめられていた側だった自分は多少のことを言う権利があると思うけれど

          ある日、いじめを「卒業」したことになった あなたは、学校の机を涙でぐっしょりと濡らしたことはあるだろうか?  いろいろと思い出してつらくなるから、それぞれの内容を細かく書かないけれども、自分は明確に「いじめられっ子」だった。始まりは保育園の頃までさかのぼる。東京から地方の田舎の保育園に引っ越してきた、「外部の人間」だった自分は、周りの環境になじめず(だから「田舎が悪い」と言いたいわけではない)、あっという間にいじめられっ子側になってしまった。ちなみに、30代になって通ったカ

          いじめられていた側だった自分は多少のことを言う権利があると思うけれど

          笑顔で起きて、笑顔で寝たい

           「服を着て楽しんで、気分良かったら、かわいいおねえちゃんが寄ってくるやないですか」  これは、ちょくちょく買い物に行くセレクトショップのオーナー(関西の人)が、服を選ぶ喜びの一つとして挙げていたもの。「かわいいおねえちゃん」という言い方は、今の時代には眉をひそめられそうだけれど、見習うべきところはありそうな言葉ではないかしら。  見た目を大事にすること。そして不機嫌ではないこと。それが魅力につながる、という話で。  自分はときどき小ぶりなアクセサリーをすることがあるの

          笑顔で起きて、笑顔で寝たい

          21/04/13 日記

           noteの利用者として、ときどき、このサービスは大丈夫なのか、と思うときがあって、例の「新今宮ワンダーランド」の件や、以前にホームレスを取り上げた記事が問題になったときなどもそうなのだけれど、社会(行政)とホームレスの関係を書かない(そこをしっかり書け、と言うつもりもないけれど、ほんとうに、一切触れていないのだ。それはそれで奇妙でしょう)、というよりも、ストレンジな存在として親しく書いてふわっと楽しい読み物にするだけなのが、なんとも言えず、といった感じ。自分はそちらとは無縁

          21/04/13 日記

          うるわしくない日々

           メンタルが塞ぎ込んだときにどうなるかは人それぞれ。自分の場合、食事の味がしなくなって困ったことがある。まったくわからない……とまではいかないけれど、文字通り砂を噛むように、茫洋とした味わいになってしまうような感覚。そういうときは、不必要に加熱したり、調味料を大量にかけたりして、味覚に直接「何かを食べている」と訴えかけないといけない。胃が弱い自分にはしんどい話だけれど、刺激がわからないときには、強い刺激でないと理解できない。やたらに辛さを増すようなことは上品ではないから避けた

          うるわしくない日々

          不眠と感染症のタンゴ

           不眠がまたひどくなって、寝付くのにずいぶんと時間がかかっている。いや、時間がかかっているというのは間違いで、ほんとうに眠れない。気がつくと、5時、6時になっている。  眠れないときは作業をすればよいだろうと思うけれど、眠れないとはいっても身体は疲れているので、思考も回っていない。だから、ぼーっと音楽を聴いて、たまに友人にそれを愚痴ってみるぐらいしかない。おかげでnoteに日記を書くモチベーションが失われてしまった、と誰に言うともなく言い訳をする。  こういうときにアルゼ

          不眠と感染症のタンゴ

          いつか自分も死ぬことになるけれど

           健康診断で引っかかった。問題があったのは心電図。  「ブルガダ型心電図」というものらしい。うっかり「ブルガタ」と聞き間違え、「育ったのは新潟、血液型はA型、心電図はブルガタ」というリンゴの腐ったようなライムが頭に浮かんだが、Twitterのフォロワーに「ブルガ“ダ”(Brugada)」であると指摘された。いかに理知的なイメージを取り繕ってみても、無知というのは、このように、たまねぎを剥くかのごとく、はらりはらりと明らかになっていくものだ。  ブルガダ型心電図が認められた

          いつか自分も死ぬことになるけれど

          心が2回折れた男の新年

           この記事をあなたが読んでいるというだけで、自分は安心してしまう。ホッと息をつき、胸を撫でおろす、なんて言うと大げさかしら。あなたはどこの誰なのだろう? ぼくのことをよく知る人だろうか? noteでたまたまこの記事を見かけただけだろうか? いずれにしても。  とにかく、あなたは生き抜いたということだろう。あのめちゃくちゃな2020年を。賛否両論あれど、華々しく開催されるはずだったスポーツの祭典も中止。世界中が、怯え、慌てていた、あの年を生き抜いたのだから、とりあえず、よかっ

          心が2回折れた男の新年

          音楽を聴くことの意味を考え続けた年に 2020年の個人的なベストアルバム25+1

          いろいろなことを考えてばかりだった こんな年に、たとえば「NO MUSIC, NO LIFE」のような、音楽至上の言葉を掲げることにためらいがある。音楽を人前で演奏することがむずかしかったとか、そういうことではなしに。  そんなふうに始めると、ちょっと大げさかもしれない。だけれども、生きていくだけで精一杯だった人たちが、世界中にいるようなときに、「音楽に救われた」と安易に書くことは、すこし乱暴ではないかしら。  そうはいっても、閉塞感(という表現も陳腐かもしれないが、実際

          音楽を聴くことの意味を考え続けた年に 2020年の個人的なベストアルバム25+1

          M-1グランプリ2020の話

           M-1グランプリ2020について、素人が思ったこと。主にマヂカルラブリーと見取り図に対して。  マヂカルラブリーのこと。  「マヂカルラブリーの漫才は好みじゃない」と言われれば、そういう人もいるだろうな、と思う。一方で、「あれは漫才じゃなくてコント」という意見は、無理があると考えている。  たとえば、つり革のネタ(2本目)なら、「野田クリスタルが乗客から車内販売員になる」「村上が車両の外(野田が演じている世界の外)からツッコミを続ける」という2点は、コントだとほぼ不可

          M-1グランプリ2020の話