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スージー・ワイさんは、あなたであり私である

noteを比較的平和なSNSだと認識している方は多いと思います。現に私もその1人です。とはいえ、人間が作り、人間が使うツールである以上、悪意というものを完全に抑え込むのは難しいですね。特に「ことば」が表現の中心のプラットフォームであればなおさらです。


朝起きたてにnoter仲間のめーしゃんのこの記事を読んで、私は一気に目が覚めました。悲しい出来事により、noteを去ってしまった、いや去らざるを得なかった、とあるクリエイターさんに関するお話が書いてありました。

正直読んでいてツラい部分もあります。ただ、これからもnoteを楽しみたいからこそ、こういう現実を知っておいた方が良いと私は思っています。



スージー・ワイさんは、あなたであり私である

めーしゃんが記事内で紹介されているスージー・ワイさんの別記事です。

スージーさんは、もうnoteにはいらっしゃいません。441日間毎日投稿を続けていた程のクリエイターが、どうしてここを去らないといけなくなったのか。読んで頂ければ分かると思います。noter仲間と、仲間たちとの交流が本当に大好きだったんだなと伝わってきます。さぞかし無念だったでしょう。


思いを込めた創作を「ありふれた表現」と冷たく突き放されて、ここで創作活動を続けたい!と思う人はいるのでしょうか。noteの運営サイドさんには、もう少し言い方を考えて頂きたかったです。「ありふれた表現」て。それは無いんじゃないですかね。というのが、私の個人的な感想です。


スージー・ワイさんは、あなたであり、私でもあります。noteで活動している以上、誰にでも起こり得ることです。


相手の意思をきちんと尊重する

プロであれアマであれ、クリエイターである以上、著作権の問題からは逃れられません。noter仲間のまるちゃんの記事が参考になると思います。

そもそもお互いの「自己の正義」を、適度にすり合わせながら調整すれば、穏当に済むはずなのですけれどね。

一度、誰かの作品を利用させていただいたのならば、「使ってやっている」ではなく、相手の意思をきちんと尊重するスタイルで。それができる自信がないのならば、他人の作品を利用してではなく、自分の作品で強みを発揮するのが、本来のクリエイターの在り方だと私は思います。

まるちゃんの記事より


これは私見として書きます。法律というのは、当事者同士が相譲らず、判断を下さざるを得ない時に、仕方なく用いるものと私は認識しています。話し合いで平和的解決出来るなら、それに越したことはないと思っています。前述のスージー・ワイさんも、きっとそれを望んでいました。最初から法律を振りかざして、お前ら間違ってんぞ!と訴えたかったわけじゃない。時間も費用も掛かります。とてもお辛かったと思います。


こういうことに意識を向け始めると、記事を出しにくくなったり、創作を気軽に楽しめなくなると懸念される方もいらっしゃるかも知れません。その気持ちは、正直とても良く分かります。こんな記事を書いている私も、著作権法の詳細までは把握していませんし、「とにかく面白ければええやん」と勢いで創作してしまうこともあります。その中でも、まるちゃんが書いている通り「相手の意思をきちんと尊重する」部分は、とても大切にしています。



それを口に出すのであれば、責任や覚悟が要る

私は専門家ではないので、著作権法をこれ以上掘り下げることは残念ながら出来ませんが、小さいころから「ことば」という表現に拘ってきた、いちクリエイターという立場で、もう少し書きたいことがあります。こちらも大好きなnoter仲間の1人、aeuしゃんの記事です。


今回の件に限らず、何事もそうだ。頭や心で思うのは自由だけれど、それを口に出すのであれば、責任や覚悟が要る

基本的に平和主義な私は、結局「これを言ったら気分を害してしまう人がいるかもしれない」と一度立ち止まって考えることをやめられない。何度も何度も読み返して、このラインまでなら、万が一誤解で伝わっても自分の言葉でフォローできるかな、そんなことまで考えて、添削して修正して、読み返して、添削して……やっとの思いで投稿ボタンを押す。

aeuしゃんの記事より


aeuしゃんの創作LOVEな私がファン目線で感想を書くなら「もっと気楽に書いてええと思うよ(´めωめ`)ンム」となりますが笑、同じクリエイター目線で言うと、お手本にしたい考え方です。aeuしゃんだけでなく、自分が放つことばへの責任感を持っているクリエイターさんは、プロアマ問わずリスペクトしています。



小さな反省、ひとつひとつの積み重ね

一度出した言葉は飲み込めない。慌てて削除しようと、後で訂正しようと、それをなかったことには出来ません。こうやって偉そうに語っている私も、脊髄反射でSNSに感情を流してヤベッって削除したり、記事を公開してイッケネッって下書きに戻した経験もあります。


・ボタン押す前に一旦立ち止まろう。
・今回の記事は、ちょっとことばが強かった気がする。
・第三者の目線で記事を読み直してから投稿しよう。

めろ、心の反省ノートから


私たちはみんな不完全な人間なので、経験なく完璧な立ち振る舞いをすることは極めて困難です。でも反省はできます。失敗を糧にできます。お礼やお詫びも伝えられます。自分が放つことばへの責任感は、こうした小さなひとつひとつの積み重ねで醸成されていくものだと私は考えています。



言霊。
ことばの暴力。ことばのナイフ。
ことばが誰かの希望や救いになる。

もはや説明不要かも知れません。ことばの力というのは、本当に凄まじいものがあります。これからもnoteを楽しむために。誰かにとってプラスになるように。私は、ことばの力を上手に使っていく所存です。


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