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2023年を早めにふりかえってみた

正直、2023年を振り返るには早いかもしれないし、来週に迫った卒論を書かないといけないので時間はないけど、なんとなく思いついたことがあったので、今日、12月12日、一年の漢字が決まる日に今年を振り返ってみようと思う。

先日、友人に招待され、意識が高い人たちが集まり、今年を振り返るといったイベントに参加してきた。私は、実際のところめちゃくちゃ意識が低いので、イベントに参加している間具合が悪くて死にそうだった。「リアルマッチングアプリみたいなイベント」と言われたので、いい人いないかな♪という軽い気持ちで行ってみたところ、「つながり」が欲しくて参加した、とか、同世代の人と「ビジョン」を一緒に語りたい、という私にとっては奇妙な人がいっぱいいた。同じ「ビジョン」を持った人と「つながる」ということは理解できる(同じような興味の人とつながれば新しい道は見えると思う)が、違う「ビジョン」を持った人と「つながる」ことでどんないいことが起きるのか分からない。色々な人とインスタを交換してみた結果、「今度こんなイベントがあるんですけどどうですか!?」、「来週開催のイベント参加しませんか!?」など、結局自分たちがやっているイベントに参加してもらいたいがためにこのようなイベントに参加し、「つながり」というものを求めているということが分かった。社会人の人もいたが、その人たちも、何か夢に向かって進んでいきたいといった学生の集客を目的にイベントに参加していたのだろう。なぜそんなにインスタやLINEをほいほい交換したがるのだろうと思ったが、そういうことか、と帰ってから理解した。私は特にイベントを開く機会もないので、そういった「つながり」は必要ない。

そんな気持ち悪いイベントに行った私は今書いた通り気持ち悪くなって家に帰ってきた。なぜかというと、まず、自分の意識自体が低いので、意識が高い人に囲まれ、意見を交換することによって、自分って何にも考えていないのか?、自分の一年は特に面白みがないのか?と感じたからだ。イベントでは、自分の一年を振り返り、その一年を象徴する漢字を紹介しよう、的なものだった。私の回答に対してみんな、なんとなく的外れな答えだ、みたいな顔をしていてなんか気まずかった。しかしながら、自分としてはなかなかいい漢字だったなと思う。その漢字を紹介し、なぜ私がそのような漢字が今年一年の自分を象徴するのか説明しようと思う。こんなに長く書いてこれから本文かいな。卒論かけや。

私の今年の一年を象徴する漢字は「笑」だ。今年は本当に大変だった。何が大変だったかと言うと「就活」。これは本当に苦戦した。先ほども書いたが、私は意識が高くないので、直前まで就活に関して何の対策もしていなかった。しかも、自分と向き合うことが本当に嫌いだ。自分がどんな人間で、将来何がしたいのか、ずっと向き合いたくなかったが、今年に入り、ついに向き合わなければならなくなった。自分と向き合った結果、この業界に行きたい、ということも分かったし、自分が何をしたいのかもわかった、でもなかなか内定をもらえない。入るつもりもない、適当に内定をもらうために受けた企業からのお祈りメールでも泣けた。人格を否定されるようなひどいことを言われたり、圧迫面接をうけることもなくて、もしかしたらましな就活だったのかもしれない。でも、お祈りメールをもらうと、その会社には自分が合っていなかっただけだとは思っても、自分が一生懸命話した「やりたいこと」を否定されたような気分になった。就活では「私を御社に入れないなんてもったいない」と考えろといわれることも多いが、私は自分に自信がないタイプなので、そういう風に考えることはできなかった。ひたすら、自分は社会に出られないのかもしれない、という不安に駆られながら毎日を過ごしていた。この不安に加えて、誰にもこの不安を話すことが出来ない、ということも辛さの内の一つだった。私はとにかく悩みを人に話したり、人に頼るのが苦手なのだ。というか、悩みに対して、自分の中でなんとなく答えは出ているのに、それを人に話してアドバイスをもらってもあんまり意味がない、と思ってしまう。そう考えると、なんとなく話しづらい。だから、一人で抱えながら就活は乗り越えた。一人で抱えながらと言いつつも、支えてもらったものがある。それが「お笑い」と「音楽」だった。

「お笑い」に関しては、「ラランド」、「春とヒコーキ」と「ママタルト」に大ハマりした。特に、春ヒコは二人の就活に苦戦していた時の話を聞くのが好きだった。二人とも青学なので就活は楽勝だろうと思いきや、ぐんぴいは大好きなサンリオでグルディスクラッシャーのキティおばさんにやられているし、土岡は最終的に三年間のニートを決めている。もし、自分がニートになったとしても、土岡と同じ境遇だと思えばいい、そう思わせてくれた。(実際、土岡のニート生活は相当苦しそうだったのでニートにはなれないと思ったけど、そういう人もいるという多少の心のゆとりを持たせてくれた。)ラジオから入り、YouTubeを見て、その後単独にも初めて行った。お笑いの単独に初めて行ったのだが、非常に良かった。「みんなが笑っている空間」というものを初めて体験した。なんか幸せだった。

つぎに、「音楽」に関しては、今まで絶対に聞かなかったような明るい歌を聞くようになった。明るい歌、というか「辛いことがあっても、俺がお前のこと見てるよ。お前のことを音楽で支えているから生きろ!」みたいな歌。今聴いてもすごくいい歌だし、好きだけど、自分って相当病んでいたんだなと、健康な状態では思うような歌ばかりだ。でも、当時はそんな歌が本当に心の支えになっていた。成長していくと本当に「褒められること」ってなくなる。自分でも、えらいな、とか思うこともない。就活をしているときも、毎日説明会に参加していてえらいですね、とか言われることなんてない。あるわけない。がんばってるのに。がんばってるのに、誰にもその努力を見てもらえないことって本当にしんどい。がんばっているのに努力が実らないこともしんどい。でも、歌だけはどんな時でも自分を鼓舞してくれるし、頑張っている自分を見ていてくれたし、ほめてくれた。だから、音楽のおかげもあって就活を乗り越えることが出来た。音楽は自分を笑顔にさせてくれた。でも、実際就活終わってから、就活時に聞いていたバンドのライブに言った時、「どんなに嫌なことがあっても、俺たちの音楽を聴いて、また次に会える時まで、生きててくれよ」とか、「葬式みたいな毎日」とか、言われた時、現代人ってそんなに闇を抱えているんだってなんか冷静な気持ちになってしまった。多分自分の心が健康じゃなかったら、こういう言葉を聞いたときに「激熱すぎる!」って泣けると思うんだけど、今は毎日楽しいし、死にたいと思わないから、皆生きてて大変なんだなってちょっと俯瞰した気持ちでライブに参加してしまった。悔しい。でも、それくらいで生きているのがちょうどいいんだと思う。

まあ、そんなこんなで今年は「お笑い」と「音楽」にたくさん笑わせてもらったので、「笑」にしたわけなんだが、イベントにおける今年を振り返る漢字、と言うのはそういうものではなかったらしい。自分としては「推し」に支えてもらった一年で、「推」でもよかったんだけど、グループの人に人が楽しんでいたり、「笑っている」空間が好きなんだね、と言われて「なるほどねっ!」って思ったから「笑」にした。自分としては非常に満足な漢字だし、実際辛かったけど、「お笑い」と「音楽」のおかげで笑っていられた一年だった。楽しかったって言える一年だった。だから、皆が変な顔をしようと私の2023年の漢字は「笑」でオッケーなんだ。

最後に、再度イベントの感想に移る。イベントに参加したことによって、自分の薄さが露呈した、、、と悲しんでいたが、帰ってからみんなのコメント(グループごとに感想を渡しあっていた)を見たら、内容がめちゃくちゃ薄かった。良かった!自分だけが別に薄いわけじゃないんだ!と安心すると同時に、自分のそんな汚い心とは2023年でお別れしたいなと思った。

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