見出し画像

同担拒否

呪術廻戦のキャラクターである五条悟がこのようなセリフを言っていた。

         「愛ほど歪んだ呪いはないよ」

これは本当にその通りだ。私は最近自分が痛いファンであることを痛感している(この文痛すぎるな)。

例えば、私が昔働いていたバイト先の後輩の女の子が、自分しか知らないと思っていた歌手のことを好きだと知った時、謎に不愉快な感情を抱いた。高校の頃私はあいみょんが好きだったけど、つい最近になって当時何も言っていなかった友達から「あいみょん好きー!いいよね」と言われたときなんとなく不愉快だった。つい最近は、高校の友達がラランドのニシダにはまっていて、ニシダとDMしていると知った時、不愉快だった。

なんでこんな風に思ってしまうんだろう。だって、自分が好きな人のことを多くの人が知ってくれていた方がいいじゃん。共感してくれるじゃないか。しかも、自分が身近なところでその人のファンがいれば一緒に盛り上がれるじゃないか。でも、でも、でも、できない。多分、すごく仲の良い友達がそうなってくれたら喜んで話をすると思う。しかしながら、大して話したことのない人たちが自分の好きな人を「後から」好きになったように感じてしまうと謎の不愉快感に襲われる。「自分の方がもっとずっと前から好きだったのに」「なんで私よりも好きみたいな感じ出してるの?」。めちゃくちゃに不愉快。でも、これが「痛いファン」なんだろうと思う。「古参」ぶる人のこともあんまり好きではないけど、気持ちはめちゃくちゃ分かる。なんとなく、横取りされたような気持になるんだよ。これは「同担拒否」の気持ちでもあるんだと思う。また、「自分だけがこの人の良さを知っているんだ」という優越感も関係していると思う。それを身近に知っている人がいるとなると、その優越感は崩される。これらが私の不愉快感の原因なんだろう。

でも、実際のところ「好き」な気持ちに順位なんかつけられないはずなんだ。いつ知ったとしても、いつ好きになったとしても、どれだけ課金しているとしても、ファンはファン。ファンとして、応援している人が幸せになることを祈ることが出来て、ファンが増えれば増えるだけ嬉しいと思える人が「良ファン」になれるんだと思う。よくよく考えてみればファンは同じ人のことが好きな仲間なのだ。好きな人のことを一緒に語ることが出来るんだ。でも、悔しい。この気持ちを無くすことはやっぱりできない。五条先生がいっていたように愛は歪んでいる。その人のことを愛しているからこそ、同じものを好きな人と仲良くできないし、自分より後から好きになったというような人よりも自分がえらいと思ってしまう。こんな自分は嫌なんだけど、こんな自分をコントロールできない。それだけ好きなんだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?