見出し画像

友人を失った日

記念すべきひとつ目から、
別に楽しくもない話をする。

先日、大学時代の友人が結婚式を挙げた。

ありがたいことにご招待いただき、久々のヒールをSHEINで注文した。
仕事では履かなくなった5cmヒールのパンプスだ。
当日、ヘアセットの美容院に辿り着く前までに靴擦れをしたが。
伏線回収の早さに自分でもびっくりした。
ドラッグストアで買った靴擦れクッション代の方が靴代を上回ったという皮肉。
安物買いの銭失いとは私だ。

初っ端、話がそれたが、
彼女から結婚式の招待を受けた時、
正直に言おう、私はモヤっとした。
ご祝儀を惜しんだわけではない。

彼女と私は、入籍がほぼ同じタイミングだった。
俗に言われる結婚適齢期という、アラサーなので、タイミングはまあ大体かぶるのだか。

彼女とは、社会人になっても定期的に交流をしていた。
私は自分からは決して誘わないタイプなので、明るく純朴な彼女の誘いは、いつもありがたかった。

お互いが入籍する前だったと思う。
今の恋人とお互いどうなるのか、結婚したいのか、ということをお酒を交えて語った。

「今の恋人と結婚したい。でも子どもはいらない。」
お互い共通している認識だった。
「子どもはいらない」に関しての私の意見は、今後いくらでも語るだろうから割愛するが、
子どもが欲しい、欲しくないどちらの意見も指差されてしまうのが現代だ。
自分の意見に、同世代の身近な彼女が賛同してくれたことに、とても安心を抱いた。

少し時期が空き、挙式前の彼女とまた会う機会があった。

「実は今、不妊治療をしようと思っているんだよね。
体調もあるから、挙式が終わってからだけど」
友人の一言に私は、すぐ反応ができなかった。

絞り出した私の「そうなんだ」に、彼女は話を続ける。

「色々不安で、子どもは要らないかなって思ってたんだけど、
夫と過ごすうちに、この人との子どもを見てみたいって、なったんだよね。
体質的に授かれるかは分からないけどね」

ざっくばらんと語ってみせる彼女の決意が分かってしまう。
思いつきで欲しいと言う彼女ではないことは、友人である私が一番分かっている。

ばくばくと鳴る心臓を悟られないよう、それらしい相槌を打ったと思う。
彼女も、勇気を出した告白だったのだろう。
紅茶で喉を潤わしたあと、
「言えて良かった。
こうゆう話って同じフェーズにいる子じゃないと言いにくいじゃん?」

彼女の告白を聞いて、心臓がずっと落ち着かなかった。
彼女の決心による動揺もあったが、私は邪な思いをいだいてしまったのだ。
彼女が「子あり」で、私が「子なし」になったとき、
違う「フェーズ」になってしまったら、私たちは友人じゃなくなるんだろうか、と。
母になりたいという屈託のない笑顔に、その答えは聞けなかった。

その日食べたオイスタバーの牡蠣の味は、もう覚えていない。

わだかまりを消化できないまま、
彼女のハレの日を迎えた。

当日の彼女はとても綺麗だった。

新郎を思いやり、両親へ感謝し、私たちに笑顔を向けてくれる彼女は、大学時代から変わらない。
新郎の優しい眼差しや、彼女のご両親を見ていれば、彼女という人間がどうやって成り立ったのかしみじみと分かった。

こんな素敵な両親から生まれれば、たしかに子どもが欲しいの思える。
こんな優しい夫とともにあれば、彼の子が欲しいと思える。
そんな素敵な式だった。

でも、私は心から笑えなかった。

あぁ、嫌だ。
誰に?彼女に?私に?
そう思って、感動の涙と一緒に、湧き出る感情をハンカチで拭った。

式が終わって、大学時代の友人数人と心ばかりの二次会をして、最寄駅に辿り着いた。

家で待つオットに、このまま会うのは嫌だった。
久々のドレスコードのまま、近所のファミリーマートでアイスを買った。
そこそこ良い時間なのに、都会は人の気配がまだある時間だ。

コンビニ前の明かりに照らされながら、アイスの袋を開いた。
ドレスコードだろうが、恥じらいなんて最早ない。
式で飲んだ美味しい赤ワインが今さら回ってくる。
アイスを食べながら、ひとり無言で泣いた24時前。

大学時代に、サンマルクで一緒にクラムチャウダーを啜りながら、語らった彼女は、私は、もういないんだ。
「分かるー」の相槌だけで良かった私たちはもういないんだ。

おめでとう。さようなら。
友人を失った日。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?